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05:灰色の断罪

 冬の空は、鉛を溶かし込んだように重く、低い。

 建国記念式典の朝。王城の窓から見える景色は、どこまでも灰色に沈んでいた。その単調な色彩は、私の心象風景をそのまま映し出したかのようだった。


 もはや、ゲームの卒業パーティーなどという生ぬるい舞台は、私の未来には用意されていなかった。運命が私に用意した断罪の場。それは王侯貴族、神殿関係者、そして各国の使節団までが一堂に会する、この国で最も荘厳で、最も公的な式典だった。


 宰相オルドリッジ侯爵が仕掛けた罠は、巧妙かつ悪辣だった。数ヶ月にわたり、彼らは周到に布石を打ってきた。ヴァインベルク領の豊かさは「私腹を肥やす強欲」として、私の献策は「皇太子を操る野心」として、そして私のリリアーナへの態度は「聖女への迫害」として、人々の心にじわじわと、しかし確実に刷り込まれていった。


 私は父と共に、その流れに抗おうとした。領地の富がいかに国益に繋がるかを説き、政策がいかに民を豊かにするかを訴えた。

 だが、私たちの理路整然とした主張は、リリアーナが流す一筋の涙の前では、あまりにも無力だった。「可哀想な聖女」と「傲慢な公爵家」という、単純明快で扇情的な物語は、理屈を超えて人々の心を掴んでしまった。


 式典が執り行われる大広間は、緊張感に満ちていた。きらびやかな装飾も、居並ぶ人々の華やかな衣装も、どこか色褪せて見える。

 私の隣には、婚約者であるクラウス皇太子が立っていた。彼の表情は硬く、その紺碧の瞳には苦悩の色が深く刻まれている。

 彼は私と父の言い分を信じようとしてくれていた。だが、彼もまた、王太子という立場、そして宰相派が作り出した「世論」という巨大な圧力に苛まれていることは明らかだった。


「エレオノーラ」


 クラウスが、誰にも聞こえないほどの声で囁いた。


「何があっても、私は君を信じる」


 その言葉は、私の凍てついた心にほんのわずかな温もりを灯した。だがその温もりも、これから吹き荒れるであろう嵐の前では、あまりにもか弱い炎だった。


 国王陛下による祝辞が終わり、式典が厳かに進行していく。そして、宰相オルドリッジ侯爵が、恭しく一歩前へ進み出た。

 その瞬間、大広間の空気が張り詰めるのを肌で感じた。

 来たのだ。

 この日のために、彼らが用意した破滅のシナリオが、今、幕を開ける。


「陛下、並びに御列席の皆様。この喜ばしき日に、甚だ僭越ながら、申し上げねばならぬ儀がございます」


 宰相の声は、よく通った。

 その声には悲痛さと正義感が、巧みに織り交ぜられている。


「今、この王国は、内側から蝕まれようとしております。王家の安寧を脅かし、国家の根幹を揺るがさんとする、重大な危機に瀕しているのでございます」


 ざわめきが波のように広がる。

 国王陛下は、厳かに宰相に発言を促した。


「申してみよ、オルドリッジ」

「はっ。その危機とは、ヴァインベルク公爵家による、目に余る権力の濫用。そして、国家転覆の企みに他なりません!」


 断言だった。もはや何の躊躇もない、剥き出しの告発。

 父が憤然と声を上げようとするのを、私は礼服の袖を掴んで制した。ここで感情的になっては、相手の術中にはまるだけだ。

 驚愕する式典参加者たちを前にして、宰相は次々と「証拠」を並べ立て始める。


「第一に、ヴァインベルク家による不正な蓄財と軍備の増強! 彼らはこの数年で、王家の直轄領を遥かに凌ぐ富をその手に収めました。名目は領地の発展とございますが、その実態は来るべきクーデターのための資金集めであり、領民を徴兵し、密かに軍事教練を施していたとの報告も上がっております!」


 嘘だ。

 富を得たのは事実だが、それはすべて領民の生活向上のためだ。軍事教練など、自警団の強化に過ぎない。

 だが、事実はどうとでも捻じ曲げられる。宰相派の息のかかった役人が用意したのだろう偽りの報告書が、恭しく国王の元へ届けられた。


「第二に、エレオノーラ・ヴァインベルク嬢による、皇太子殿下の篭絡! 彼女は自らの知識をひけらかし、数々の献策をもって殿下に取り入り、その判断力を曇らせ、意のままに操ろうと画策いたしました。彼女の最終目的は、殿下を傀儡の王として即位させ、自らが影の支配者としてこの国に君臨することにございます!」


