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alexandrite  作者: なち
--第一章--
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02 アレクセス城の魔王 1


 ジャスティンさんが後見人になってくれるという話は、万が一の場合だけでなかったらしい。すぐに手続きを取ってくれるらしく、その手続きは2、3日で終了するという事だ。

 流石神に仕える神官という職業に相応しく、慈悲深い。グランディア王国で奉るエスカーニャという創生神がどういった神様かはしらないが、きっとジャスティンさんと同じくらい慈悲深くて清らかな神様なんだろう。

 俺をこの世界に召喚した事も大目に見てもいいかもしれない。

 ジャスティンさんが後見人になる事で立場的にどうなるのかは全くどうでも良いが、万が一の保険が出来て俺はすこぶる上機嫌だ。

 それに俺が異世界人であるという事、ティシアさんの婚約者であるという事も、公式には伏せられる。事実を知る者もアレクセス城――王家の城という意味らしい――で数える程度のようだ。国王陛下とライディティルさん、見たことも無い宰相ともう一人の国王の護衛の人、ティシアさんとハンナさんにジャスティンさん、それからもう一人、俺の部屋の守衛をしていたクリフだけで、それ以外の人にとってはジャスティンさん経由で招かれた王家の客人として待遇を受ける事となった。

 異世界人イコール王家の結婚相手という事は周知の事実だし、王家の女性がティシアさん一人の現状では彼女の婚約者だと言ってるも当然だし、そうなると色々面倒だからという配慮らしい。面倒なのはハンナさんが、という事みたいだ。

 正式な発表は俺が人前に出れるくらい成長してから、と言われが、そんな事情は関係無い。

 客人として遇される事になった俺は、王家の鍛錬場で朝練も許されたし、クリフという護衛を何時も引き連れなければいけないが城の中も比較的自由に動き回れるし、言う事無い。

 ハンナさんの紳士化教育も、ハンナさん自体が王女の侍女という立場であるからそう時間が取れるわけでも無く、トリップしてから一週間が経過した今まで、一度しかそんな時間がなかった。結局ハンナさんがマナーを、ジャスティンさんがグランディアの歴史や国内の事を、ライディティルさんとクリフが雑事を教授してくれる事になったのだが、ほとんど一緒にいるライディティルさんやクリフは多分ハンナさんの意図してない雑学を披露してくれているだけだった。

 国王陛下の護衛である筈のライディティルさん――違和が無くなったので――ライドは、初日に話していた通り城の中ではお役御免らしく、彼の興味の対象になっているらしい俺の周りをチョロチョロしている。

 今も膨大な図書棚で形成される書物庫で、退屈ならついて来なければいいのに、図書を漁っている俺の横に座ってあくびを一つ。

 俺は帰る手段を見つける為に、過去に召喚されてきた人たちの記録を重点的に探していた。驚く事にその本のどれもが読めるものだった。試しに日本語で文字を書いてみたらそれは彼らに全く通じなかったので、何だか自分にばかり都合の良いトリップで驚いている。そうはいって帰る方法が無いのが一番不都合だけども。

 しかし記録といっても一冊や二冊で終わるものではなく、一人分でも一冊以上あったり、古いものだと巻物であったりするから量はかなり膨大なものだった。

 暇ならライドも手伝ってくれればいいのに、彼は俺の隣でつらつらと取り留めの無い話をしているだけ。

 ライドには語り手の才能があるのか、なんて事ない話さえ実に面白おかしくしてしまうから聞いているとついつい引き込まれて、気が付くとページを捲る手が止まっているという事もしばしば。

 彼の話のほとんどはハンナさんの人となりに終始し、ハンナさんがいかに逆らってはいけない人なのかを骨の髄まで教え込まれた。

 まあでもハンナさんが鬼になるのは、ライドの前だけだ。ライドが奔放過ぎて馬鹿な事を仕出かすから、ハンナさんが後始末をする羽目になって怒る。それが家族で、しかも兄だからこそ余計に。

 26歳で既婚のクリフの奥さんはアレクセス城で女中をしているそうだけど、彼女達の間ではハンナさんは憧れの人なのだという。侍女にしておくには惜しい洗練された物腰、毅然とした態度、臆す事なく男性とやりあう事もしばしあれば勿論最後にはぐうの音も出ない程黙らせる様子。何をさせても人の倍早くそれらをこなす、才色兼備のパーフェクトの侍女、それがハンナさん。

 ただし男性に言わせると鉄の女、とか。

 どちらにせよ俺は、敵に回したくない。

 そんな前情報の所為でハンナさんを前にすると萎縮してしまうから、紳士化教育が進まないのは助かっている。

「――で、若干6つのハンナが、言うんだ。『兄上のお世話が出来るのは、所詮私だけなのね』……まるでしょうがないとでもいう口振りでな。それから奴は俺の不始末を消して回る役目になった。自分から言い出して自分から始めたのに、俺が成人した時についに、『兄上の尻拭いはもう沢山です』とか言いやがった」

