「日々は、送るもの」
俺は姫川蓮汰。俺には妹とメイドさんとメイドさんとメイドさんと、――あと、執事の田中がいつも一緒にいてくれる。
だからだ、寂しくはないんだ。母上と父上がしょっちゅう海外出張で帰らずとも、俺には支えるべき妹がいる!守るべき家がある!父上不在の今、俺しか守れる者がいないんだ!だから、俺の日常は、毎日これでもかというほど忙しい。
今朝も早よから、食卓の上のトースターに沈んだパンの焼きあがる瞬間を、妹がぎらぎらした目で見つめている。
こ れ は ヤ バ イ 日 だ。
妹の目が獲物を狩りに行くように光っている。「一狩り行こうぜ」なんて軽々しいものではなく、ラスボス級のモンスターを倒す勢いの目だ。もう既に何体も骸へ変えて来た目だ。分かり易く言うなら「お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているのか?」という目に近い。これはヤバイ。瞳を輝かせる妹へ、口が酸っぱくなるほど、耳にタコができるほど、目が点になるほど、この何度目かも知らぬ台詞を、俺は今日も懲りずに我が妹へと投げかけた。
「妹よ、……いい加減見合いで相手を探してはどうだ?」
するとトースターの陰から顔を覗かせ、非道な人間を見るような目で見つめ返す妹に、俺は肩を落とす。
「……お兄ちゃん、酷いです!お兄ちゃんはヒナに、好きでもない殿方と縁を結ばせるおつもりですか!?酷いひどいヒドイ!オニイチャンダイッキライ」
「だっ、ダイッキライ…!」
ズガーンという効果音が一際似合いそうな衝撃で、妹の「ダイッキライ」が、俺の胸へと突き刺さる。激しい痛みに胸を押さえて蹲り、それでも可愛い妹を思えばこんな痛みなど屁でもない。机を豪快に叩いて見せ、面を上げながら兄の厳格を奮う。
「……く、っ俺は、まだ…諦めないぞ、……妹、よおお!?」
が、妹は忽然と消えていた。
よく見るとトースターから食パンも忽然と消えている。
「田中ああ!田中ああああ!」
俺は至急執事の田中を呼びつける。
すると、すぐ後ろでスタンバイしていた田中が背後より慎ましやかに現れた。
「はい、坊ちゃま」
「ヒナは?」
「先程パンを銜えて出て行かれました」
「く、っそおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
椅子の背へ引っ掛けたブレザーを羽織り、鞄を手に俺は走り出す。
だが、その背を田中が引き留めた。
「坊ちゃま」
「なんだ!俺は猛烈に急いでいる!そんな俺を誰にも止められやしないぞ!分かったか、田中!」
急ぎ妹を負わねばならないと訴えて、足と腕だけその場でせかせか動かす俺へ、田中は徐にその足元を指差した。
「坊ちゃま、下だけパジャマです」
***
急ぎ、妹の後を追って学校へ向かう二つ目の路地で、目標を発見。妹は塀に隠れて別れ道である角の先をちらちらと忙しなく覗いている。そこへ前方より走ってくる少年の姿を目に、妹は勢いよく飛び出した。
当たり屋か―――――ッ!
思わず叫んでしまった!叫んでしまった!(大事な事でもないが二回言ってみた…かった。)
腰を打ったのか尾てい骨付近を撫でながら少年が妹へ目を向ける。
「ッつ、………す、すいません大丈夫でっ」
「いったぁ~……えへへ、ぶつかっちゃいましたーってへ☆」
照れくさそうに後ろ髪を掻きながら妹は笑っていた。とても痛そうには見えぬほど、笑っている。だが、――おかしい。妹はパンを銜えていたはずだが……はて、一体どこへ。と、視線を彷徨わせれば、ご丁寧にもパンは、少年の頭の上に乗っていた。
もう見て居られず、俺は息を整えて妹へと駆け寄った。
「おい~ お前またかよー!すまん!妹が世話になった!」
少年へ謝るや否や、ヒナが頬を膨らませて俺を見上げて来た。
「お、お兄ちゃん!邪魔しないでください!今大事な展開なのに~」
妹の雛乃は、少々夢見がちで、メルヘン思考である。未だに少女漫画の展開を信じて止まない。それゆえ、運命の出会いを求めて今日のように食パンを銜えて出て行く日はそう少なくも無く、ぶつかった相手へ暫く纏わりついてしまうトラップ的な面もある。我が妹ながら、男を骨抜き(ある意味)にする才を持っているが、そう毎度毎度ぶつかっては、相手が怖い輩であった場合、謝って済む問題じゃなくなるかもしれない。
俺はそれを危惧しているというのに、妹はそんな俺を邪魔者扱いする。
だがしかし、今はそんな言い合いをしている場合ではない。そう、遅刻ギリギリだったからだ。この場は揉めながらも俺の提案で学校へと急いだ。
