ブラコン
カーテンの隙間から差し込む陽の光。それが丁度よく瞼に被って仄かな熱と光の刺激を感じる。それは深い睡眠から意識が起き上がるには十分な刺激であり、僕は微睡む眼を擦りながら身を起こす。
「…………」
時刻を確認すれば7時ちょっと前。普段通りの起床時間だが、だからと言って目覚めが良い訳では無い。寧ろその逆であり目覚めは最悪だった。
「学校行きたくねぇ……」
高校に進学して一週間が過ぎた頃、もちろん今日も登校日であり、のんびりと二度寝を貪っている余裕は無く、直ぐに起きて身支度をしなければ登校時間に間に合うかも怪しい時間帯である。だと言うのに僕の気は重く、既に学校へ行くモチベーションが最底辺に位置していた。
────昨日まではそんなことなかったのに……。
どうしてたった一日であんなにも勤勉(?)だった学生が学校嫌いになってしまったのか? その理由は単純明快。昨日の毒舌天使ちゃん改め暴虐の悪魔────雨無朝日との協力関係が主な原因だ。
そもそも協力と言っても真中夕夜は何をすればいいのか?
具体的な方針は雨無自身まだ定まっておらず不明瞭な点が多い。雨無の言では「明日までに考えてくるから」とのことで昨日はそのまま解散となった。
そうして今日だ。あの脅しの件もあり、もちろん学校でさらし者になりたくない僕はやはり協力はせざるを得ない訳で……いったいどんな無理難題が悪魔から下されるのかと昨日から気が気ではなかった。
「協力したくねぇ……」
できることならば協力なんてしたくない。だって面倒事に巻き込まれそうだから。……と言うか、もう片足を突っ込んでしまっているわけで、写真部にいる限りはその呪縛からは逃れられないわけで、だからと言って僕自身はそんな理由で写真部を辞めたくはなかった。
「はぁ……」
依然として学校に行くのが億劫で仕方がない。寧ろそれに拍車がかかっていると言ってもいい、このまま布団に根っこ張ってしまいそうだ。しかしだからと言って休む訳にもいかない。何より、この家には意地でも僕を学校に連れて行こうとする人間が居た。
「そろそろ来る頃か……」
いい加減うだうだとしていないで、学校に行く準備をしようと思い完全に起き上がると部屋の扉が開け放たれる。
「おはようゆうくん! 今日もいい天気だね! さあ! 今日こそはお姉ちゃんと一緒に仲良く登校しようねぇ!!」
次いで聞こえてきたのは元気な女の声。部屋に乱入してきたのは僕を意地でも学校へと連れて行く原因・元凶である実の姉───真中陽乃だ。
「はよ……」
歳は2つ上で同じ高校に通う三年生。肩口まで伸びた黒髪に、切れ長な瞳はクールさを演出しており、首にかけたヘッドフォンがトレードマークで黙っていれば見てくれはそこそこ良い方だと思うが、それを全て台無しにするほどこの姉には致命的に残念なところがある。
「元気がないぞー!? 気だるげなゆうちゃんもカッコイイと思うけど、お姉ちゃんはやっぱり元気な方が好きかなっ!!」
何時までも部屋から出てこない僕を心配して姉は部屋まで様子を見に来たのだろう。なんと弟思いの良い姉なのだろうと傍から見れば思うかもしれないが、その実、姉は別にそんなこと微塵も考えていない。
ただ自分が弟の部屋に入りたいから入る。弟を揶揄い、遊びたいから以上にかまってくる。彼女の行動理念は単純明快なのだ。
「姉ちゃん、部屋に入る時はノックをしてくれ。あと出てけ、着替え中だったらどうするのさ」
「ええー私とゆうくんの仲でしょ? 気にしない気にしない! それより……着替えないの? お姉ちゃん、ゆうくんの逞しい身体が見たいなぁ……」
朝からパワフルすぎる訪問に呆れていると、姉はいつも通りのハイテンションで問題発言をする。
「実の弟の裸を見たがるな! ええい! 想像してヨダレを垂らすな! この痴女が!!」
ゴクリと生唾を飲み込む姉に怒鳴る。しかし件の痴女は堪えた様子もなく、寧ろ気色悪く手を動かしながらこちらまでにじり寄って来る。
傍から見れば近所では美人と噂され、弟思いの良い姉。外面もよく、軽音部の部長と言う陽キャの塊のような姉であるのだが……その実、彼女は今の言動からお察しの通り度を過ぎたブラコンなのである。
「良いではないかぁ、良いではないかァ〜」
「どこのエロ代官だ! いいからさっさと部屋から出てけ!!」
この歳になっても過度なスキンシップが耐えず、平気で「一緒にお風呂に入ろう!!」などとこの姉は宣う。思春期真っ只中のこちらとしては堪ったものではない。冗談だとしても質が悪い。
「えっ……そんなにお姉ちゃんのこと嫌い? もうお姉ちゃんの顔なんて一生見たくない? もうお姉ちゃんと一緒にお風呂にも入ってくれなくなっちゃう?」
「最後のやつ以外はそんなことないから! だから直ぐに泣き出すのやめてくれ! 情緒どうなってんだよ……」
さらに困ったこたにこの姉はこう言ったスキンシップを強引に拒否すると決まって半泣きになり、子供のように駄々を捏ね始めるのだ。それも外聞を気にせず、自身の要求が通るまで延々と。
────本当にタチが悪い。
現在の状況と過去の苦い記憶がフラッシュバックしながら姉を宥めて部屋から強制退出させる。
「ほんと? ほんとにお姉ちゃんのこと嫌いじゃない?」
「嫌いじゃないよ」
「お風呂も一緒に入ってくれる?」
「……半泣きで言えばいけると思うなよ」
目元を拭う姉に半目を向けると彼女は途端に今までの泣きべそから一転、ニコリと微笑んで自らの意思で部屋から出ていく。
「ほら! そろそろ本当に時間が無いから早く準備しちゃおうか。それとも、お姉ちゃんが着替え手伝おうか?」
────誤魔化したな。
指摘はしない。タダでさえ学校に行きたくないというのに……朝から無駄な体力を使って既に意気消沈なのだ、もう反応するのも億劫だ。
「別に先に行っててもいいよ」
「それはダメ! 今日こそはゆうくんと一緒に学校行くの!!」
それだけは譲る気はないらしい。頑なな姉の主張に僕はもう黙って従う。普段は真面目でそれなりに尊敬できる姉ではあるのだが、どうにも家族絡みになるとポンコツになる。
────そろそろ、弟離れしなさいよ……。
そう思いつつもやはり敢えて口には出さない。なぜならそんなことを口にしようものならば今度こそ朝からガチ泣きする姉をあやさなければならいという重労働が待ち受けているから。
それは姉に対して絶対に言ってはいけない禁句だ。