問い
午後8時。晩御飯に風呂、その他もろもろのことを済ませて自由時間。僕はこの試験期間で日課になりつつある夜の試験勉強をしていた。
「はぁ……ちょっと小休憩!」
普段ならば今対峙している勉強机は物置か、調べ物をする時に使うパソコン置き場にしか使われないのだが、この期間はしっかりと本来の用途にそって使われていた。
勉強はどちらかと言えば好きではないし、できることならば自由時間は自分の趣味に使いたい。なんなら殆どの学生諸君がそう思っていることだろうが、しかしながら今後の学生生活のことを考えればここで頑張っておいた方が後々の為になる。
────どうせ明日から試験なんだ踏ん張りどころってやつだな。
この苦行もあと少しで終わる。そう自分に言い聞かせて僕は休憩を切り上げて英語の課題に取り掛かる。
しかし、それを邪魔する乱入者が1人、部屋に突撃してくる。誰なのか? なんて問うまでもない。この真中家で僕の部屋にノックもなしに突撃してくるのは一人だけだ。
「ねえ、ゆうくーん。お姉ちゃんにひまー! かまってよー!!」
そう姉の陽乃だ。意気揚々と部屋に入ってきた姉からは微塵も試験期間の勉強疲れが感じられない。
一応、姉のも同じ学校に通う生徒。ならば同じく明日から期末試験が始まるというのにこの余裕ぶりはいったいどういう訳なのか? もしかして、生きてる時間軸が違うのか? そう思わずには居られない。
「いや、どう見ても勉強中だよね?」
「えー! つまんなーい!」
勝手にベットを占領して、幼子のようにじたばたと駄々をこねる姉。それに対して僕は調べ物をしていた英単語辞典から目を離して、ベットの方へと半目を向ける。
「バタバタするな、ホコリがまうでしょうが……てか姉ちゃんは勉強しなくてもいいの?」
僕の質問に姉は嬉しそうに体を持ち上げて答える。
「今回の期末は内容簡単だしよゆーよゆー! だからお姉ちゃんと遊ぼ!!」
まるで犬のようにせがんでくる姉に対してやはりため息しか出てこない。
「勉強してるの見てわからんのか。ついに目までおかしくなったか? それに姉ちゃん一応受験生だろ? それこそちゃんと試験勉強しろよ」
「なんでそんな事言うの!? というか目までってどういうこと!!? てかお姉ちゃんは成績優秀で推薦もほぼ確定してるんですぅー!」
僕の辛辣な物言いにやはり姉は「うわぁーん」と子供のようにわざとらしく泣き真似をしはじめる。
────本当に鬱陶しい。
この姉はもう少し時と場合を考えてくれ。それとこの姉、今さりげなく大事なことを宣ったな。
「はぁ……」
これ以上追撃しても逆効果なので僕はぐっと言葉を飲み込み、英語辞典に向き直る。こうなれば完全に無視を決め込むしかない。しかし、侵略者はそれでも諦めない。
「ねぇねぇ、そう言えばさー。同じ部活の雨音ちゃん? とは本当に付き合ってないの?」
また薮から棒に突拍子のない話題を姉は振ってくる。それに僕も僕で無視すればいいものを反射的に答えてしまった。
「前も言ったけど付き合ってない。そもそもあいつ好き人しるし……あと、雨音じゃなくて雨無な」
「そうだっけ? うぅーん……でもまた最近それ関係の話が盛り上がってるというか……もし付き合ってるならちゃんと言ってね? その場合はお姉ちゃんがその雨無ちゃんがゆうくんに相応しい人か見極める必要があるから」
「姉ちゃんが見極める必要はないし、そもそも付き合ってないって言ってるだろ。しつこいぞ」
もう何度したかも分からない問答に僕はゲンナリする。それを知らんふりして姉は言葉を続けた。
「そもそもその雨無ちゃんが好きな人は誰なの? あの子、色んな人に告白されてるけど全部断ってるよね? そんなに素敵な人なの?」
「仮に俺があいつの好きな人を知っていたとして、おいそれと人のプライベートな情報を言うわけないでしょうが……」
「えーいいじゃーん! 絶対誰にも言わないからさ〜、教えてよ〜!」
姉の知的好奇心がなにかの拍子に熱を帯び始めたのか、彼女は僕の背後まで寄ってくると勢いよく抱きついてぐらぐらと揺れ始める。
「やめろ、これじゃあ単語の意味が調べられないでしょうが!」
「教えてくれるまでやめなーい! その口振りからしてゆうくんは知ってるんでしょ? 意外と仲良しなんだね?」
「別にそんなんじゃ……あーもう、しつこい!」
引かない姉に僕は勢いよく英和辞典を閉じる。こうなれば彼女は教えるまで引かない。雨無には申し訳ないが、僕の赤点回避のために犠牲になってくれ。
「……絶対に誰にも言うなよ?」
「言わない言わない!」
「ほんとかよ……。はぁ、3年の和泉先輩だよ」
「ああー和泉くんかぁ……」
僕の返答に姉は意外と言わんばかりに驚いた。僕としては複雑な心境だ。何せ今上げた人物が姉のことを好きなのだから。そんな事など露知らず。姉は「むむむ」と奇妙な唸り声を上げながら思案し始めた。どこに気がかりがあるというのか。
「確かに和泉くんは良い人だけど、しっくり来ないんだよなぁ〜」
「何が?」
「いやね。前に和泉くんと雨無ちゃんが一緒に歩いてるのを見たことがあるんだけど、その時の雨無ちゃんの様子がなんというか好きな人に対するそれとは違うような……」
姉は一人自問自答してぶつぶつと唸る。僕としては姉がただただ「雨無朝日」という少女の為人をそこまで理解していないだけで、よくある邪推としか思えない。そもそも本人が「好き」と言っていたのだから、それで間違いないだろう。そんな僕の考えとは別に、
「それこそ────」
と何故かそこで僕の方を見て、言葉を続けた。
「それこそ、ゆうくんと雨無ちゃんが一緒にいる時の雰囲気の方が、そう言ったものを感じちゃうんだよなぁ。肩肘張ってない、というかさぁ。あんなの誰が見ても勘違いしたゃうよ」
この期に及んでこの姉は……と思わずにはいられない。言いがかりもいいところだ。僕不意に湧いて出た苛立ちを隠さずに反論する。
「だから、僕と雨無はそういうのじゃないって言ってるだろ!」
「いや、うん。それは分かったんだけどさ。やっぱり納得いかないというか……それじゃあゆうくんと雨無ちゃんの関係を言葉で表すなら何なのかな?」
「そんなの……」
姉の質問に答えるのなんて簡単だ。何も難しくなんてない。そう思って言葉を返そうとするが直ぐに言葉に詰まる。
────よくよく考えてみれば僕と雨無の関係を言葉にするのならばなんなんだ?
新たに湧いて出た疑問に怒りは塗りつぶされ、僕は姉を放っておいて自問する。
同級生? 同じ部活の同期? 協力者? それとも友人?
「……」
どれもそうだと言えるし、しかしてどうにもしっくりと来ない。なにか、違う気がする。
「あらら」
思考の海へと舵を漕ぎ出した僕を見て、姉は意外な表情をする。そうして今すぐには答えは帰ってこないと判断して、彼女は急に立ち上がった。
「もし納得出来る答えを出せてないんなら……よぉく考えた方がいいかもよ? 今後の為にもね」
「……」
そう言って姉は優しく微笑み、部屋から出ていってしまう。
姉の言葉はやけに僕の脳裏に張り付いて、その後の勉強は全く手が付かなかった。