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alexandrite  作者: なち
--第一章--
86/129

09 陛下の逆襲 8



 思考が空回りしている。そうは分かっていても、自分では止めようも無くて。

 ただぼんやりとした視界の中に、何となく宴の様子を映していただけだった。だから、室内が困惑と微かな緊張感を持って静まっている事には気付かなかった。

 背に軽く触れたユーリ様の温もりが確かな熱として認識出来るまで、代わる代わるに浮かんでは消える暗い記憶を繰り返し描いているだけだった。

 肩甲骨の辺りにある熱を、ふ、と疑問に思った瞬間。

 そこでやっとユーリ様に横合いから顔を覗かれている事に気が付いた。

「ああ良かったこと。今日一番の見せ場を、見逃す気かと思ったわ」

「……は?」

 焦点を結んだ視界で、ユーリ様が意地悪く微笑む。

「これだけ空気が様変わりしているのに気が付かないなんて、随分鈍いのではなくて?」

 ユーリ様の視線に促されて、俺の目線はやっとで辺りに向けられた。

 夢うつつで微笑むようなティアを過ぎって、撓んだカーテンの向うへと――まるでマネキンの群集のように固まった人達を眺め、そしてその先には――何時の間にかリカルド二世の隣から消えたファティマ姫の代りに、ルークさんの姿があった。

 俄かに黄色い声を上げた若い娘さん達を、咎めるのはその両親か。

 何時の間にか室内を包んでいた演奏も止り、奇妙な緊張感が漂っていた。

 ルーク・クラウディその人を知らない貴族では無い。一年と少し前までは醜聞の中心に居た人物だ。社交界の花形として有名であった彼が、リカルド二世陛下の不興を買って辺境へ追いやられた事、そしてその為にクラウディ家から縁を切られた事も記憶に新しいだろう。

 けれどだからこそ、貴族では無い彼がこの場に居る事は、あってはならない。ましてや堂々と、リカルド二世陛下に並び立つ事などは。

 ルークさんがヴェジラの民との交渉の責任者である事も、新たな条約を締結させて戻った事も、知るのは重職につく貴族の家長だけだ。その功績に然るべき誉れが与えられようと、ルークさんは未だ、ダ・ルークであり、ティアの祝宴に参じる立場に無い。

 そう知っていればこそ、闖入者とも言えるルークさんの存在を受け入れられない。

 多分、そんな感じだと思う。

 そしてやはり、ルークさんの外見の変容にも戸惑いは隠せないだろう。一度刈る程に短くなった髪は少し伸びているものの、昔のように結わえる程の長さは無い。多くの貴族と同じ様に整髪料で整えて、洒落っ気の欠片も無く、ただ後方に流しているだけ。装いも、他の誰とも変らない、ただの礼服。健康的に焼けた肌を晒す顔の中の、スミレ色の瞳だけが同じ。

 良く似た他の誰か、と言われた方が納得がいっただろう。

 ただ既に、ルークさんは己の名を名乗った後のようだった。

 沈黙を破るように、リカルド二世の右隣から現れたシリウスさんが、ゆっくりと周囲を見渡す。

「お集まりの皆々様」

 優雅に臣下の礼を取り、彼は言う。

「リカルド二世陛下よりお言葉がございます」

 その言葉を待っていたように、反対側の壁際で閉じていたカーテンが次々と開く。紅色のそれらの奥には、他国の招待客が着座している。

 そうして室内に居た誰もが、はっとしたように整列する。まるで揃った足音が聞こえてきそうな、軍隊張りの整列だった。

 玉座を背後にしたリカルド二世の前に、グランディアの貴族達は頭を垂れて並ぶ。一歩遅れて、最後尾に女性陣が続き、それらが落ち着く頃、ティアが立ち上がった。

 それにハンナさんやユーリ様が従うので、俺も慌てて立ち上がる。

 何だ、とは問わない。つまりこれが、事前に伝えられていたティアの婚約報告への序章なのだ。

 個室を出て壁際をリカルド二世陛下の方へと進み行くティア、ユーリ様を追って、ハンナさんと並んでしずしずと歩いていく。入場の時と同じ様に顔を俯けて、ただ影のように、進む。

