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alexandrite  作者: なち
--第一章--
80/129

09 陛下の逆襲 2



「どうしても嫌だと仰いますか」

 怒りを押し殺しているようにも、呆れているようにも取れる口調で、ハンナさんは静かに言う。

 俺は勿論、という意味で無言で頷いた。

 っていうか、さっきからそう言ってる。

 皆さんの行為に甘え切っているので、出来る事ならなんだってしてあげたいんです、と殊勝な気分で思う俺と、だからって限度があるといきり立つ俺が居る。二人の俺は、前者が簡単に白旗を振ってしまう。

 まあしょせん、どんなにいい人ぶったってその程度だ。

「女性の振りは死んでも出来ない」

 きっぱり宣言すれば、ハンナさんは「ツカサ様は女性でしょう」なんて呟いたが、それでも肩から力を抜くようにして吐息を零した後、

「私ではツカサ様のお気持ちを変える事はできなさそうですね」

と、どうやら諦めるような気配を見せた。

 何となく不穏な空気を感じたけれど、ハンナさんはメジャーを丸めて、踵を返した。

「では、私は失礼致します。明日からの授業は、またミューラ伯爵夫人にお任せ致しますので」

 あっさりと退室してしまうハンナさんに肩透しを喰らった気分だったが、それに素直に安堵した――のは、考え足らずだったかもしれない。




 翌日、ローラさんの授業を終えた俺に、クリフが今後の予定の変更を告げてきた。

「本日よりしばらく、ツカサ様にはアレクセス城を出て頂く事になりました」

 すなわち、今居るグランディア城からも、前に暮らしていたフィデブラジスタでも無く、という事だ。

 目を白黒させる俺を前に、こちらを見ないクリフは事務的に続ける。

「ゲオルグ殿下が昨夜ご家族と一緒にお戻りになられて、現在はアラクシス家別邸にいらっしゃいます。ツカサ様もそちらにご滞在されるよう、殿下の仰せです」

 この時の俺は、クリフまでもが俺をツカサ、と呼んでいる事に気付いてもいなかった。最近は誰もが俺を「ブラッド」と呼んで、そのように対応していたにも関わらず、だ。

「少なくともティシア王女殿下のサンティ、並びにウナ・ラーゼの終了までは別邸にてお過ごし頂く事になりますので、ご用意をお願いいたします」

「……それは構わないけども、」

「それは何より。ではお迎えが既に参っておりますので、至急ご準備を」

「え、今!?」

「はい」

 休憩に入れた紅茶に、口をつけたばかりだ。これから寛ぐ気満々で居るのに。

 そう言えばローラさんの授業の最中にクローゼットの中から俺の服を数着取り出していたクリフを不思議に思ったのだったっけ。それを持って隣室に行ったり来たりしているクリフを横目に見ていたら、ローラさんが悲しそうに「私の教え方が悪いのでしょうか」なんて沈んだ声を出すから、頑張って集中したのだけど。

「私の方で簡単にお荷物をご用意致しましたが、寝室には触れておりません。衣類と、ツカサ様の剣は馬車に積ませて頂きました。他に何か入用の物は?」

 ティーカップを手に持ったまま呆けてしまう。

 クリフはどんどん話を進めていってしまうが、思考が停滞して、巧く追いつかない。

「えーと?」

「ローラ・ミューラ伯爵夫人の授業もしばらくお休みとなります。明日のティシア王女殿下とのお茶会、オルド邸への訪問も白紙になりました。その他のご予定におかれましても、逐次ゲオルグ殿下より指示がありましょう」