 ライドはハンナさんの5才上らしいが、5つも年下の妹に世話を焼かれて享受しているなんて兄の威厳も何もあったものじゃない。大体この人は一体いくつから問題児で、何時までそのままでいるつもりなのだろう。

「可愛げのない妹だ……」

とぶつくさ言っているライドを横目に、思う。そうなってしまったのは兄であるライドに問題があるのだ。まるでうちの兄弟のよう。上の不出器の所為で、色んな事が制限されて大人びてしまった弟を思い出す。

 ――俺がいなくなった事で、あいつは楽になるだろうか。

「そういえば昨日、城下の三つ馬の酒場の話はしたよな……」

 話が変ったので、ふ、と遠くに彷徨っていた視線を戻す。俺が脚立に座っているから、直接床に胡坐をかいているライドは当然上から見下ろす形になる。赤銅色の燃えるような髪は今日も健在で、ライオンの鬣どころか爆発している。

 家の事なんか思い出したからだろうか、その髪の状態が家で飼っている雑種の犬に似ている事に気付いた。何度梳かしてもくるんと奇妙にはねてしまうその毛は、だからか実際よりその身体を膨張しているようにみせる。

 あまり頭の良くない犬で、オテもマテも出来ない。散歩が大好きで、うっかり庭に出ようものならばそれが何回目でも、深夜でも散歩をせがんで足元に纏わり付く。

 なのに一つだけ、躾けられたのは。

「ライド、ハウス」

 何となく、思い出したらむずむずと言いたくなってしまって、ザッシュと名づけた我が家の犬が嬉しそうに犬小屋に帰っていく姿を思い浮かべながら、ライドに向かって言ってみた。

 突然奇妙な呪文めいたものを口にした俺を、不思議そうに見上げてくるライド。

「ハウスって何だ?」

 当然通じるわけもなく、まさかペットに向かっての指示だとは言えるわけもなく。

「……あー、家に戻ったら? って意味」

「ふーん、ハウスねぇ……。じゃあ今度、俺もハンナに使ってみるかなぁ」

 ぽりぽりと鼻の頭を掻くライドを見下ろして曖昧に笑っていると、ライドが若干空気を変えて立ち上がった。

 俺がそれ、に気付くより早かった。

「お疲れさん、クリフ」

「遅くなりました」

 所用で俺の傍を離れていたクリフが、申し訳なさそうに頭を竦めながらやって来る所だった。

 ライドはその肩を気にするな、とでも言いたげに軽く叩き、

「じゃあ俺は陛下の所に戻るわ。後、任せるぞ」

 気軽い口調ながらどことなく真面目な顔つきのライドが、そう言って書物庫を出て行く。

 一応、騎士としての最低限の威厳は守っているようだ、不思議なことに。彼の無茶振りは城内だけでなく城下にも蔓延っているらしいのに、今更体裁を保つ必要があるんだか無いんだか。

 クリフが左手で心臓の上を二回叩いて右肩を叩くあの奇妙な敬礼をしながら、尊敬の眼差しでライドの背中を見送っている。

 でも――床の上で寛いでいたくせに微かな足音を耳聡く聞き取る辺り、騎士としての実力は確かなのかもしれない。クリフの姿を見る前からそれがクリフだと知っていたかのように、騎士としてのライドの仮面を被ったのだから、きっとそうだろう。

 あれがハンナさんであれば、脱兎のごとく書棚の影に隠れていそうだもんな。

 書棚に隠れきらない大きな身体を必死に縮めているライドを想像したら、小さく笑い声が漏れてしまった。

 振り返ったクリフの怪訝そうな瞳に、慌てて手を振って応える。

「なんでもない」

 そうして突っ込まれる前に作業に戻る事にした。

 けれどクリフの痛い程の視線を感じて、すぐに目線を上げる。

 いまだ複雑そうに歪んだ顔でこちらを見ているクリフ。

「どうかした?」

と聞けば、躊躇いがちながらも口を開く。最初の頃に比べて、クリフの過大な期待や尊敬も薄れているようで、妙な緊張感は無い。

「やはり、ツカサ様もお国が恋しいですか」

 俺が書物を漁っている理由を、クリフも国王陛下だって知っている。ライドが言うには「好きにしろ」と何時もの冷徹な表情で許可してくれたらしいが、そもそも帰る手段が無い事を知っているのだろう。「無駄な事を」と伝言もされた。

 でもそれで「はい、そうですか」と納得出来ない。自分で見て確かめたいのだと言えば、「好きにしろ」がまた伝言された。何でわざわざライドを使って伝言ゲームみたいなやりとりをしなきゃいけないのか。

