6話 「第六王子」
マリウスが〈グラン・マナフの魔晶〉を枕元に置いて眠りに入った日の翌日。
老魔導士エルドリックは、第一王子アルフレッドに連れられてマリウスのもとを訪ねた。
「っ」
エルドリックがマリウスを見て最初に抱いた感想は、
(似ている……)
だった。
白い髪、深い青の眼、振り向いた美しい相貌に乗る無邪気とも超俗的とも取れる妙な深みを伴った微笑。
魔性的ですらある、とエルドリックは思った。
(しかし、殿下はまだ齢十二……)
ただエルドリックがかつて自分の師であるグラン・マナフにその美しさを見出したのは、グラン・マナフがすでに成人し、さらにいくばくか時を経たあとの姿に対してであった。
「殿下、こうしてちゃんとご挨拶させていただくのは初めてでございますね。エルドリック・フォン・ローランと申します」
「こんにちは、エルドリック卿。兄上からお話は聞き及んでいます。――あなたは私の命を救ってくれた恩人です。心より感謝いたします」
そういってマリウスが笑みを見せる。
その打算のない、まさしく屈託のない笑顔に、エルドリックは少し安堵する。
齢十二にしてさきほどの表情を顔に乗せられる異常さに、単に高貴な生まれである以外の、深く、もしかしたら悲しい理由があるのかもしれないとつい勘繰ってしまっていたが、この笑みは年相応のものに見える、と。
「あなたはとても高名な魔導士であると聞き及んでおります」
「いえ、わたくしはたまたま運良く、若い時分にたいそう優秀な師に出会えまして、そのおかげでこうして魔導士でいられるだけのしがない老体です。」
「グラン・マナフですね」
「はい」
マリウスの言葉にエルドリックは頷きを返す。
「では、そんなグラン・マナフに師事したあなたに、少し聞きたいことがあります」
なにから聞いたものかと気を揉んでいたエルドリックに、逆にマリウスからそんな言葉がかけられて、エルドリックは思わず目をぱちくりさせる。
しかし、その直後にマリウスに見せられたあるものを見て、エルドリックの全身に緊張と、そしてこれまでの長い人生の中でも感じたことのない、時代を動かす大いなる歯車の回る音を聞いた気がした。
「あなたはこれを知っていますか?」
そういってマリウスが差し出した右手。
開かれた手のひらに乗っていたのは――
「そんな……どうしてここに……魔晶が……」
エルドリックがかつて師に授けられた耳元の青いクリスタルが、窓から差し込む昼下がりの日に照らされてきらりと輝いた。
◆◆◆
めまぐるしく動き出したエルドリックの思考。
それは第一王子アルフレッドも同じだったようで、エルドリックがとっさにアルフレッドのほうを振り返ったとき、間髪入れずに答えは返ってきた。
「大丈夫、もともと人払いは済ませてある」
「王家を守る影のたぐいもですか」
「……それほど重大な事態ですか」
「くわしくはこれから調べてみないことにはわかりませんが、もしこれが私の予想通りの事態だったとき、間違っても、絶対に、外に漏らしてはならない情報となります。マリウス殿下と、そしてマナフィードの命を守りたいのであれば」
エルドリックは魔晶の力の恩恵を誰よりも知っている。
そしてその魔晶の生みの親と、特に長い時間を共に過ごした。
だからこそエルドリックには、仮にこの魔晶をマリウスが生み出せるとなった場合に、どんな事態が起こりうるかが手に取るようにわかった。
「やっぱりこれは本物の魔晶なんですね」
と、緊張した面持ちのエルドリックとアルフレッドを見たマリウスが言う。
「殿下、それはとてつもなく強い力を持ちます。魔導的にも、そして政治的にもです」
「わかっています。この魔晶を巡る物語は、彼に聞きました」
彼。
最初二人はそれが誰を指すのかがわからなかった。
しかし、マリウスがそう言って視線をやった先にあったものを見て、まずアルフレッドが直感的に理解した。
その視線の先には、昨晩マリウスが借りていった一冊の魔導書があった。
「っ、マリウス、まさか君は……」
「はい。兄上にはお話ししたことがありましたね。どうやらあれは、わたしの妄想ではなかったみたいです」
魔法使い。
アルフレッドの脳裏に、その言葉がよぎった。
「エルドリック卿、もしあなたに会うことがあったら、と、彼から伝言を預かっています」
