第五話 夜営
夜営の準備は、思いのほか手早く進んだ。
騎士団は手慣れたもので、火を起こし、簡易の結界を張り、見張りを配置する。
まるで動きに無駄がない。
クロトは焚き火から少し離れた場所で、地面に腰を下ろしていた。
使い魔の残滓はすでに消え去っている。
それでも、無意識に神経を尖らせてしまう。
「……疲れているのか」
頭上から声が落ちてきて、クロトは顔を上げた。
グリズリッドだった。
「いえ、特に」
「目の届く範囲にいろ」
そう言って、グリズリッドは衣擦れの音をさせてクロトの隣に腰を下ろす。
ふわりとシダーウッドの香りが鼻腔をかすめた。
鉄と革と、汗と埃の匂いに混ざる爽やかな香り。
なんでこの人こんなに良い匂いなの。
(……私大丈夫?)
思わず自分の臭いが心配になる。
焚き火の明かりが、グリズリッドの横顔を照らす。
こうして近くで見ると睫毛が長い。
すこし伏せたそれは優雅に頬に影を落としている。
ひどく儚げで、まるで少女のようにも見えた。
(……いけない。変なところに目が行く)
けれど、時折向けられる彼の視線はどこか鋭く、射抜くような冷たさを孕んでいる気がした。
(……やっぱり、聖女を断ったから怒ってるのかしら)
クロトはグリズリッドから意図的に目を逸らす。
「騎士団員は名門の家門の子息も多いが、そうでないものもいる」
唐突に始まった説明に、クロトは慌てて背筋を正し、なるべく真面目な顔を作って頷いた。
「一応貴族女性なのだから、一人で暗がりにいるのは――」
クロトはしばらく目を瞬いてから、グリズリッドの言葉を予想して吹き出した。
「なんだ」
むっと整った顔をしかめて、グリズリッドが睨む。
「いえ、ありがとうございます」
クロトは笑いを堪えてお辞儀した。
「私、結構強いんですよ」
右手に力こぶを作るような所作をしてみせると、グリズリッドは目を細めて目を逸らす。
「つまり」
グリズリッドは不機嫌に眉を寄せる。
「夜は不用意に動くな。見張りの配置上、邪魔になる。……それに、目の届かないところで妙な真似をされても困るからな」
「はい」
シンプルに怒られ、すこし項垂れる。
沈黙が訪れ、焚き火の爆ぜる音がやけに耳についた。
「ひとつ聞いていいだろうか」
丁寧な前置きに、クロトは顔を上げてから頷く。
「そもそも黒魔導士とはなんだ?」
教科書的な答えを求めているのではない、と直感する。
魔導士ではない彼が知りたいのは、魔導士の答えだ。
「まず、黒魔導士という存在自体が御伽話めいた話であることを前置きします」
クロトは言葉を選びながら説明を始めた。
「魔力を持って、闇と契約した者のことです」
「闇……」
聞き慣れない言葉なのだろう。
眉を顰め、ぽつりと小さくグリズリッドは呟く。
「闇は……とても抽象的なので、なんと説明したら良いか迷ってしまうのですが――人間の仄暗い感情に寄り添います。嫉妬、憎悪、執着などの感情を強く持った魔導士が闇に堕ち、黒魔導士と化してしまうことがあると言われています」
「殺された魔導士たちが心臓を抉られていたのはなぜだかわかるか」
「魔導士の魔力は心臓に集まり、血管を通って全身に巡ります。黒魔導士は自身の魔力を強化するために魔導士の心臓を狙っているのだと思います」
「……なるほど」
そう言ったきり、彼は考え込むように焚き火を見つめ、押し黙ってしまった。
「……あの、殿下はこの後お休みになるんですよね?」
「ああ」
そうよね、王子様がさすがに見張りはしないですよね。
「私はどちらで護衛しましょうか?」
変なことを聞いたかしら。
グリズリッドの顔が固まる。
「必要ない」
そう言って、ぷいと横を向かれてしまった。
「そうはいきません。私の任務は殿下の護衛も含まれているんですよ」
断られるとは思っていた。
嫌がりそうだもの。
でもクロトだって引き下がるわけにはいかない。
「遠征は始まったばかりだ。初日から徹夜する気なのか」
クロトは目を丸くする。
「護衛中は眠りません」
グリズリッドはぎょっと目を剥いた。
「人間にそんなことできるはずがない」
拷問の一つに、断眠というものがある。
意識が飛びそうなほど痛めつけ、眠りそうになると起きるまで殴るのだ。
眠れないというのはそれほど人間には堪える。
「回復魔導がありますから。眠らなくても回復できます」
しれっと答えるクロトに、わずかに顔を引き攣らせたグリズリッドが音もなく立ち上がった。
「黙って休め」
短く言って、グリズリッドは自分のテントへ足を向ける。
一歩だけ踏み出したところで再びこちらに振り返った。
「そこは冷えるから早く行け」
グリズリッドの後ろ姿がだんだん小さくなるのを見送りながら考える。
(護衛がいらないと言われてしまった)
背中に夜風が当たる。
クロトは無意識に肩をすくめた。
(まあ、王命ですから。陛下の命令を優先させますけどね)
気配を完全に消し、彼女は王子の後に続いた。