  言われていた事はそれだけ。後はリカルド二世に並ぶティアから離れて、既に膝を折っているライドやウィリアムさんの隣に傅くだけだ。

 そうして数多の視線を浴びながらティアが立ち止まると、シリウスさんは整列する貴族の脇、ゲオルグ殿下一家の脇へと下がる。

 それだけの時間をかけてやっと、リカルド二世が口を開いた。

「今宵は我が妹、ティシアの成人を、我らが友、」

 言いながらカーテンの向うへ馳せられる視線。

「そして忠実なる貴公らに、」

 今度は貴族へ向けられる視線。

「祝っていただき嬉しく思う。ただ知っての通り、余には子も妻も無く、また、ティシアには決まった相手も無く、グランディアの後継に気を揉んでおる者も多かろう」

 どの口が嬉しいなどと言うのか、と思う程の平淡な声だが、そんなのはもう今更だろう。

「だが諸君らにやっと、明るい報告が出来よう」

 上向けた視線の中で、リカルド二世がティアに片手を差し出し、ティアがその手を重ねるのが見えた。

「この度ティシアは、このシゼ・ルークとの婚約が決まった。そうして三月の後には、この婚約は確かなものとして実を結ぶだろう」

 寝耳に水、とはこの事だろう。話が進むにつれもしや、と思わない人間は鈍すぎるが、だとして突然過ぎると言える報告の筈だ。

 ティアとルークさんの恋心を知る人は本当に極少数で、それを知らない多くの人間にとって、婚約の相手がルークさんだということは余りに突飛な話だ。

 だってルークさんは――もう言い飽きたけど――放蕩者の代名詞。そうしてリカルド二世の不興を買った筈の人。

 眼を見開いて固まる貴族達の眼前で、けれど満ち足りた微笑みを持ってティアとルークさんがリカルド二世に促されて寄り添えば、疑う余地も無い程、恋人然とした二人になる。

 誰かが発した拍手に釣られるようにして、やがて盛大な拍手と共に祝辞の声が沸きあがる。

 そしてその一手目が、ゲオルグ殿下であった事を俺は見逃さなかった。

 ティアとルークさんは多くの拍手に返礼をしながら、時々見つめ合い、この上なく甘く微笑む。本当に、二人とも幸せそうだった。

 室内から完全に戸惑いが消えたとは思わない。怪訝そうに眉を寄せている者もあれば、いぶかしむ視線を交し合う者もある。

 それでも国王の決定にケチをつけられる者など居なかった。

 けれど、国王陛下のお言葉は何もこれだけでは無かったようだ。

 華やいだ空気を何故か瞬き一つの動作で鎮めて――他に動きは無かったように見えたのに――数多の視線を一息で惹きつけると、陛下は「それから」と、またもやもったいぶるような一拍を置いて、言葉を続けた。

「時を同じくして、余も、王妃を迎えようと思う」

 淡々と、あくまでも感情を見せない声で、国王陛下が事も無げにそう言った瞬間、またもや群集は固まった。

 俺もすぐには言葉の意味が理解出来なくて、口内で台詞を繰り返してみてからやっと理解が追い付いて――そうして、無意識に流れた視界には、壁際の個室で誇らしげに胸を張るファティマ姫が映った。

 そもそも宴の始まりからファティマ姫はこの上なくご機嫌だった。その理由はつまり、そういう事なのだろう。

 別にどうという感慨も無く、ただ、一度離縁した人間との再婚という形であるから、俺の暮らしていた世界の話であれば面白おかしく雑誌なんかに書き立てられそうだなぁ、なんて風に感じただけだった。王様とかお妃様とか、今でさえ余り関わりの無い存在だし、お国の事情なんて更にさっぱり分からないから、この結婚がどんな風に作用するかなんてのも分からないし。

 何よりリカルド二世陛下の結婚なんて、どうでも良い。

 完全なる傍観者の気持ちで事の有様を眺める、そんなスタンス。

 ――なのになのに、何故だろう。何故なんだろう。

 数多の視線が、何故か自分に突き刺さる。何が何だか分からない、そんな表情で見られても、こちらも困る。

 目だけで辺りを窺いながら、自分が注目されている現実を突きつけられて、俯く。

 心臓の音が鼓膜を刺激する。嫌な汗が背中を伝う。

 ごくり、と飲み込んだ生唾がせり上がってまだ戻ってきそうだ。

 何故だろう。

 視線にさえ、他とは違う存在感。冷えた双眸が脳内にちらつく。

「グランディアの歴史は語る」

 嫌な予感嫌な予感嫌な予感予感予感予感予感――。

「異世界より来たりし王妃は、王国に繁栄と平安と幸福を与える」

 カツン、と響いた靴音が誰の物かなんて考えたくもない。

 ましてや床を凝視していた視界を、無遠慮に遮った繊細な指の持ち主なんて。

 自分の存在を空気よりも希薄にしたくて、息を詰める。願って叶うなら心臓すら止める。

 するり、と肩から腕を撫でられて、肘を伝った長い指が、ついに掌に到達した時。

 どうして踵を返し、逃げ去れなかったのか。ありえない、御免だと、絶叫を上げる事すら叶わなかったのか。

 触れた手に立ち上がるように促され、どうして素直に頭を上げてしまったのか。

 そうしたい、と願ったわけではけして無いのだ。心は何時だって正反対の行動を示した。心の中ではもうとっくに、逃走を決め込んでいた。

 それなのに。

 見上げてしまったのだ。至近距離で、眇められた宝石のような瞳を。この世の物とは思えぬ美貌が、柔らかく綻ぶのを。

 言葉では表現しがたい、集約された美が、極上の美が、そこにあったのだ。どうして見惚れずにいられよう。

 「この娘こそが、余のエマンジェスティ」


 思考が完全に停止して、瞬きすら忘れて、見入ってしまう。

 それが過ちだと、考える余裕すら奪われて。


「異世界より招いた、余の唯一」


 ――俺は、何よりも望まない最悪の結末を、無意識の内に迎えていた――。






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