ふとマリウスがエルドリックを正面から見据えて言った。
「それは……我が師からと捉えてよいものですか?」
「わたし自身まだ半信半疑なので、断言はしづらいのですが――」
「いえ、不躾なことを申し上げました。伺いましょう」
「――『三百年越しで悪いけど、僕の末孫をよろしく』、と」
「……」
「これまたわたしが伝えるのもなんだか申し訳ないのですが……」
「い、いや、殿下はなにも悪くありません。……そうなんです。我が師はあれでそのへんの気が回らない魔法馬鹿でして……ああいや、これも不敬か……いずれにしても、この絶妙な無頓着さはやはり我が師の言葉に違いない……」
眉間をつまんでうんうんとうめきはじめたエルドリックに、マリウスは苦笑を返す。
「エルドリック卿、正直わたしも今の我が身に起こっていることをまだ把握しきれておりません。ですので、噂に名高いあなたの智慧をお借りできるのであれば望外ですが、今の我々にあなたを縛ることももできません。今のもあくまで伝言。それも、もしかしたらただの夢だったかもしれないと言えるような淡いもの。あなたはこの三百年、ことあるごとに陰ながらマナフィードを支えてくださっていたと聞きます。グラン・マナフとの師弟関係があったにしても、すでに我々はその義理以上の手助けをしてもらった」
マリウスが安らかな微笑を浮かべて続ける。
「だから、もしあなたにお暇や意志がないのであれば、無理にとは言いません。わたしは――」
「殿下」
本来であれば、王族の言葉を遮るなどもってのほかである。
しかしエルドリックは、それ以上の言葉をマリウスに吐かせまいとするかのごとく、強い意志と、そして覚悟の灯った目で言った。
「マリウス殿下、あなたのその穏やかさとお心遣いは美点です。わたしはマナフィード人ではありませんが、あなたのようなお人が自国の王子であれば、大変好ましく思います。しかし一方で、国の情勢が傾いているとき、もしかしたらあなたの言動は少し頼りなく感じるかもしれない。無論、あなたはあなたが『第六王子』であることを加味した上でそのように仰っているのかもしれませんが――あなたには欲が感じられない。時に王は、民の欲を代弁しなければならない。そして必要とあらば、その欲を満たすために苛烈な手段を取らなければならないこともある」
そう言いながら、おそらくすべてわかった上での言動であるとエルドリックは思っていた。
そう思わせるに十分な器量を、マリウスに感じていた。
「マリウス殿下、あなたのこれまでどのような生を辿ってきたのかは私も知っております。そして今日、あなたの目をこうして正面から見て、感じたことがあります」
この時点で、エルドリックは最初にマリウスの屈託のない笑みを見て安堵した自分を戒めていた。
そして同時に抱いたのは――畏怖である。
三百年生きて、数多くの人間を見てきた。
そんな自分をして、あのマリウスの笑みの中にあるものを見抜くことができなかった。
あれすらも、すべてはこのマリウス・マナフィードというたった十二歳の少年が、みずからを完璧なまでに律して表に出した表情なのである、と。
「王家に生まれたあなたは、それゆえに生き残り、そしてそれゆえに――本心を隠すことに慣れてしまった」
マリウスは生き残った。
それはマリウス自身のたおやかな生への意志が軸にあれど、同時にそれは周りの献身によるところが大きい。
マリウスがそのことを誰よりも強く自覚し、だからこそそれに報いようという気概も強く持っている。
「あなたは周りに求められる第六王子を演じようとしてらっしゃる。それがどんなものか判然としないなかで、どんなマリウス・マナフィードがこれまで自分を支えてくれた家族や民たちに求められるかを探し出し、そしてそれにこれからの人生を捧げる覚悟さえもおありのように見える」
その言葉にぴくりとアルフレッドの手指が反応したのを、エルドリックは横目に捉えた。
「それもまた美しい献身であることを承知のうえで、しかし申し上げます。……殿下、あなたはもう少しみずからの欲に目を凝らすべきです。私はあなたの目の中に――正直に申し上げますと畏怖さえ覚える覚悟の光を見ましたが、一方で我が師と同じ光も見た気がするのです」
「それは?」
「好奇心と挑戦心です」
エルドリックは言った。