ダブルブッキング
朝から「姉と一緒に登校する」という重労働により一日で消費するはずのエネルギーをごっそりと削られ、午前中はほぼ死んだように授業を受けていた。
「あぁ~」
気が付いたら昼休みへと突入し、消費した体力を少しでも回復させる為に持参した弁当を窓際の席で食べる。
「今日は朝から災難だったな」
「ほんとだよ……マジで姉さんにはもっとしっかりしてもらいたい」
向かいに座って惣菜パンを頬張る大智に愚痴る。そんな僕を見て彼は面白そうに言葉を続けた。
「しかも昨日はあの毒舌天使ちゃんが写真部にいたんだろ? これ何気に新情報じゃね?」
「それは僕も驚いた……」
「間近で見た天使ちゃんはどうだったよ?」
既に大智には昨日のこと……主に「雨無朝日が写真部に居た」という部分だけを話していた。冗談交じりに揶揄う大智に僕は半目を向ける。
「どうもこうも、相も変わらず人間嫌いの毒舌ぶりだ、まともな会話になりゃしない」
「はえ〜、ついに夕夜もあの毒舌の餌食になったかぁ。それにしてもどうして写真部なんだろうな? 理由聞いた?」
大智は二つ目の惣菜パンの袋を開けながら不思議そうに首を傾げる。その最もな疑問に僕は一瞬だけ眉間に皺を寄せる。しかし、すぐに「さあね」ととぼけたフリをする。さすがに昨日の出来事を全て洗いざらい話すのは気が退けた。
────そもそも人の気持ち……それも恋慕をおいそれと言いふらす趣味はない。
仮にそんなことをして噂が広がり、噂の元凶が僕だと判明した日には終わりである。あの悪魔からどんな報復が待っていることやら……恐ろしい可能性が頭を過り誤魔化すように言葉を続けた。
「会話にならないって言っただろ。知りたいなら自分で聞きに行きなよ」
「んー……わざわざ死地に赴くバカがいるか?」
「この学校には意外と多いみたいだよ」
それこそ毎日のように誰かが彼女に告白してる。そんな意味を含めて嘲笑すると「言われてみればそうだ」と大智は納得した。
「でも、これはチャンスなんじゃないか?」
「なにが?」
意味深に笑みを深める大智に僕は無関心に聞き返す。
「これを機に高嶺の花の雨無朝日とお近付きになれるんじゃねって話だよ」
「……」
揶揄うような友人の言葉に少しばかり思案する。そして僕は直ぐにそれは無いなと結論付ける。
遠目から見ても性格がキツそうなのに、いざ対面してみれば雨無朝日と言う女生徒は三倍増しで性格が終わっていた。見てくれがどれだけ良かろうが、あんな暴君とお近付きになりたいとは思えなかった。
「ないね」
キッパリと否定すると大智は僕の返答が分かっていたように「つまんね」と返す。
「真中くん、お客さんだよー!」
「へ?」
そんな何気ないやり取りをしていると不意にクラスメートの小野崎さんに名前を呼ばれる。
声のした出入口の方へとそ視線を流すと、そこには可愛らしいおさげが目を惹く女生徒。雨無朝日ほどではないにしろクラスの男生徒から人気が高い彼女がこちらを手招きしている。何事かと身構えればその隣には写真部の部長───和泉先輩の姿もあった。
本当に何事かと席を立ってそちらへ行ってみれば先輩は申し訳なさそうに言った。
「お昼休みにごめんね。ちょっと相談事というか、夕夜くんにお願いしたいことがあって……ちょっと時間いいかな?」
「え? ああ、はい。大丈夫ですよ?」
「本当かい? 助かるよ〜。ここじゃあ何だから部室に行こうか」
「はい」
僕の返答に安堵した様子の先輩の後をついて教室を出て行く。
ふと、先輩の隣を歩きながらこんな所を雨無に見られたら酷い嫉妬を向けられそうだと身の危険を感じる。
────あの女、先輩ガチ恋勢で相当な強火ファンだからなぁ。
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本館と比べて昼休みは静けさが顕著に感じられる部室棟、写真部の部室まで来て中に入ると開口一番に先輩は改めて謝った。
「本当にごめんね。どうしてもすぐに話……お願いがしたくて……」
「全然大丈夫ですよ。それで……僕に頼みたいことって?」
「えーとね……その、ちょっとその前に聞きたいこと……確認したいことがあるというか……」
昨日と同じ席を陣取って、僕は単刀直入に要件を聞いていみる。すると和泉先輩は途端に端切れが悪くなり、口篭り始めた。
「確認?」
そんな反応されるとこれからいったいどんな頼み事をしてくるのか皆目見当もつかない。若干、その内容に怖くなっていると先輩は意を決したように言葉を紡いだ。
「ゆ、夕夜くん。今日、上級生と一緒に登校してたよね?」
「え? まあ、はい」
要領を得ない質問を疑問に思いながらも頷く。上級生……つまりは姉の陽乃のことだろう。それがどうしたと言うのだろうか?