***
妹がぶつかった今朝の少年は折上ゆずると言うらしい。どうやら同じクラスで、たまに俺へ会いに妹がクラスを訪れる事がしばしばあったが、兄として俺は妹へこう言った。
「妹よ、休みの時間のたびにここへ来るのは止めて、同じクラスで友達を作りなさい!」
すると折上の隣へ駆け寄り、俺に向かって妹が舌を出した。
「ここにはヒナの運命の人がいるんですぅ~!」
「運命の人とは食パンを銜えてぶつからない相手にしなさい!」
折上から妹を引き剥がそうと、彼の片腕を引っ張ると、妹も負けじと空いている方の片腕を引っ張った。
「い、痛い痛い痛いちょっ、たんまたんま…っ!」
と、折上が言っていたような気がしたが気のせいだろう。俺は続けて妹へ告げようと口を開いた。が、今にも泣きそうな妹の顔が、俺の目に入った。
「なんで、お兄ちゃんは……ヒナのすることぜーんぶダメだしするのっ……ば、ばかばか!」
力を抜いたときだ。
「うわっ!? ……ちょ、まっ、こわっ!」
折上の腕を抱えたまま、妹は走り去ってしまった。扉を曲がる際に、折上の蟀谷がガツンガツンとぶつかっていた。痛そうだ。いや、痛い、俺の胸が酷く傷んだ。
何を言っても聞きやしない。全て裏目に出る。俺は、そんなに間違った事を言っているのだろうか。妹よ、お兄ちゃんはお前が心配なだけなんだ。なのに、嫌われてばかりだ。
本当は、お前に嫌われる度胸なんてない。
幸せになってほしいから、言っているのに、――。
***
季節も変わり、大分暑くなってきた夏の日のこと。
妹は懲りずにゆず(折上の愛称)へアタックを仕掛けている。昔は「おにいちゃ、まっちぇー」とか言いながら後をついてくる可愛い妹だったのに。今は顔も合わせてくれなくなってしまった。話しかければ、やれ課題があるだの、やれ用事があるだの、――かわされ続けて早三ヶ月。
最近は、同じクラスの山田へ愚痴を零してばかりかもしれない。
「聞いてくれないかー? ……妹がよぉ、もう三ヶ月もまともに口聞いてくれねぇんだよー」
「へえ、凄いね……ちなみに三ヶ月って長いの?」
「長いぞー 以外に長いんだ!」
「そいつは大変だねえ」
山田は、このクラスになってから何かとフレンドリーに接してくれる奴で、なかなか見込みのある少年だ。少年であり、山田である以上の事は知らないが、結構爽やかだ。良い奴だ。でも、妹には相応しくない奴だ。
だけど、いつも俺の愚痴をフードで見えない目の下から覗く爽やかな笑顔で聞いてくれるような奴で、俺はこいつを結構気に入ってる。
「妹が何を考えてるのかさっぱりだー」
「あー…なら、妹ちゃんと親しい人へ近状聞いてみたら?」
「おお!俺もいま、そう思っていたところだ!奇遇だな!」
「うん、聞いておいでよ?」
「そうだな!そうと決まれば行ってくるぜ!」
彼は、本当に良い奴だ。親身になって提案してくれている。俺は急ぎ妹と親しい仲の者のところへ向け、走り出した。
でも、――俺、山田のこと苗字しか知らないんだよな。
***
放課後。あれから、何人かに聞きまわったが、妹のことについて問うと、皆声を合わせて「さあ」「知りません、です」「べ、別にあんたのためとかじゃないんじゃない!?」「反抗期だろ」と言われてしまった。
なぜだあああああああああああああ!
バラバラじゃないか!
そうか、俺はみんなにまで嫌われているのか。なんて寂しい高校生活なんだろう。妹が入れ込んでいるゆずまでにさえ「さあ」と白を切られてしまう始末だ。もう知らん。妹なんか知るもんか。不貞腐れて家路を目指し、通学路をとぼとぼと歩を進めながら、俺は帰路へと着いた。
***
自宅前。陽は大分沈んでいて、空が赤紫から紺碧色へ変わる時刻。
我が家へ戻るや人気が無いことに気付き、孤独が増した。いつもは田中やメイドさんやメイドさんやメイドさんが迎えてくれるのに、今日は誰も鞄を取りには来ない。誰も上着を脱がしには来ない。
誰も「おかえりなさい」と言ってはくれないのか。
ただいまを言う相手が、とうとう居なくなってしまった。なんだか無性に泣けてきて、俺は玄関の縁へ腰掛けた。
「なんだよ、皆まで俺を嫌うのか…?」
そんなのは毛ほども思っちゃいなかった。だけど、そう思わせられるには十分に、俺の気分は沈んでいた。重い足取りで靴を脱ぎ捨て、その場へ鞄を置き去りにして部屋へ向かおうとした、――ときだ。
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パァン!パァンパァン!パァーン!