 私の隣で、クラウスが息をのむのが分かった。

 彼と交わした真摯な議論の日々が、こんなにも醜い言葉で塗り潰されていく。私の知性も、国の未来を思う心も、すべては「野心」という一言で片付けられてしまった。


「そして第三に! これが最も許しがたい罪! ヴァインベルク家は、神に選ばれし聖女、リリアーナ・メイフィールド嬢を、その出自の低さを理由に迫害し、その存在を亡きものにしようとしたのでございます! これは、神への冒涜であり、民の心を束ねる信仰への挑戦に他なりません!」


 最後の切り札が切られた。

 宰相の言葉が終わるや、大広間の扉が開き、そこにひとりの少女が姿を現した。

純白の、飾り気のないドレスを身にまとったリリアーナ。神殿の神官たちに付き添われ、彼女はゆっくりと、しかし確かな足取りで、玉座の前へと進み出る。その顔は青白く、大きな翠の瞳は涙で潤んでいる。か弱く、清らかで、そして何者かにひどく怯えているように見えた。


 彼女の姿を目にした瞬間、大広間の空気は完全に変わった。貴族たちの間から、同情と憤りの声が上がる。彼女こそが、この告発劇の正当性を担保する、生ける証拠だった。


「リリアーナ・メイフィールドよ」


 国王が、静かに語りかける。


「そなたに問う。ヴァインベルク家の者たちから、如何なる仕打ちを受けたのか。真実を、ありのままに申してみよ」


リリアーナは、か細い声で、しかし、そこにいるすべての者に聞こえるように、ゆっくりと語り始めた。


「私は……エレオノーラ様から、直接何かをされたわけではございません……」


 その一言に一瞬、安堵の空気が流れる。だが、それは巧妙な罠だった。


「でも……エレオノーラ様は、いつも遠くから、私を見ていらっしゃいました。その瞳はとても冷たくて……私が、皇太子殿下とお話しするのを、とてもお嫌いなご様子でした……」


 彼女は、事実と、自分の主観を巧みに織り交ぜていく。


「私が皆様に親切にしていただくと、その翌日には、私と親しくしてくださった方々が、エレオノーラ様派の令嬢たちから冷たくされるのです。私が、学園で孤立していくのが、まるで当然のことのように……」


 ただ、彼女の周囲に起きたことを述べるだけ。だがその言葉のひとつひとつが、まるで私の思惑によるものであるかのように印象付けられていく。


「ヴァインベルク公爵様が領地を豊かにされて、その力がとても大きくなっていくのを見て、私は……怖かったのです。エレオノーラ様と皇太子殿下が、私のような平民のいない、もっと別の、おふたりにとって都合の良い国を、お作りになりたいのではないかと……」


 それは、悪意に満ちた嘘ではなかった。おそらく、彼女自身が信じている「真実」なのだろう。周囲から吹き込まれた恐怖と、彼女自身の劣等感と、そしてほんの少しの嫉妬が混ざり合って生まれた、歪んだ物語。

 だが、その「純粋な証言」は、何千もの嘘よりも雄弁に、私たちを断罪した。彼女が涙を流せば流すほど、私たちの罪は重くなっていく。


「嘘だ!」


 遂に、父が叫んだ。


「陛下! すべては宰相の、そしてあの娘の作り話にございます! 我々は断じて、そのような大それたことを企んではおりません!」


 私の反論も、それに続いた。


「メイフィールド嬢の証言は、すべて彼女の主観と憶測に過ぎません。私が彼女を避けていたのは事実ですが、それは無用な諍いを避けるため。領地の発展は国力に繋がり、皇太子殿下との議論は、すべてこの国の未来を思ってのこと。何ひとつ、やましいことなどございません!」


