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04:計算外③ 政治的陰謀

 私の人生が、単なる学園内の恋愛劇ではなく、国家を揺るがす政争の舞台へと引きずり込まれている。そのことに気づいたのは、秋も深まった頃。きっかけは、宰相であるオルドリッジ侯爵が主催した、収穫を祝う晩餐会でのことだ。


 生家であるヴァインベルク公爵家と、宰相のオルドリッジ侯爵家は、長年にわたる政敵だった。王家への影響力を巡り、常に水面下で牽制し合ってきた。クラウス皇太子と私の婚約は、王家がヴァインベルク家を懐柔するために結んだものであり、宰相派にとっては苦々しいものであったはずだ。


 その晩餐会で、私は父と共に、宰相から直々に声をかけられた。


「ヴァインベルク公爵。近頃、貴領の羽振りは大変よろしいようですな。甜菜糖に、新しい品種の小麦。うらやましいほどです。陛下の耳にも、その目覚ましい発展ぶりは届いておりますぞ」


 白髪を綺麗に撫でつけた老獪な宰相は、好々爺然とした笑みを浮かべている。だがその目はまったく笑っていない。


「これもひとえに我が娘、エレオノーラの働きのおかげでございます」


 父が誇らしげに答える。傍目には、得意げに娘を自慢する姿にしか見えない。だが笑顔の父もまた、冷え切った目で宰相を見ている。

 私はただ、淑やかに微笑んでみせるだけだ。


「ほう、公爵令嬢が。それは素晴らしい。ですが……」


 宰相は言葉を切ると、意味ありげに私を見た。


「あまりに急激な富の集中は、時として他者の妬みを買い、国の不和を招く元ともなりましょう。特に、その力が一貴族に過ぎぬとあらば……いらぬ疑いを招きかねませぬな」


 それは、紛れもない警告だった。

 ヴァインベルク家の台頭を、宰相派は危険視している。私たちの成功は、彼らの権力を脅かすものなのだ。

 私はその時、はっきりと理解した。私の戦うべき相手は、もはやリリアーナや攻略対象者たちだけではない。父の代から続く、この国の権力構造そのものが、私の前に立ちはだかっているのだ。


 そして、その政争の舞台に最悪の駒が投入される。

 リリアーナ・メイフィールドだ。


 宰相はわざとらしく周囲を見回すと、少し離れた場所に立つリリアーナに手招きをした。彼女は、数人の攻略対象者に守られるようにして、おずおずとこちらへやってきた。


「おお、メイフィールド嬢。近頃は神殿にも熱心に通い、聖女としての務めに励んでおられるとか。実に感心なことだ」


 宰相の言葉に、リリアーナははにかんで俯く。その仕草一つで、周囲の貴族たちから同情的な溜息が漏れた。


「エレオノーラ様も、メイフィールド嬢の信仰心を見習われてはいかがかな? 領地経営も結構だが、貴族の女性としての徳を積むことも、皇太子妃となるお方には肝要かと存じますぞ」


 それは遠回しな非難だった。実利ばかり追い求めるヴァインベルク家と、信仰心篤く清貧な聖女。その対比を、宰相は意図的に作り出し、周囲に印象付けている。


 リリアーナは、宰相派にとって、まさにうってつけの旗印だった。

 彼女は平民出身で、特定の貴族派閥に属していない。

 純粋な信仰の象徴として、民衆からの支持も得やすい。

 そして何より、彼女はヴァインベルク家の令嬢である私と、皇太子を巡る「恋敵」という分かりやすい対立構造の中にいる。


 宰相派は、私たちの対立を、単なる若い男女の痴話喧嘩から、「私利私欲に走る強欲な大貴族」と「清く正しく国を思う聖女」との代理戦争へと、巧みにすり替えようとしていたのだ。


