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03:計算外② ヒロインの『聖女』性

 リリアーナ・メイフィールドという少女が持つ本当の恐ろしさ。私がそれを理解したのは、季節が初夏に移り変わった頃だった。


 私の「不干渉」戦略は、一見すると完璧に機能していた。私は彼女に関わらない。彼女も私に近寄ってこない。それで万事解決、のはずだった。


 しかし、現実はそう単純ではなかった。

 私が何もしなくても、「エレオノーラ様がリリアーナをいじめている」という物語は、周囲の人間たちの手によって勝手に紡がれていったのだ。


 その日、私は学園の図書館で、古代魔法言語の文献を読んでいた。ヴァインベルク領で新たに見つかった遺跡の碑文を解読するための下準備だ。集中していた私のもとに、学友である子爵令嬢が血相を変えて駆け込んできた。


「エレオノーラ様! 大変ですわ!」

「どうしたの、騒がしい」

「メイフィールド嬢が……! 中庭で倒れたと!」


 その言葉に、私の眉がぴくりと動く。

 またか、というのが正直な感想だった。

 ここ数ヶ月、リリアーナの周りでは、こうした「悲劇」が頻発していた。


 私が選択しなかった魔法実技の授業で、彼女は魔力制御に失敗し、暴発した魔法で怪我を負った。その場に居合わせた攻略対象者のひとり、魔術師団長の息子・サイラスは「彼女がこれほど追い詰められているのは、誰かのせいだ」と公言した。その「誰か」が誰を指すかなど、言うまでもない。


 私が主催を辞退した茶会で、彼女は他の令嬢たちに囲まれ、平民の出自を詰られた。もちろん、私はその場にいなかった。しかし令嬢たちの中にはもともと私と親しかった者もいたため、「エレオノーラ様の意を受けてのことに違いない」という噂が瞬く間に広まった。


 そして、今回の中庭での一件。

 私が図書館を出て野次馬の後ろから様子を窺うと、そこには案の定、物語の登場人物たちが揃っていた。地面に座り込み、真っ青な顔で喘ぐリリアーナ。彼女を抱きしめ、心配そうに声をかけるオスカー辺境伯子息。そして、周囲には同情的な視線を送る生徒たち。