 私は冷静に、理路整然と訴えた。

 だがもはや、誰も私の言葉に耳を貸さなかった。私の冷静さは「悪女の厚顔無恥」と映り、父の激昂は「追い詰められた罪人の足掻き」としか見なされない。


 ヒロインの攻略対象者たちが、リリアーナを庇うようにして前に進み出る。


「陛下! リリアーナは、これほどまでに苦しんでいたのです!」

「ヴァインベルク家の傲慢は、もはや看過できませぬ!」


 貴族たちは、勝ち馬に乗ろうとして次々と宰相派に同調の声を上げる。

 神官たちは、聖女を迫害した不敬な者たちを糾弾する。

 大広間は、私たち親子への非難の声で満ちていった。


 それは、集団による魔女狩りだった。

 理性も、論理も、証拠の真偽さえも、もはや意味をなさない。

 ただ、熱狂とヒステリーがすべてを支配していた。


 私は絶望的な気持ちで、最後の希望を託すように、隣に立つクラウス皇太子を見上げた。彼は唇を固く結び、顔を青ざめさせている。その紺碧の瞳が、私と、父と、宰相と、そしてリリアーナの間を、苦悩に満ちて揺れ動いていた。

 クラウスは言ってくれた。「信じる」と。

 その言葉を、どうか、今、形にしてほしい。


 国王が、重々しく口を開いた。


「クラウス。そなたに問う。そなたは、ヴァインベルク家の企みについて、何か知るところはあったか。そして、婚約者として、エレオノーラをどう見るか」


 すべての視線が、皇太子に集中した。

 彼の答えひとつで、私たちの運命が決まる。


 クラウスは、ゆっくりと私に視線を向けた。その瞳には、深い哀しみと、そして、どうすることもできない絶望の色が浮かんでいた。

 彼は、私を信じてくれている。

 だが、彼は同時に、皇太子でもあった。

 宰相が作り出したこの状況で、もし彼が私たちを擁護すれば、彼自身が「共犯者」として断罪されかねない。王家の権威は失墜し、国は内乱に陥るだろう。


 愛するひとりの女と、王国という巨大な責務。

 クラウスは、比べようのないふたつを、己の天秤にかけられた。

 そして、彼が下した決断は――。


「……エレオノーラ・フォン・ヴァインベルクは、確かに類稀なる才覚の持ち主です。彼女の知識は、この国の未来に貢献しうるものだったかもしれません」


 彼は、静かに語り始めた。

 その声は、感情を押し殺したように平坦だった。


「しかし、その才覚は、あまりに危険なものでした。彼女の自信は傲慢へと変わり、その力は、国の秩序を乱すに至った。……聖女リリアーナを苦しめたことも、事実なのでしょう。私の心が、エレオノーラに傾きかけたことで、彼女を増長させてしまったのかもしれない。その責任は、私にもあります」


 彼の言葉が、一本、また一本と、私の心に杭を打ち込んでいく。

 信じる、と言ったのに。

 あなただけは、分かってくれると、そう思っていたのに。


「父上、陛下。そして皆の者よ。私は、王国の第一王子として、ここに宣言する」


 彼は、一度目を伏せると、決然と顔を上げた。

 玉座の父と、大広間のすべての者たちに向かって、非情な宣告を下す。


「エレオノーラ・フォン・ヴァインベルク。そなたとの婚約は、ただ今をもって破棄する。そして、国家転覆を企てた大罪人として、そなたとヴァインベルク公爵家を、断罪する」


 その瞬間、世界から音が消えた。

 シャンデリアの光が、白く、白く、弾けていく。

 ああ、やはり、こうなるのか。

 だが、これは、私が知っているシナリオではない。ゲームの断罪は、もっと個人的で、もっと些細なものだったはずだ。嫉妬に狂った愚かな悪役令嬢が、その罪を償うだけの、小さな悲劇。

 なのに、今、私が着せられている罪は、国家への反逆。

 私が受けた仕打ちは、愛し始めた人に、その手で奈落の底へ突き落とされるという、あまりにも残酷な裏切り。


 理性を尽くし、最善を求めて行動した結果が、これなのか。

 愚かなままだったなら、こんな絶望を味わうことはなかった。彼を本気で好きになることも、彼の知性に触れて心を通わせる喜びを知ることもなかった。希望を知らなければ、絶望することもなかったのに。


 騎士たちが、私と父を取り囲む。私はもう、何の抵抗もする気が起きなかった。

 連行されていく私の視界の端に、涙を拭い、ほっとしたように微笑むリリアーナの顔と、彼女に寄り添う攻略対象者たちの姿が映った。

 そして、私に背を向け、固く拳を握りしめる、クラウスの後ろ姿が見えた。


 灰色の空の下、灰色の石でできた王城で、灰色の断罪が下される。

 私の世界から、あらゆる色が失われていく。

 すべては、計算外の悲劇。

 私の理性が招いた、最悪の結末だった。



 -つづく-


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