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ライターの火、そして空。



僕は身支度を整え、表に出る事にした。身支度といっても簡単なものだ。ジャージから、ジーンズに履き替え、乱れきった髪には適当な帽子をかぶった。


それだけの事。


それだけの事なのに、僕は外出を避けていたように思う。外に出ると彼女の思い出が多すぎるんだ。



駅の改札。



彼女が見えなくなるまで、必ず見送っていた改札。




その改札も、4月に工事が入るという。




再開発という名の元、真新しい駅ビルに作りかえられてしまう。思い出も精算しなさいとでも言わんとしているが如く。



別れ際、一度お別れをして、手を振って、見えなくなる直前にもう一度振り返って手を振ってくれるのが、いつもの彼女の姿だった。僕らの恒例だった。



別れた最後の日だけ、彼女は振り返らなかった。



ただ、それだけの話。ずいぶん昔のように感じる話。今の僕自身とは切り離された別の世界で存在していた『無意味な出来事』のように感じる話。





僕はひとり電車に乗り、動物園に向かった。





僕は彼女との思い出を追体験しようとしてる自分に気づいた。僕が歯ブラシを目にして、動物園に行く事を考えたのは、彼女に近づきたかったからだ。もう居ない彼女、その幻影に近づきたいと思ったからだ。不毛だという事は自分でも理解している。無意味だという事は分かっている。


それでもそうしたかった。そうでもしないと壊れてしまいそうだった。



気持ちワリィなー



分かってんだよ!そんな事!



ただ、いいじゃないか別に!そのくらい、無害だよ!一日ぐらい好きにさせてくれ!




電車の中では逆に孤独に感じる。自動改札を通り、携帯で時刻表を確認し、最短で進む。途中、誰とも口を利く事もない。


僕はひまつぶしに用意した文庫本をぼんやり眺めた。文字を追っても、頭には何も入らない。無意味な抽象な羅列に見える。


そして窓の外は相変わらず脳天気に "青" だ。


全ての街中のコントラストを強め、柔らかい空気に包んでいる。それが僕にはハナにつくんだ。全てを強引に幸せ色に染めようとしてる青空。


僕はその空に多少の嫉妬すら感じる。


この強引さが、僕の心にもあれば、どれだけ楽なのだろう。



僕は洞穴から出られない動物のように感じた。


彼らが洞穴から見る日の光と、僕の部屋に差し込む日の光とは、そこまでの大差は無いのではないか?そう思えた。



上野までは、二回乗り換えれば着いてしまう。その程度の距離だ。



僕はその程度の距離ですら、あまり足を運んだ事がなかった。パンダに会いたい!パンダに会いたい!を彼女に繰り返された結果、ようやく重たい腰をあげて数回向かった程度だ。




もうそのパンダもいない。




一昨年死んだからだ。僕は主のいないパンダ舎の前でぼんやりとしていた。



最後にここで見たパンダは、すごく年老いて見えたが、それでものんびりと幸せそうに見えた。まるで愛されて年老いた老婆のような、柔らかい安らぎの表情がそこにはあった。のんびりササを食べ、ころころ寝転がるパンダ。


寝転がるたびに、皆が歓声を上げる。



今、そのパンダ舎で立ち止まる人は少数だ。もういないのだから。




僕はそこで、彼女の嬉しそうな表情を思い出した。「パンダー!」と子供のように声を上げる彼女。僕はその時、やれやれと、気にも留めなかったように思う。数年後、この気にも留めなかった瞬間を思い出すなんて、その時は想像すらしなかった。




僕はその場を離れ、煙草に火を点けた。そして空を見上げた。




あの時の幸せな日々は、今のこの辛さを与える為ですか?と僕は空に問いただしてみた。



その質問は単に吸い込まれるように空に消えていった。当たり前だ。






少し気がラクになった。






僕は目線を下に戻した時、小柄な女の子がそこに立っていた。無表情だけどかわいらしい服装をしていた。



その子は何も言わず、僕の顔を見つめ、手でライターで火を点けるジェスチャーをしていた。



見ると彼女は口に煙草をくわえていた。



どうやら "火を貸して欲しい"、そんなところのようだ。



「あ、火ね。」と僕は言って、ライターを差し出した。



ただ、ライターはガスが切れかけていた。



なかなか火がつかない。僕はその子に少し近づき、ライターと煙草の回りを手で覆ってやって、ようやく火がついた。



彼女はペコッと頭を下げ、そのまますたすたとどこかへ行ってしまった。




僕は適当なベンチに座って、ふたたびぼんやりしていた。何をしてるんだろう?何をやってるんだろう?家に帰ってもすることないし、ここに居てもする事ないし。



とりあえず脳天気な空を見上げた。目線いっぱいの青空。



少しだけの雲。




青と白だなーと、ぼんやり拡がるその視界の中に、にゅっと彼女が入り込んできた。



手にはカップに入ったコーヒーがあった。



そして僕に差し出した。何も言わずに。



"あげる" という事のようだ。



僕はそのコーヒーをありがとうと言って受け取った。温かい。ライターのお礼だろうか?僕はその日、初めて人に触れたような気がした。初めて口を利いたような気がした。



ただ、僕は少し彼女に対して不自然さを感じた。無口な人。だけど単なる "無愛想な人" には思えなかったのだ。



「もしかして喋れない?」僕は口に出して聞いてみた。



違っていたら、大変に失礼な発言だ。ただ僕は直感的にそう思ったんだ。



彼女は自分の口の前で人差し指で小さな×を作った。"喋れない" 間違ってなかった。


更に、彼女は自分の耳をトントンと指挿し、同じように指で「×」を作った。



"耳も聞こえない"



…そういう事のようだ。



僕の直感は間違ってなかった。



暫くの沈黙が走った。僕が今まで経験したことのない状況だからだ。



僕は「ありがとう」という事を伝えたかったのだが、なんだか上手く伝わらないような気がした。


ひとまず、声に出して "ありがとう" と言ってみた。



彼女はある程度唇を読めるようで、それなりに笑顔で答えてくれた。



ただ、それでもまだ不十分な気がした。



紙に書こう…といっても、紙なんて無い。ペンも無い。



僕は携帯電話にありがとうと打って、それを彼女に見せ、そして大げさに頭をブンッブンッと二回下げてみた。



その大げさな動きが彼女にはおかしかったのか、声には出さないものの、おなかを抱えて笑った。



そして彼女も携帯を取り出した。



「お一人ですか?」



そう書いてあった。



僕は「ひとりです」と打って、それを見せた。




「じゃご一緒にいかがですか?動物園めぐりを!」と携帯には書いてあった。




僕は「もちろんです!」と打って、それを彼女に見せた。




脳天気なお日様の光が僕に少しだけ味方し始めたような気がした。




気のせいかもしれんが。




(続きます!)

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