「うん、それも構わない」

「私はご一緒致しませんが、毎日お顔を拝見しに参ります。何か足りないものがございましたら、その都度何なりとお申しつけ下さい」

「え、クリフは行かないの?」

「はい。ツカサ様が別邸に滞在の間は、騎士の訓練に参加させて頂く事になりました」

 クリフは一応近衛騎士団に所属しているが、毎日俺の側近として仕事をしているので、騎士としてのカリキュラムは全くこなせていない。それをこの機会にこなそうというのだ。

 俺にとやかく言える事じゃないけど、今までクリフに頼り切っていた自覚があるので、何だか不安になってしまう。

 心細さが表情に出てしまっていたのか、クリフは相好を崩して、労わるような視線を寄越してきた。

 出逢った当初には俺と同じ様な黒、と思った灰色の瞳に、親愛の色が灯る。

「何も心配なさる必要はありませんよ。何かあればすぐに飛んで参りますので、お健やかにお過ごし下さい」

「……うん……」

 年齢的には十も離れていない筈のクリフは、時々俺を子供のように扱うが、それをくすぐったく思う事はあってもけして嫌な心地では無い。

 伸びてきた大きな手にくしゃりと頭を撫でられて、ふ、と口元が綻ぶ。

「クリフは時々、父親みたいだ」

 何とも言えない、そんな風に歪んだクリフの顔が可笑しくて声を立てれば、クリフもまた大きな唇を引き上げて苦笑した。

「さ、それではご準備を」


 クリフに急かされた俺は、そうして慌しく、アレクセス城を後にしたのだった――。




 アラクシス家別邸へ向かう馬車の御者は、何故だかスチュワートさんだった。彼はジャスティンさんの側近で、オルド邸の執事では無かっただろうか。

 言葉少なに挨拶を交わし馬車に詰め込まれたので疑問は疑問のままだったが、スチュワートさんが一体どんな役回りなのか不思議に思う。

 まあそんな事を不思議に思った所で答えは出ない。何時かのように厳重なアレクセス城の大きな門をくぐり抜け、貴族の居住区を走っていく馬車からの風景を眺める。どの屋敷も通りに面して広い庭を持っていて、それぞれの門に家紋の入った旗が棚引いているが、相変らず人っ子一人見えない。時々他の馬車と行き交うので無人ではないのだろうけど、これで屋敷がもっと廃れていたらゴーストタウンみたいだ。もっと下って市街に入れば今は祭りの準備で何時も以上に活気付いているというが、貴族の区画は静か過ぎる程。

 一度訪ねたアレクセス家別邸は、ゴルフ場が作れそうな広い庭の中に屋敷を構えている。門を入ってしばらく走っても、中々玄関に辿り着かない。

 幾分速度を緩めた馬車は舗装された道を真っ直ぐ走りぬけ、やがて止った。

 雨雲が過ぎ去った後の、真っ青な空と黄金色の太陽。

 馬車を降りて感じるのは、まるで高原に来たかのような清々しさだ。

 別に手を借りる程の高さは無いけれど、スチュワートさんが手を差し出して来たのでその手を取って馬車を降りる。玄関の前で迎えてくれたのは、セルジオさんと幾人かのメイドさんだ。おじいちゃんと呼んで差し障りの無い年齢の執事が、ぴんと張った背筋を折り曲げて頭を下げれば、メイドさんがそれに続く。

「お待ちしておりました、ツカサ様」

 セルジオさんが眼鏡の奥の双眸を細めて言う傍らで、スチュワートさんが少ない俺の荷物をメイドさんに手渡している。

 ――何だろう。何かが変だ。

 とか思っている間に伸びてきたセルジオさんの手が、俺の片手をぐっと掴む。え、と思う間にあっという間に浚われた手の甲に、生温かい感触。

「!?」

 恭しく持ち上げられた手に触れたのはセルジオさんの唇だ。

 引っ込めようとした手はセルジオさんに握られたままなのでどうにもならないが、変りに俺の表情は素直に感情を表してしまっていた。

 つまり、まあ、すっごい拒否反応。

 口の端が引き攣って、挨拶を返す事も出来ずに固まってしまう。

 なんだかすっごく嫌な予感がする。極最近、感じた予感の再来だ。

「どうぞ、ご実家だと思ってごゆるりと滞在下さいね」

「……ありがとう、ございます」

 疑ってかかればセルジオさんの笑顔さえ何か裏があるような気がする。訝しげに見上げる表情からは当然のように真意など読み解けないけど、その顔がゲオルグ殿下と酷似しているからこそ、ゲオルグ殿下だったらこういう時は何かある、という予感がひしひしとするのだ。

「ツカサ様?」

 大体昨日から皆して、『ツカサ』『ツカサ』『ツカサ』『ツカサ』って――見た目にはブラッドのままなのにそんなに連呼されると、危うくブラッドの立場を忘れてしまいそうじゃないか!!

 けして口には出せないけど、脳内でそんな風に悪態をついた時だった。

 はた、と。

 邸内に踏み込んだ瞬間に足を止めた俺を、振り返るセルジオさん。

「……ツカサ様?」

 気遣うように潜む声。

 戸惑う視線。

 それを受け止めながら、俺は過去を振り返る。


 ――しかしどんなに考えても、セルジオさんにはツカサとして会った記憶が、無かった。






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