1話 「マリウス・マナフィード」
かぎりなく透明な人生を歩んでいた。
だから、命の灯火が消えたときにも、後悔はなかった。
あったのは――羨望だけだ。
◆◆◆
「では、第三回家族会議をはじめよう」
「いえーい」
「無理にテンションあげなくていいよ」
小さな円卓の周りに、年若い男女が集まっていた。
性別は男女それぞれ三人ずつ。ぱっと見るかぎり年齢順に並んでいそうだったが、最年長でもまだ青年と少年の間という感じで、形式こそ大人ぶっているがどこかおままごとのようなほほえましさもあった。
「さて、直近一月の我らがマナフィード王国の情勢についてだけど、各自で思うところはあるだろうか」
「んー! そろそろ戦争!」
「はは……物騒だね」
美しい少女の声に乗る言葉に、冷静に返すのは会議の進行役をしていた最年長と思われる少年。
「まあでもたしかに、近頃アラストル王国の侵攻が激化している。二国と大運河を挟んで向こうにある商業都市も、中立宣言の裏でアラストル王国とひそかに手を結んだらしい」
会議を進行していた少年が、苦笑を浮かべながら言った。
「んー、そうだな、じゃあそうなってしまったときの未来予想図について、各自意見を」
「敗北! 無惨ッ!」
「端的にありがとう。避けたいね」
「アラストル王国との戦力差は大きい。まともにやりあってもいたずらに民の命を失うだけだ。そのため――まず私が単騎で敵陣に突入し、なんかがんばって全体の半分くらいアラストルの兵士を討ち取る‼」
「冷静な前半部と錯乱した後半部の落差にお兄ちゃんはびっくりだよ」
最年長の少年がげんなりとした表情で肩をすくめる。
「まあ、仮にそれができたとして、それでも民たちがまったく前線に出ないということにはならないだろう。少なからず犠牲は出る」
「そうですね……そうなるとやはり、仕掛けさせない、というのが肝要でしょうか」
「抑止力かー」
「うちの国にそんなのあったっけ?」
「〈グラン・マナフの魔晶〉が使用可能な魔導書だったらそうなったかもしれないねぇ」
「誰も読めないし使えないからねー」
一同の間にしばしの沈黙が流れる。
「ところで」
しばらく各々が考え込んだあとで、最年長の少年がふと円卓の一角に視線を向けた。
「マリウス、今日の体調は?」
そんな問いのあと、一同が視線を向けた先。
そこに、今まで一言も喋っていなかった最年少と思われる少年が一人。
白い髪、すでに片鱗を見せている中性的な美貌、なにより特徴的なのは、どこまでも吸い込まれていきそうな深い青の瞳。
肩から毛布を羽織り、どこか体調悪そうに体を丸めていたその少年は、しかし最年長の少年の問いを受けて顔に無邪気な笑みを浮かべてから答えた。
「昨日よりも元気です‼」
◆◆◆
二年後。
「さて、第十回家族会議をはじめようか。……ちょっと間が空いてしまったね。みんな元気かい?」
「私たちはよいのです。兄上の方こそ、父上に付いて政務をこなすようになって、さすがにお疲れのようですが……」
「兄上も疲れたりするんですね‼」
「君たちの顔と声と僕をなんだと思ってるのかって言葉を聞けてすっかり元気になったよ」
いつもの円卓に、いつもの少年少女が六人。
少し前の会議から日も経ち、最年長の少年はまた少し大人びて青年と呼ぶにふさわしい出で立ちになっていた。
「父上の容体はどうですか?」
「芳しくないね。病体に鞭打って政務に励んでおられるけど、情勢が良くないことが精神的にも肉体的にも追い打ちをかけている」
「マナフィード王国の永世中立の理念にも限界が来ているのでしょうか……」
「美しいけどね」
最年長の青年がため息をつく。
「そういえば、アラストル王国が使者を送ってきたよ」
「使者はなんと?」
「属国になれ、だね」
「ひゅー! 過激ぃ!」
「口でひゅーって言われると力抜けるからやめてね」
てへへ、と笑う少女に苦笑を返しつつ、最年長の青年が続ける。
「あと、彼らは〈グラン・マナフの魔晶〉を欲しがっているみたいだった」
「まあ、誰も使えないけど一応〈至高の七書〉の一冊だからな」
「ちなみにアラストルは先日、〈イグニス・ラーヴァの滅炎〉を手に入れたみたいだ」
「使えるのか?」
「まだ使用した場面を目撃した者はいない。……目撃者が全員死んでいる可能性もあるけどね」
しばしの沈黙。
「アラストルには戦乱色が強くなってきた昨今の時代における〈寵児〉がいるらしい」
「戦いの天才ってやつ?」
「そうだね」
直後、円卓の一角で音を鳴らして立ち上がる少女が一人。
「腕が鳴る‼」
「お兄ちゃん心配になっちゃうからまだ座っててね」
最年長の青年が制しつつ続ける。
「指揮官としても、個人の白兵戦技術についても卓越していて、しかも今どき珍しい〈魔法持ち〉だってうわさがある」
「それは厄介だな。複数の魔導書を使い分ける魔導士も面倒だが、〈魔法使い〉はそもそも対策が立てづらい。術式の解明は進みそうなのか?」
「いやぁ、当分無理なんじゃないかなぁ。アラストル王国としても切り札だろうから、解明の糸口を与えるようなことはしないと思う」
「その魔法の性質が気になるところですが、〈至高の七書〉を集めはじめた、というところにヒントがありそうですね」
「僕もそう思うよ」