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「――――ッ?」
何かの破裂音に不意を衝かれて肩が跳ねる。
放心する俺を取り残し、破裂音の先から徐々に明かりが灯った。
先程まで暗くて見えなかったダイニングルームには、田中がいて、メイドさんがいて、メイドさんがいて、メイドさんがいて、ゆずがいて、うるえがいて、幸貴がいて、寧々がいて、そして妹がいた。
「な、っな…? んだよこれ…?」
皆が顔を見合わせて、
俺へ向けてまたあの破裂音を鳴らした。
「「ハッピーバースデー、蓮汰!」」
頭が真っ白になり、展開が読めないでいる俺へ妹が歩み寄ってきた。
「もう、お兄ちゃん忘れちゃってたんですか?今日はお兄ちゃんの誕生日ですっ!はい、ハッピーバースデーお兄ちゃーんっ!」
俺の前へ可愛らしい包みが差し出され、妹が続けた。
「今回のバースデーパーティーを考えるために、みんなへ協力を仰ったんですっ!それはもう大変でした!秘密裏に動いて!お兄ちゃんにバレないように欲しいものを山田くんに聞き出してもらったり!パーティーの用意でみんなに手伝ってもらったり!ヒナ、三ヶ月前からこつこつ作ってたんですよっ!」
きゃっきゃと語る妹の話に目を丸めてしまう。
「え?三ヶ月も前から? ……開けていいか?」
「どーぞっ!」
踵を返して、スカートを翻し、くるりと回って妹は食卓へと戻って行った。「さあ、料理出しちゃいましょう!」とメイドさんやメイドさんに指示を出しているようだ。
俺は手渡された包みのリボンを解いて、小箱を開けた。すると、シルバーネックレスとピアスが箱の中で輝いていた。此方へ歩み寄る足音に気付いて面を上げると、ゆずとうるえが立っていた。
「ごめん、ヒメちゃん……口止めされててさ」
「女の子は雰囲気のある行事が大好きなのよ」
と、バツが悪そうに笑うゆずと、あたかも正論とばかりに得意気で言い切るうるえ。不図視線を持ち上げると幸貴と寧々は出てきた食事を片っ端からつまみ食いしていた。呆気を取られてしまったが、なんとも自由な二人を見て、やっと現実へ戻ってきたような気が、……いや、いつもの日常へ戻ってきたような気がして、俺は嬉しいのか寂しかったのか分からぬまま、涙目で笑った。笑いすぎて涙が出てしまった風に見えていたと思う。恥ずかしいからそういう事にしておいて欲しい。目尻に溜まる涙を指先で拭ったときだ、――背後から俺を呼ぶ声に振り返る。
「坊ちゃま」
「……田中、」
そこには執事の田中が慎ましやかに立っていた。
「すみません坊ちゃま、雛乃お嬢様に堅く口止めされてしまいまして……お伝えする事も適わず面目次第もございません」
田中は深々と頭を下げていたが、申し訳なさそうには見えなかった。
子供の頃、一緒に考えた悪戯をして、一緒に父上から怒られたときと、そっくりな謝り方だったからだ。してやられた気分だったが、これも田中なりのサプライズと受け取り、俺は首を横へ振った。
「そんな事を言わず面を上げてくれ」
その言葉に頭を上げた田中の口許は、髭まで持ち上がって笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます」
俺は田中へ身を寄せ、内緒話をするよう耳打ちした。
「次はヒナの誕生日に同じことをしてやろう」
「おやおや、坊ちゃんも懲りませんな……ほっほっふぁ」
田中はおじいちゃんっぽい笑い声を上げながらメイドの仕事を見に、その場を後にした。ほっと一息吐くと、目の先では、つまみ食いが早食いへと変わっており、幸貴と寧々が高速で菓子類を胃へ流し込んでいた。
「あっ、ずるー!ちょっと私も混ぜなさいよ!」
二人の食べっぷりを見て、うるえが食卓へ掛けて行った。
その場へ残ったゆずへ視線を向けると、何やら更にバツが悪そうにうるえを見ていたが、その視線が次に俺へと向けられ、皆の囲むテーブルを指差された。
「本日の主役さん、うるえ食いしん坊だから、お料理なくなっちゃいますよ? ……さ、行こう?」
なんと! 聞 い て い な い ぞ !
先を行くゆずを追って、俺も食卓へ割り込んだ。
父上、母上、お元気でしょうか。
俺も雛乃もメイドもメイドもメイドも元気でやっています。
今日は、俺のバースデーでした。
親しい友人もでき、賑やかな一日を送りました。
「贈り物」とは、「送る物」なのですね。
素敵な一日を送り、また一つ私は学びました。
そちらもお体にはお気をつけて。
良き日々を……どうか、お送りください。
追伸、田中の悪ふざけに磨きがかかりました。
一〇一三年、七月二十日 蓮汰 拝
Side story 02 「日々は送るもの」 完