 でもクリフは知らない。俺が戻る手段を探しているのは、自分の生死がかかっているからだ。

 勿論、帰りたい。その気持ちはある。

 でもそれは、最初より薄れてもいた。この国に馴染みつつあるし、まるで旅行でもしているかのようで、若干楽しい気もしている。そこに生死が関わらなければ、しばらく滞在するのも悪くないなんて思っている自分も居る。

 何よりその方が、あの人達にとっては幸せかもしれない。

「……クリフは、外国の人だろ?」

「はい」

 俺の世界で言えばグランディアの人たちはヨーロッパ系、クリフは中東系だったから、以前もしかしてと聞いてみた。やはりグランディアを南下した国の出身らしい。貧しい国だからと出稼ぎにやってきて、奥さんと出会って結婚して、グランディアの国籍みたいなのを得て、ここで勤めている。そう易々と行ったり来たりが難しいのは職業とお国柄。

「故郷を離れていると、恋しいだろ?」

「……それは、そうです」

 迷った後、クリフは素直に頷いた。俺の言いたい事を察したのだろう。

「俺も、そういうこと」

 小さい頃から習ってきた剣道の大会では、前回負けた相手に勝とうと必死になっていた。気の合う仲間の居る学校、クラス、部活。竹刀を打ち合う音、道場に響く掛け声、匂い。腐れ縁の高志、厳しい父、面倒くさがりの兄に、無口な弟。好きな音楽、テレビに食べ物。あそこには、俺の生活の全てがあった。

「あっちの世界で、俺がどういう扱いになっているかとか、考える」

 行方不明、神隠し、家出。きっと高志が騒ぐ。

「家族や友人を悲しませるのか、不安にさせるのか、怒らせるのか」

 でもそんなものは。

「時間が経てば、俺が消えた事なんて何でもない事になるかもな。死んだものと諦めるとかさ。傷や悲しみは時間や周りの人が癒してくれる。いずれただの過去になる」

 どうにでも、なってしまう。

 人は感情を誤魔化すっていう、便利な機能もついている。

「まだ恋しがる程、実感がないんだよな。夢を見てるか旅行に来てるか、ぐらい」

 なんてったってまだ、このグランディアという国にトリップしてから正確には6日と半日だ。いまだ夢心地、もしくは長時間ぶっつづけでゲームをやっているような感覚に近い。

 ああ、でも

「……食事は恋しいかも。納豆に味噌汁、漬物……炭酸も飲みてぇなあ」

 ライスは出てくる事もあるけど、主食はパンで、フランス料理とかそっち系に近いコース料理には、当然の如く日本食は出てこない。飲み物も、紅茶とコーヒー、水、酒類、新鮮なフルーツジュースはあるようだが、炭酸飲料は無い。元々炭酸飲料は骨を溶かす、という理由であまり飲まなかったが、無いとなると不思議なもので恋しい。

 アレクセス城では基本王族と客人は広間で一緒に食事を摂るようだが、マナーが無い俺は参加しない。ライドやクリフは宿舎で、ハンナさんは空き時間に食事をするようで、身分や役割によって固まって食事をするもののようだ。俺は大公という、貴族みたいなものなので、従者であるクリフとかと一緒に食べてはいけないんだそう。だから、自然と俺は一人で食事を取るのだが、それは寂しいだろうというティシアさんの配慮で、話し相手としてクリフやライドが付き合ってくれる。

 慣れない料理、ナイフやフォークに悪戦苦闘したり、食べるものに一々感心する俺を見て知っているからか、クリフは眉根を寄せて顎を撫でた。初日にも見たその動作は、どうやら困った時のクリフの癖らしい。

「この世界の食べ物であれば厨房に頼む事も出来ますが……」

 あるのかどうか分からないからなぁ、と二人して顔を見合わせた。肉や魚や野菜などの食材は味や見た目はあれかな、と思うものがあるのだが、どうやら名称自体は必ずしも一致するものでは無かった。例えば昨夜のメニューの牛のステーキっぽいものは、ステーキという単語は一致したけれど、肉は牛ではなくヨルバという動物の肉だった。

「……ああ、思い出したら食べたくなって来た……」

 納豆のネバネバ、あの独特の匂い。ご飯と一緒に頂く、朝食には必ずといっていい程出ていたそれ。

「そろそろ昼食の時間ですから、戻りましょう」

「そうだね」

 壁にかけられた時計を見ながらクリフが言うので、俺も頷いて立ち上がった。読みかけの本には栞を挟む。

 座っていた時は気付かなかったけれど、結構な空腹を感じる。

「日本食ではないけど、この国のご飯って美味しいんだよなぁ!」

 今日は果たして何が食べられるのか。

 浮き足立つ俺の数歩前を歩きながら、クリフが小さく笑ったようだった。




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