「リリアーナ、しっかりしろ! 一体何があったんだ!」

「……わ、かりません。急に、胸が苦しくなって……。誰かの、強い憎しみが、私の聖なる力と反発して……」


 か細い声で、彼女はそう呟いた。

 憎しみ。その言葉に、周囲の空気が凍る。

 誰もが、その憎しみの発信源を、同じ方向に探した。

 そして、何人かの視線が、遠巻きに見ていた私に突き刺さる。


 馬鹿馬鹿しい。

 私は一日中、この図書館に籠っていたのだ。憎しみを送る暇などない。

 だが、そんなアリバイは意味をなさなかった。リリアーナが「感じた」と言えば、それが真実になる。彼女は聖属性魔力を持つ、特別な存在なのだから。


 その時、リリアーナを介抱していたオスカーが、私に気づいた。彼は憎悪に満ちた目で私を睨みつけ、叫ぶ。


「エレオノーラ・ヴァインベルク! 君はどこまで彼女を苦しめれば気が済むんだ!」

「……私が何をしたと仰るのですか、オスカー様」


 私は冷静に返した。ここで感情的になれば相手の思う壺だ。


「君が何もしなくとも、君の存在そのものが彼女を苛んでいる! 君の邪な心が、純粋なリリアーナの聖なる力を蝕んでいるんだ!」


 邪な心。面白いことを言う。領地の民の暮らしを思い、国の未来を案じることが、邪な心だというのか。

 だが、彼らにとってそんなことはどうでもいい。彼らにとっての「正義」は、か弱く美しい少女を守ること。そして、その少女の敵である「悪役令嬢」を断罪することだ。


 私の「不干渉」は、最悪の形で裏目に出ていた。

 私が何もしないことで、私は「姿を見せない黒幕」という、より邪悪で、より底の知れない存在へと祭り上げられてしまったのだ。

 直接的な嫌がらせは、まだ弁明の余地がある。だが「存在そのものが悪」とされてしまえば、もう反論のしようがない。


 リリアーナは、自分の持つ「ヒロイン」という属性を、最大限に利用していた。

 彼女は決して、私を名指しで非難しない。「誰かの憎しみ」と、曖昧に表現する。彼女が悲しげな顔で俯くだけで、周囲の騎士たちが勝手に犯人を特定し、断罪してくれる。彼女は手を汚す必要がない。彼女はただ、か弱く、純真で、迫害される「聖女」であり続ければいい。


 彼女のその在り方は、無自覚なのか、それとも計算ずくのしたたかさなのか。

 以前の私なら、きっと前者だと思っただろう。ゲームのヒロインなのだから、純粋無垢に決まっている、と。だが今の私には、彼女の涙の奥に、自分の望む状況を作り出すための冷たい意志のようなものが透けて見えた。


 彼女は、自分を「弱者」という安全地帯に置き、そこから世界をコントロールしている。彼女の涙は、同情と庇護欲を掻き立てる最も強力な武器だ。彼女の聖属性魔力は、彼女の言葉に「神託」のような絶対性を与える。

 これが、ヒロインの持つ「聖女」性。

 ゲームの強制力とでも言うべき、抗いがたい力。


 後日、私は父である公爵に、この一件をそれとなく報告した。


「……最近、学園内で奇妙な噂が立っております。私が、メイフィールド嬢を呪っている、などと」


 父は眉間に深い皺を寄せた。


「馬鹿げたことを。お前がそのような無益なことに時間を費やすはずがない。だが、エレオノーラ。その噂、軽視はできんぞ」

「と、申しますと?」

「メイフィールド嬢は、もはやただの平民の娘ではない。稀有な聖属性魔力を持つことから、神殿が彼女を『次代の聖女』候補として庇護下に置く動きがある。彼女を害する者、あるいは害する疑いのある者は、神殿を、ひいては民の信仰を敵に回すことになる」


 父の言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。

 そうだ。ゲームのシナリオでも、リリアーナは終盤で正式に「聖女」として認められる。それは、彼女の地位を絶対的なものにする、最強のイベントだった。

 私の「不干渉」は、皮肉にも彼女が「迫害に耐える健気な聖女候補」という物語を完成させる手助けをしてしまっていた。私が賢く立ち回れば立ち回るほど、対比として彼女の純粋さが際立ち、聖女としての名声が高まっていく。


 私は、この「聖女」というシステムそのものと戦わなければならないのだ。

 それは、個人の努力や理性でどうにかなる問題ではない。信仰や物語という、人の心に直接訴えかける、もっと根源的な力との戦いだ。


 私は自分の部屋に戻り、窓の外を見つめた。

 空は青く、雲は白い。世界はこんなにものどか。

 それなのに、私の足元では、底なしの沼が口を開けている。


 リリアーナ・メイフィールド。彼女は、私が想像していたような、ただの純真な少女ではなかった。彼女は、自らの持つ「弱さ」と「聖性」を武器に、無意識のうちに他者を支配する、恐るべき才能の持ち主だった。


 私の理性は、彼女の涙の前では無力だ。

 私の功績は、彼女の悲劇の前では意味をなさない。

 私が築き上げてきたはずの安全地帯は、実は彼女という名の巨大な蟻地獄の中心でしかなかった。


 どうすればいい?

 どうすれば、この見えない敵に勝てる?


 私は初めて、自分の計画の根幹が揺らぐのを感じていた。冷静な分析も、合理的な判断も、この不条理な「物語」の力の前では砂上の楼閣に過ぎないのでは?

 その予感は、私の心をじわじわと蝕む、新たな毒のように広がっていった。



 -つづく-


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