「そ、その……大変失礼なんだけど、その上級生との関係は……?」
「関係? えっと、兄弟ですね。血の繋がった姉弟────今日一緒にいたのは僕の二つ上の姉です」
「────やっぱり!!」
依然として困惑しっぱなしの僕の返答に先輩は前のめりに食いついた。
「あの……?」
その様子に僕は情報の処理が追いつかなくなる。それに気が付いたらしい先輩は恥ずかしそうに苦笑しながらまた謝った。
「あっ! ごめんね! いきなりこんなこと聞かれても意味わかんないよね!」
────なんだか嫌な予感がする。
「いや、大丈夫ですけど……頼みたい事? っていうのは?」
「それなんだけどね────」
妙な緊張感を覚えつつも僕はやはり様子のおかしい先輩に詳しい話を尋ねてみる。すると彼の答えは単純明快だった。
「────じ、実は俺、君のお姉さん───真中陽乃さんのことが好きなんだ!!」
「……はえ?」
一瞬、部屋の時間が止まったかのような錯覚を覚える。けれど壁に掛けられた時計の秒針はしっかりと時を刻んでいて、先輩は決意定まった真剣な眼差しをこちらへ向けてきて、そんな彼に対して僕は呆然とするしかなかった。思わぬカミングアウトに理解が追いつかない。しかしそれでもこれだけは聞く。
「り、理由を聞いても……?」
「真中さんとは三年間クラスが一緒でね……それで同じ委員会になったり、普段の学校生活の様子とか見てるうちに気がつけば好きになって────」
気恥しそうに先輩は質問に答えてくれる。その内容自体は特段変なところは無い。寧ろ、ごくごく普通のよくある(?)話なのだろう。それでも僕は疑問が尽きない。
────本当にあんなのでいいのか?
家にいる時はブラコン拗らせたやべー女だが、一転して外面は良いし根が明るいからやはり男ウケはいいのだろう。今すぐにでも「あれはやめておいたほうが良い」と忠告をしたいが、そんなことを言える雰囲気でも無い。
衝撃的な告白に驚きはしたもののそれと同時に腑に落ちる。
────どうりであれほどわかりやすいアプローチに靡かない訳だ。
思い返されるのは昨日の雨無朝日の猛アタック。普通、あんな美少女にあれだけ意味ありげにアプローチされればその気がなくても意識はするはずなのに、先輩はそんな素振りが全くなかった。それもそのはずだ。彼はもう別の女性に惚れ込んでしまっていたのだ。
────まあ、その相手がまさかの身内だったわけだけど……。
難問を解いたかのようなスッキリと胸の空く気分になんだか気分が爽快ではある。だが先輩の話はそれで終わりではなかった。
「それで、弟さんの君にこんなことを頼むのは筋違いかもしれないんだけど……どうかお願いします! 俺と真中さんの仲を取り持ってくれないだろうか!!」
「……へあ?」
何度目かの深い礼。それにやはり僕は気の抜けた声しか出せない。
────今、この先輩はなんて言った?
攪拌機で勢いよく色々なモノを掻き混ぜられた様な思考を他所に先輩は熱弁する。
「もちろんタダでとは言わない! こんな個人的なことを夕夜くんにお願いをするんだ。それなりのお礼はさせてもらう! キミは俺が撮った様な写真を撮りたいと言ったよね? なら俺は君が納得できる写真が撮れるようになるまで、俺が持ち得る限りの協力をしよう! 元からそのつもりではあったけれど……もう遠慮はなしだ! まずは俺の覚悟が確かなものであるという証明と、物的報酬としてこれを君に渡す!!」
「えっ……え?」
そうしてどこから取り出したのか先輩は僕に一つの四角い黒バックを手渡してきた。バックを開けて中を見てみればそこにはレンズとカメラ、その他充電器や予備バッテリー等のアクセサリー類。恐る恐る、先輩の方に視線を戻しながら尋ねてみる。
「こ、これって……」
「見ての通り一眼レフ……カメラとその他道具一式だよ」
まあ見れば分かる。けれど、思わぬ物的報酬に僕の思考はもう停止寸前まで追いやられていた。
「これが俺の覚悟だ。どうだろう、引き受けてくれないだろうか?」
「えっと……」
先輩の真剣な眼差しにどう返答したものか困る。
「仲を取り持つ……と言われても僕は具体的にどんな事をすればいいんですか?」
「簡潔に言えば彼女と関わる理由に君を利用させてもらえるだけでいいんだ。 同じ部活の先輩と後輩、これだけでも十分に強力な手札になるんだよ!」
「なるほど……」
「少し我儘を言えば陽乃さんのプライベートな情報などを教えてくれると嬉しいんだけど……そこまでの強要はしない! 決して夕夜くんに損はさせないし迷惑もかけない!! だから……どうだろうか!!」
鬼気迫る先輩に僕はジリジリと決断を迫られる。
先輩の話は決して悪い話では無い。元々の目的であるカメラ撮影のノウハウに加えて機材を無償で提供してくれる。その対価が姉と話すための理由作りだけならば乗らない手は無い。
何よりも手渡された物的報酬────自身の手中にある一眼レフがとても魅力的に思えてしまう。これで色々な写真を撮ってみたいと欲が出てしまう。
「────いい、ですよ……」
だからというのもあるのだろう。勢いに押されて僕は先輩の頼みに頷いてしまった。
「っ……本当かい!? ありがとう! 恩に着るよ!!」
色良い返答に先輩は感極まり、僕の手を掴んでブンブンと振り回す。ぐわんぐわんと視界が揺れていると不意に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「あっ、それじゃあ今後のことは追って相談させてもらってもいいかな? また今日の放課後の部活で……本っ当にありがとうね!!」
そう言い残すと先輩は部室を後にする。再び静寂が戻った部室内で僕は頭を抱える。
「ど、どうしよう……」
一眼レフに目が眩み、とんでもない頼み事を抱え込んでしまった。
「それも二つ……」
状況的にどちらの頼みも今更断ることはできない。しかも随分とややこしい話になってしまった。まさか、片方の恋路が更に敗戦濃厚になってしまうとは……。
「いや、というかこれはもう完全に詰んでるだろ……」