それからその〈寵児〉の話題を筆頭に言葉を交わしていた六人だったが、しばらくして最年長の青年がふと言った。
「ところでマリウス、今日の体調は?」
例の最年少の少年が、無邪気な笑みを浮かべてこういった。
「先月よりもだいぶ元気です‼」
◆◆◆
四年後。
「夜更けだけど、第二十二回家族会議をはじめよう」
「よっ、わりと近い未来の王様!」
「不謹慎だからやめてね」
いつもの家族会議。
気づけば少年少女はみな成長し、もはや少年と呼べるのはあの白髪の最年少の少年だけになっていた。
最年長の青年は成人し、美しい面皮にもほんの少し、渋みが加わったように見える。
「――とはいえ事実、父上は病にお倒れになりました。この抜き差しならない状況下で、政務に励めないとなれば王位の継承は十二分にあり得ます。父上もおそらく、そう考えておられるでしょう」
「我らが父君ながら、権力や個人の欲に迎合することなく、一国の王として最善を尽くそうとする意志には感服するよ」
「兄上はたまには欲にまみれてもいいですよ‼」
「悪い誘惑するのやめてね。……まあでも、僕が父上と違うのは、君たちがいることだ。そしてこれはきっと――ものすごく大きな違いなんだと思う」
「褒めてもなにも出ないよ‼ 国庫もすっからかんだからね‼」
「ちょっとはしんみりいかせてね」
いつもの苦笑。
されどそれがまだ出せることを彼はありがたいと思った。
「ところでマリウス、今日の体調は?」
本題に入る前に、彼は言った。
「治りました‼ 完全に元気です‼」
あの最年少の白髪の少年が答える。
そしてその言葉と無邪気な笑顔に、そこにいた全員が心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「長かったね」
「三十回くらい死にかけましたからね」
「でも、常人ならとっくに諦めてしまいそうなつらい道行の中、君は一度も弱音を吐かなかった」
その言葉に、最年少の白髪の少年――マリウスは、困ったような笑みを返す。
「前より、ずっとマシだったので」
マリウスは言う。
そしてマリウスの言うところの『前』というのが『前世』のことを指すのを、その場にいたマリウスの兄姉たちはすでに知っていた。
◆◆◆
マリウス・マナフィード。
マナフィード王国の第六王位継承者。
つまるところ王子である。
マリウスには、ほかの王子王女とは違って、いくつかの非業と呼べるような性質があった。
第一に、マリウスは生まれつき体が弱かった。
生まれてまもなく原因不明の衰弱におそわれ、生死の境をさまよう。その後も何度も、マリウスは死にかけた。
しかしそんな中でも、マリウス自身に悲観する様子は見られなかった。
その理由が、マリウスが心配されるたびに口にする言葉の中にある。
『でも、前よりはマシなので』
当初、周囲の人々はそれをいくつか前の衰弱のことを指しているのだと思った。
しかし特に関係の近しかった兄弟たちが聞いたところ、どうやら趣が違うらしい。
マリウスのいう前というのは、いわゆる前世のことを指しているというのだ。
曰く、前の人生も似たように病弱で、しかもそのときの自分には、今のように家族もいなかった、と。
それが本当かどうかを確認する術はない。
むしろその話を伝え聞いた大人たちは、当然のようにそれを衰弱によるせん妄であると断じた。
しかし、マリウスの兄姉たちはそうではなかった。
彼らに共通していたのは、年下のマリウスに対して幼いうちから一貫して敬意のようなものを抱いているということだった。
年下ではある。年相応に幼い反応もあるし、むしろ外の世界に出ていない分世間知らずですらある。
しかし、非業を背負いながらもたおやかに前を向く姿勢や、対話をする中で感じられる真摯な愛情、そして年下とは思えない懐の深さに、いつしか彼らは自分の方こそこの末弟に支えられているのではないかと思うようになった。
それからしばらくして、あらゆる治癒魔導士が匙を投げたマリウスの病状に、一つの仮説を見出す老魔導士が現れた。
その老魔導士は言った。
マリウスの病弱は、持って生まれた異次元の魔力に、マリウスの体が耐えられていないことで起きている、と。
魔導振興の篤いマナフィードにおいて、魔導の根本的な素質とも言える魔力が多いのは良いことだ。しかし、それが原因で命を落としたのでは意味がない。
その老魔導士の見立て以外にすがるもののなかった兄姉たちは、マリウスの絶大すぎる魔力を抑えるため、東西から奇天烈な魔導具を集めることにした。
それは、一般には毒とか呪いと呼ばれるような、所有者の魔力を吸い尽くす性質を持った魔導具である。
日に日に耳飾りや指輪、腕輪などが増えていくマリウスの姿に首をかしげる大人たちをよそに、子どもながらあらゆる手を尽くす兄姉たち。
そして藁にもすがる思いで集めたそれらの魔導具が功を奏したのか、次第にマリウスの病状は落ち着いていく。
また、同時進行でマリウスの肉体も徐々に成長し、持って生まれた魔力に耐えられるよう変容していった。
そしてこの年、ついにマリウスの体からすべての魔導具が外れることになる。
マリウスは十二歳になっていた。
この年がのちに『魔導の王が再誕した年』と呼ばれる、歴史的な一年になることを、まだ誰も知らなかった。