雨無朝日
別に、雨無朝日と言う少女は最初から他人を毛嫌いし、拒絶するような人間ではなかった。
幼い頃からその優れた容姿や年齢離れした聡明なモノの考え方は人を惹きつけ、やはり彼女の周りには彼女に好意を寄せる人間が絶えなかった。幼い頃……正確に言えば小学生の頃は天真爛漫、リーダーシップもあり、生まれ持ってのカリスマ性で誰にでも好かれる少女であった。まさに、雨無朝日は人に恵まれ、順風満帆な日々を過ごしていたと言えよう。しかし、簡単に言ってしまえば彼女のそんな日々はある日突然、呆気なく消失した。
それは中学生、学年が2年生になった頃の話だ。まだ年端もいかない少年少女と言うのは、得てして優秀すぎる人間と自身を比べて劣等感を覚えてしまうものだ。光があれば影が差すように、誰もが雨無朝日という少女に好意を抱いているわけではなかった。それは何時しか思春期特有の嫉妬や悪意に成り代わり、周りに脅迫するかのように伝染していった。
「雨無朝日と関わる者はコミュニティから迫害される」
「雨無朝日と関わるものは不利益を被る」
「雨無朝日と関わるものは彼女以外の全てを失う」
「雨無朝日と関わるものは────」
それは何が原因であったか。到底、誰かをハブり、同級生と言うとても狭いコミュニティから迫害されるには理不尽であり、無作為な悪意に晒されるなど許されることではなかった。しかして、思春期の少年少女には雨無朝日と言う少女は目の上のたん瘤、眩しすぎる存在であり。そんな根も葉もない噂を喧伝するには十分すぎる理由であった。
「好きです、付き合ってください」
「ごめんなさい。そういうのは今は求めてなくて……」
奇しくもそれは色恋が絡む話であり、学年で一位、二位の人気を誇る男子生徒の求愛を断ってしまったのが始まりである。
当時、彼女に告白した男子に並々ならぬ思いを寄せていたスクールカースト上位の女生徒は、常日頃から雨無朝日の存在や態度が気に入らず、あまつさえ想い人を清々しく振ったことが原因で決定的な反感を買い、瞬く間に彼女は仲の良かった友人やクラスメイトから避けられるようになった。そうして次第に事態はエスカレートしていき、悪意という名の虐めが彼女の心を襲い蝕む。
それまで表立って「人の悪意」というものに触れてこなかった雨無朝日にとって、ある日突然、今まで仲良くしていた友人や同級生らから避けられ、まるで存在しないかのように扱われ、実害を被るのは程の虐めは恐怖そのものであり、心を壊すには十分すぎる衝撃であった。
「どうしていきなりこんな……」
誰にも頼れず、永遠と思えるほどの無数の悪意に充てられ続ける。それは想像を絶するストレスであり、苦痛以外の何物でもなく、人間そのものが怖くなるのは当然と言えた。
誰かに嫌われ傷つけられるのが怖くて、でも誰かに助けて欲しくて、でもそれが出来なくて……。思考は雁字搦めになり、悪循環に落ちり、いつしか彼女がこれ以上、心を壊さないために導き出した答えは、
「誰も信じるな、誰も寄せ付けるな、私は独りで生きていける……強くなるしかないんだ」
ならば最初から他人を寄せ付けず、独りでいることを普通としまえば良いという理論で、ぶっきらぼうを気取る自衛であった。
悲しくもこの自衛は功を奏した。元からの彼女の優秀さが手助けをして、雨無朝日の心は崩壊寸前のところで押し留まり、最悪の事態は間逃れた。しかし、その弊害で彼女は極度の人間不信・恐怖症になってしまった。下手に要領の良い少女にとって、独りと言うのは慣れてしまえば大した不便も無く、寧ろ独りでいた方が気兼ねがなくなってしまった。けれど、それでもやはり人間とは1人では生きられないもので、限界と言うのはいつか訪れてしまう。不意に孤独に耐えられず寂しさを覚えるようになる。
「寂しい……」
誰かと触れ合いたい、独りなのはやはり寂しい。しかし、心に刻みつけられたトラウマが他人と関わることを恐怖し、拒んでしまう。
「っ……ひっ、く……」
それどころか、少女は他人とのコミュニケーションの図り方が分からなくなってしまった。それが更に彼女を孤独へと追いやり、雁字搦めで苦しく孤独な日々へと引きずり込んだ。
そんな雨無朝日がもう一度誰かと関わろうと、あまつさえ他人を好きになるほど、心根に深く刻み込まれたトラウマから立ち直れたその理由は、1人の少年との出会いであった。それは中学3年生の時に参加した高校見学で、案内係として参加していた二つ上の在学生……和泉縁という男子生徒であることは後で知ったことだった。
「写真に興味あるの?」
「いえ、別に……」
それが初めての彼との彼女の会話。イマイチ、適当に振り分けられた見学グループの見学生らと馴染めず、無意識に距離を取って、端っこの方でぼんやりと掲示板に飾られた写真を眺めていた時のことだ。
「そっか……その写真よく撮れてるでしょ? 実は俺が撮ったんだ!」
「はぁ……?」
嬉しそうに話す彼の姿を、彼女は今も忘れることができないでいる。ぶっきらぼうな反応しかできなかったが、それでも彼女は久しぶりに誰かとの会話に喜んでいた。一時ではあるが彼の親切な態度、悪意のない言葉に、何よりも裏表の無い眩しい笑顔に、単純ではあるが人の優しさに飢えていた雨無朝日は救われ、惚れてしまった。
奇しくも彼女を苦しめた恋が彼女の心を救ったのである。
そして、そんな最も自分を苦しめたものをその日から雨無朝日は強く求めるようになった。それからの彼女の行動は迷いがなかった。
成績が優秀でありながらレベルの高い進学校には進学せず、周囲の反対を押し切ってその男子生徒のいる地元の高校への進学を決めて、ただ彼との再開に恋焦がれた。彼女は難なく目的の高校へと進学を果たし、縁との再会を果たす。
そうして、その過程で自覚したこの苦しくも甘酸っぱい恋心を彼に伝えるために雨無朝日は彼のいる写真部の戸を叩いたのだ。