 その策略は、着実に実を結びつつあった。

 私がヴァインベルク領の財政を立て直すために行った改革は、「ヴァインベルク家が国庫を脅かすほどの私腹を肥やしている」と噂された。

 私が皇太子に献策した国の政策案は、「エレオノーラが皇太子を傀儡とし、ヴァインベルク家が王国の実権を握ろうとしている」という陰謀論に繋がった。

 私がリリアーナを避けていた事実は、「傲慢なエレオノーラが、平民出身の聖女を認めず、排斥しようとしている」という物語に仕立て上げられた。


 私が良かれと思って行った、理性的で合理的な行動の数々。それらが政敵の手にかかれば、すべて国家転覆を企む大罪の証拠に変換されてしまう。


 恐ろしいのは、そのどれもが、ある一面では事実であることだ。

 ヴァインベルク家が豊かになったのは事実。

 私が皇太子に影響を与えているのも事実。

 私がリリアーナを快く思っていないのも、見方によっては事実だ。

 悪意ある解釈を加えるだけで、事実は簡単に凶器へと変わる。


 いたたまれない思いを噛み締めた晩餐会を乗り越え、数日後。私は父の書斎に呼ばれた。そこには、見たこともないような険しい表情の父が待っていた。


「エレオノーラ。お前に、正直に話さねばならんことがある」


 父が私に差し出したのは、一通の密書だった。そこには、宰相派が王家の許可を得ずにヴァインベルク領内で独自の諜報活動を行っていること、そして私たちの改革の成果を「不正な蓄財」や「軍備の増強」として陛下に報告していることが記されていた。


「奴らは、我々を潰す気だ。お前と皇太子殿下の婚約を破棄させ、代わりにメイフィールド嬢を神殿の権威と共に王家に送り込み、我々の影響力を完全に削ごうとしている」

「そんな……。陛下は、それを信じておいでなのですか?」

「陛下は賢明な方だ。だが、宰相は巧みだ。民衆と神殿を味方につけ、外堀を埋めにかかっている。すべてが整ってしまえば、陛下でも異議を唱えられなくなる。どうやら皇太子殿下がお前に心惹かれていることが、奴らの危機感をさらに煽ってしまったようだ」


 まただ。

 また、私の行動が裏目に出ている。

 私の行動が実を結べば、ヴァインベルク家は豊かになり、政敵の警戒心を招く。

 私が皇太子と良好な関係を築くほど、宰相派は危険視し、排除しようと動く。

 私が破滅を回避しようとすればするほど、それは国家規模のより巨大な破滅となって、すぐそこまで迫ってこようとする。


 ゲームのシナリオでは、私の断罪は卒業パーティーという小さな舞台で行われる、個人的な悲劇のはずだった。だが私が運命に抗った結果、物語は遥かに大きく、複雑なものへと変貌してしまった。


 これはもう、乙女ゲームではない。

 血生臭い、権力闘争だ。


 そして、その中で、リリアーナは純真無垢な聖女の仮面を被った、最も強力な切り札として利用されている。

 いや、本当に彼女は利用されているだけなのだろうか。

 宰相の隣で、困ったように、しかしどこか誇らしげに微笑む彼女の顔が脳裏に浮かぶ。彼女は自分に集まる注目と権力を、心地よく感じているのではないか。自分が悲劇のヒロインであり、聖女であるという物語を、誰よりも楽しんでいるのではないか。


 その考えに至った時、私は全身から血の気が引くのを感じた。

 もしそうなら、私はあまりにも無力だ。

 私は、理性と論理の世界で戦おうとしていた。だが、敵が戦っているのは、感情と物語と陰謀が渦巻く、まったく別の土俵だった。私の武器は、そこでは何の役にも立たない。


「エレオノーラ」


 父が、私の肩に手を置いた。


「もはや退くことはできん。我々が生き残る道は、宰相派が我々を断罪する前に、こちらの正当性を証明し、王家にとって不可欠な存在であり続けることだけだ」


 それは、宣戦布告だった。

 望まぬままに、私は巨大な政治の渦の中心に立たされていた。


 私はもう、ただの悪役令嬢ではなかった。

 ヴァインベルク公爵家の未来を、そして下手をすればこの国の未来を左右する、政争の駒。そして、その首には、宰相派と、聖女リリアーナという、ふたつの刃が突きつけられていた。


 冷静な思考は、もはや慰めにすらならなかった。

 どれだけ計算を重ねても、盤上には常に、計算外の駒が現れる。そしてその駒は、いつも私にとって最悪の動きをするのだ。

 私は、自分が作り変えてしまったこの恐ろしいシナリオの中で、ただ、息を潜めることしかできなかった。



 -つづく-


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