公開告白(1)
飛び込んできたビックニュースに僕は即座に自分の席へと戻り、すぐ横にある窓を開け放って階下にある中庭を見た。噂が広がるのはあっという間と言うか、中庭には既にたくさんの観衆が詰め寄っている。その観衆の中心には件の雨無朝日が至って平然と、その場で一人の生徒を待ち構えていた。
「あいつ、なにして……」
校舎の至る所から一望できる中庭。そこで公開告白をする輩は何故か多いが、ここまでの注目を集めたのは彼女が初めてだろう。何せ、今年一番この場所で告白されてきた女生徒がまさか告白する側に回るなんて誰も考えていないのだから。
「相手は誰だ!?」
「知るかよ! てかそこ邪魔!」
「あの毒舌天使ちゃんが告白するなんて……」
「意外だよねぇ」
中庭は勿論のこと、中庭に面した校舎の窓が全て開けられているのではと思うほど、野次馬は下からも上からも今から始まるとっておきの見世物を今か今かと待ち侘びる。僕も傍から見ればその群衆に群がる一人の生徒なのだが、実際のその心境は少しばかり違った。
────おかしい、計画じゃ告白はまだのはずなのに、雨無の奴はナニしてるんだ……!?
雨無朝日がこれから告白するであろう想い人をこの学校で唯一把握し、あまつさえ二人の仲を取り持つように今まで協力もしてきた。そして、具体的な告白日を二人で綿密に計画し、企てもした。
僕の記憶が正しければ告白はこ期末試験最終日直後なんかではなく、今週末の土曜日を予定していたはずだった。本来ならば彼女は想い人を水族館デートに誘い、いい雰囲気になったところで今まで伝えられなかった恋慕を告白するはずだったのだ。
「変なところで度胸を見せてきたな……」
なのに気が付けばこれである。まさに予想外。今まで「ヘタレ」だ「根性無し」だと揶揄ってきたが、ここに来て彼女はその汚名を一発で返上してしまうほどのことをやらかした。
「っ……!」
「おい、今こっち見なかったか?」
今まで瞑目し、一輪の白百合のように微動だにしなかった雨無がチラとこちらの方を見た気がする。いや、隣で妙に騒ぐ親友の反応からしても、確実にこちらを見た。
「本気なんだな……」
まるでこれから起きることを一秒たりとも見逃すなと、さながら彼女はそう言うように、その透き通る瞳に初めて見る強い光を宿していた。僕その迫力に思わず息を飲み、一つ深呼吸をする。それでも動転した気は落ち着かずに、寧ろバクバクと心臓は早鐘を打ち始めた。
────僕は何をこんなに緊張してるんだ?
別に、今から目の前で起きることは言ってしまえば自分のことでは無い。一人の少女が一世一代の大勝負に出るだけだ。何もこんなに緊張する必要なんてない。周りの野次馬と同じようにただ好奇心を、ただの祭りごとだと思えばいい。
しかし、到底そんな風に考えられるわけがなかった。できるはずがなかった。雨無朝日と言う人間をこれまで見てきて約3ヶ月……たかが3ヶ月、されど3ヶ月だ。情が移るには十分すぎる時間を僕は過ごしてきた。
「ちっ……!」
思わず舌打ちをする。もっと心の準備とか、こういう大事なことは報告をするべきだろとか、色々な文句が湧き上がっては直ぐに霧散する。そんなことよりも、今はただ、
「やるからには絶対に告白をやりきれよ……!!」
ただ、計り知れない緊張感と周りの邪魔なプレッシャーで押しつぶされても可笑しくはない少女にエールを送る。
「おい、来たぞ!」
「誰だ誰だ!?」
「あれは……」
不意に、一層周りが騒がしくなる。何事かと確認する必要も無い。雨無朝日の待ち人が彼女の前に姿を現したのだ。彼女が中庭に呼び出したのは一人の男子生徒、3年生、写真部部長の和泉縁に違いなく。彼はいつもと変わらぬ朗らかな雰囲気でその場に現れた。
「なんだか凄く注目されてるねぇー」
先輩は周りの野次馬を見渡して呑気に雨無に声をかける。いつもならば猫被りな笑みで「そうですね!」と彼女ならば笑うだろうが、今日は違う。自身の前まで難なくやってきた先輩をいつもとは全く違う様子で真っ直ぐに見つめた。
「急にこんなところに呼び出してしまってすみません、先輩」
いつもは鈍感な先輩でも、ここまでお膳立てをされればこれから何が起きるかを察したらしい。その表情は真剣なものに引き締められる。
「……それで、話って何かな?」
彼のその簡潔な質問一つで、今まで騒がしかった中庭に静寂が訪れる。周りのギャラリーは勿論のこと、雨無と先輩の間にも言葉の無い空白の時間ができる。
誰かがゴクリと永遠にすら感じる静寂を焦れったく思い、生唾を飲み込む音がしたような気がした。雨無は少しのうちに瞑目し、ゆっくりと深呼吸をすると覚悟を定めたように目を見開き言葉を紡ぎ始めた。
「先輩に聞いてほしいことがあるんです……聞いてくれますか?」
「……うん。可愛い後輩の頼みだ、もちろん聞かせてもらうよ」
「ありがとうございます────ずっと……ずっと前から、縁先輩のことが好きでした! 私と付き合ってください!!」
────言った!!
