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8話 「エルドリック・レポート」

 これはとある偶然から――いや、今こうして思い返してみるとすべては仕組まれていたかのような出会いから、マナフィード王国の第六王子〈マリウス・マナフィード〉殿下の付き人になった、しがない老魔導士による記録である。

 さして彩りのある文章ではないかもしれないが、この記録がマリウス殿下と、あるいはまた別の誰かにとって役に立てば、生い先短いこの老骨にとって、望外である。


◆◆◆


 マリウス殿下との出会いの翌日。

 記念すべきこの記録の初日である。


 数度顔を合わせているとはいえ、情報量としてはマリウス殿下とはほぼほぼ初対面と言ってもさしつかえない。

 そのため、例の『魔法』のことは置いておいて、まずは殿下と会話をすることにした。

 殿下もまた私の旅の話や、かつてグラン・マナフと共にいたときのことを興味深げにお訊ねになったので、存外会話は弾んだ。

 

 そしてやはりというか、昨日までのマリウス殿下の表情や言葉は、第六王子としてのものであったのを今日確信した。

 身分や立場というものを捨て、少年と老人として話をしてみると、マリウス殿下は無邪気で、好奇心旺盛な年相応の少年という感じであった。

 たまに吸い込まれるような懐の深さを感じさせる応対はあるものの、終始楽しげに私の話を聞いていた。

 総じて理知的、頭の巡りも早く、人並みの健康に恵まれなかった幼少期や、マナフィードの明星とまで謳われるアルフレッド王子殿下がいなければ、あるいはマリウス殿下がその立場にとってかわったかもしれないと思うほどのものである。


 ただ、一つ厄介な点があるので、今日最初の忠告をさせていただいた。

 ……殿下、わたしに黙ってこっそり魔法を使わないでいただきたい。

 なるほど、立場や体調という枷が外れたことで姿を現したのは、好奇心の獣であったようだ。


◆◆◆


 三日目。

 ダメだ。

 私もあえて言葉を飾らないが、こいつ言っても聞かないぞ。

 三日連続で魔法を使いやがった。

 ……おかしい。先日の対面の際にはあれほど超俗的で美しさすら感じられる王子としての立ち振る舞いを見たのに、たかが三日ですでに近所のガキ大将感が出てきた。

 たまたまアルフレッド王子殿下に会ったので聞いてみると、面を崩して笑いながら「あはは、本来のマリウスはあんなものですよ」と言っていた。笑っている場合ではない。

 まあ、危険が伴うので一応アルフレッド殿下からも注意はしてもらえるようだ。

 「マリウスは自分で大丈夫だと判断するとわりと勝手に走り出しますからね」とのことだが、いまだに原理も効果もわかっていない魔法をほいほい使うのはやめていただきたい。

 ああ……しかしこの感じ……我が師を思い出す。

 ……もしや『魔導書の中の世界』で我が師に余計なことを吹き込まれてはいないだろうか。


 教師の立場からしたら最悪の組み合わせかもしれない。


◆◆◆


 七日目。

 もはや人間の枠を超えて体調が回復しているようだ。

 こんな極端な例は見たことがない。


 先日まで床に臥せっているのが通常だった死にかけの病人が、今日、「ちょっとどれくらい体力が戻ったか試してきます」と言って朝から王城周囲を走り出した。

 さすがに数十分もすれば戻ってくるかと思ったが、昼時を過ぎても戻ってこない。

 守るところは守る――それでも基準は常人とは違うが――マリウス殿下のことなので、さすがに勝手に王城の敷地からは出ていないと思うが……と思って様子をうかがいに行くと、まさかずっとその調子で走っていたのではあるまいなと思ってしまうほどの速度でいまだに王城周囲を走っていた。

 なるほど、遠くかすかに聞こえた家臣や侍女たちの悲鳴は幻聴ではなかったらしい。

 

 ――どうなってやがる。


 その後、日が沈んでも走り続けていたので、アルフレッド王子殿下を伴って制止した。

 マリウス殿下は清々しい顔をしていたが、こちらの心臓がそろそろ持たないのでお控えいただきたい。


◆◆◆


 一週間の総括をしておく。

 日々目まぐるしくマリウス殿下の体調が快方へ――異常なほどに――変化するため、こちらも短いスパンで記録をまとめておく必要がある。


 まずは体調について。

 すこぶる快調。バケモノのような体力である。

 あまりの反転具合にむしろこれも魔法なのではないかと思えてきた。

 地脈星脈のごとき人間離れした魔力に耐えきった肉体は、もはや人間の枠を超えているのかもしれない。

 これ以上私の頭痛の種を増やさないでほしい。


 次に魔法について。

 この一週間は安全が確認されている我が師の〈グラン・マナフの魔晶〉の魔導書にのみ入り込んでいる。

 毎回私の若年期の恥ずかしい話を仕入れてくるので、間違いなくその都度魔導書内の我が師と対話し、そこから情報を吸い上げているようだ。

 当初の予想通り、マリウス殿下の魔法は〈魔導書〉とかかわりが深く、その意識か――あるいは魂のようなものが魔導書内に入り込んでいると見込んで間違いはないと思われる。

 魂に関する魔文はいまだに数多の魔導学者を持って未解明の領域のため、今後もマリウス殿下の肉体や精神にどのような影響をもたらすか注視が必要だ。

 なお、魔導書の中に入っている間のマリウス殿下の肉体は、眠っている状態と相違がない。

 ただ、眠っている状態と違うのは、普通の起こし方をしても起きない点だ。

 これはこの魔法の弱点になりうる。よりくわしく条件などを確認したほうがよいだろう。


 そのほかに気になった点としては、やはりその魔法の再現能力についてである。

 マリウス殿下の魔法は、魔導書の中に入り込み、なんらかの条件を満たすことでその魔導書に刻まれた魔法を自在に扱えるものであると予測される。

 問題はその条件の部分と、それに伴うリスクの部分だ。

 おそらく我が師は自分の末孫であるマリウス殿下に対して大きな対価を求めていない。

 そもそも魔導書内に封じられている元の術者の人格?魂?が今を時間軸として適宜なにかの判断をしているという点で意味がわからないのだが、ひとまずは置いておくとして、重要なのは魔導書内に封じられている元の術者の魂がマリウス殿下に対し敵対的であった場合だ。

 魔導書に入れば無条件でその魔法を習得できるのかどうかはもう一度確かめる必要があるが、これまで数多く見て来た魔文の性質上、強力な効果のものにはたいてい反作用のような魔文が組み込まれているので、おそらく無条件ということはないだろう。

 

 強すぎる力には対価が伴う。


 これが魔文の、いうなれば共通文脈である。

 そのあたりをマリウス殿下にもしょっぱなからお伝えしてはいるのだが、あまり重く受け止めている感じはない。


 ……いや、これはもしかしたらすでに経験しているからかもしれない。


 ……まずいぞ、もしかしたら私が考えているよりもずっと、マリウス殿下は自分の魔法のリスクを身を持って体験して知っていて、そうやって形作られた基準がこの私をもってしても異常だと思えるラインに到達してしまっているのかもしれない。


 マリウス殿下が本の中に入り込むことは今回の〈グラン・マナフの魔晶〉が初めてではないという。

 早急に殿下の書界の巡歴録をまとめる必要があるようだ。

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