潔く放たれた雨無の告白に、僕だけに在らず、その場を静観していた全員が思った事だろう。しかしながら、僕にとって彼女が放ったその言葉はとても感慨深く、感動すらも覚えてしまう。
シンプルイズベスト。在り来りな常套句ではあったが、彼の雨無朝日が言えばそれは天使の甘い誘惑にも等しい威力を発揮する。その一言だけで周りの野次馬共は興奮し、騒ぎ立てるのには十分であっただろうが、それでもまだ騒ぐには早い。
「……」
まだ、今しがたの告白に対する返答がないのだ。一斉に野次馬共の視線が件の男子生徒に向けられる。今か今かと告白に対する返答を求めるかのように、脅迫にも等しい集団の注目が集まる。……果たして、彼が返した言葉も至ってシンプル。それでいてその場にいた全員を驚愕させる答えだった。
「……ごめん。俺、好きな人がいるんだ。だから、朝日ちゃんの想いには応えられない……本当にごめんね」
「ッ────」
本当に申し訳なさそうに、眉根を下げて笑みを張り付け、そうして頭を下げた和泉縁を見て、雨無朝日は何を思ったか。返答を聞いた途端、彼女は悲しげに顔を引き攣らせ、然れどまるで彼の返答がわかっていたかのように毅然とした態度を現した。
「そう、ですか……そうですよね……わかりました。すみません、わざわざ時間を作っていただいて……それとありがとうござました。ちゃんと返事をしてくれて」
雨無は先輩に頭を下げてお礼を言うと、直ぐに踵を返してその場を立ち去ろうとする。その姿は本当に堂々としていて、まるで告白が成功したとさえ思わせる様子には野次たちでさえ言葉を失う。しかし、流石の雨無朝日も齢16歳の普通の少女に過ぎない。失恋したショックに耐えきれず、その歩みは気がつけば駆け足になり、目元には一筋の涙を流してその場から居なくなった。
「……」
再びの静寂、そしてその静寂を破ったのは誰か……。
「「「えええええええええええええ!?」」」
塞き止められていたダムが決壊するかの如く、怒号のようなざわめきが中庭を中心に巻き起こった。誰もがその結末を信じられないと騒ぎ、そして噂をする。
「あの毒舌天使ちゃんがフラれた?」
「マジ? 何かの間違いとか?」
「てか、それじゃあ天使ちゃんをフった先輩の好きな人って誰?」
「てか真中とのうわさは本当に嘘だったんだな」
先輩のこと、雨無のこと、そして……今ははるか昔の記憶かのように成り下がった僕の事。依然として中庭の中心に取り残された先輩はバツが悪そうに頬をかいて、「この騒ぎをどうしたものかと」困り果てる。
「ッ……!!」
「あ、おい夕夜! どこ行くんだよ!?」
誰もが騒然とする中、僕は慌てたように教室から飛び出た。しかし誰もがそんなことに気づかずに騒いでいる。唯一、古い友人でありすぐ隣にいた大智だけがそのことを察知できた。
しかし、腐れ縁の彼をしてもなぜこのタイミングで彼が教室から飛び出したのか驚き、僕はそれらをすべて無視して廊下を駆け抜けた。




