犯人は身内
放課後。本日も部室棟は部活動に勤しむ生徒で賑わっている。放課後に入って直ぐは西棟も人通りは多く、そんな中、僕と雨無は珍しく二人揃って部室前まで来ていた。
「ねえ、あれ……」
「わっ……あの噂って本当だったんだぁ」
「どうしてあんなさえない男が……!!」
「あんま見んなって、バレるぞ」
ここまですれ違う生徒にめちゃくちゃ見られたし、ヒソヒソと噂話をされたが、そんなことを気にしている暇は今の僕達には無かった。それでもまあ気分はいいものではないが……。
いつもなんとなしで開けている部室の引き戸が、今日はやけに厳かに見えて開けるのを躊躇してしまう。
「……さっさと開けなさいよ」
「いや、お先にどうぞ……」
何となく扉を開けるのは気が引けて、互いが互いに譲り合うがどちらも先に動き出そうとはしない。いつもは一番乗りで部室にいる雨無も、今日ばかりは普段よりも緊張しているらしい。最悪の場合を既に考えているのが表情でわかる。だって、半泣きだもの。
まだ和泉先輩が情報の発信源だと決まった訳では無いが……まあ十中八九、先輩が今回の噂の原因なのは確定である。好いている想い人が、噂を発生させた原因だとは思いたくないだろうが、こればかりは流石の僕も同情せざるを得ない。相変わらず先輩絡みになるとこの少女は臆病で気弱になり、普通に恋する乙女になってしまう。
まあ、それが普通なのだが、普段とのギャップで今隣に立っているのが本当にあの雨無朝日なのか怪しく思えてくる。
「いいから開けろ……!!」
「はぁ、はいはい……」
いつまでも部室前で突っ立てる訳にも行かないし、周りの不躾な視線に晒されるのもうんざりだ。半泣きの雨無に言われて無理やり扉を開ける。中に入れば、今週からは委員会の当番が無くなった和泉先輩が既に椅子に座ってお茶を飲んでいた。扉を開けた僕たちを見て先輩は朗らかに笑った。
「おー! お疲れ様、有名人お二人さん! いやぁ、まさか二人が恋仲だったとはねぇ!」
「……」
ピシリと、隣の少女の中の何かが……主にココロ的な何かが砕ける音がした。横目で様子を見ればいつもの可愛らしい笑顔を少し引き攣らせて雨無は固まっている。……南無三。
開幕一発目からどぎつい先制パンチをかましてくる先輩。それも全く悪意なく、素直にそう思って言っているから質が悪い。僕は心で合掌して、先輩へと言葉を返す。
「先輩。その噂なんですけど、全くの嘘ですからね。僕と雨無は付き合ってないです」
「あれ、そうなの? 部活中の二人はとても仲良さげだったし……」
仲良さげ……従者のように扱き使われ、一方的に見下され、罵倒される仲が「良い仲」と定義されるのならば、きっとこの世は相当に腐っていることになる。
「あんな見せつけるような写真を撮るぐらいだからてっきりそうなのかと……」
「ふぇ……」
僕の訂正に先輩はこれまた悪意なく首を傾げて、どぎついパンチをかましてくる。僕も思わず貼り付けた笑顔が引き攣った。隣からはまた何かが砕ける音がして、様子を伺えば雨無は白目を剥いて今にも泡を吹き出し卒倒しそうだった。
こりゃあもうダメだ。
幻聴のはずなのに、僕の耳には確かに硝子細工のような心が完膚なきまでに砕ける音が聞こえてくる。もう隣の女は半泣きではなくガチ泣きに突入しようとしている。耐えろ、耐えるんだ。ここで泣いたらもう収拾が付かなくなる。
祈るように僕は彼女から緯線を外して、未だぬぐいきれていない先輩の誤解を解くために尽力する。
「もう一度言いますが僕と雨無の噂は全くのデタラメです。まずはしっかりとそのことを理解してください。それと先輩に聞きたいことがあります」
「うん、何かな?」
結構威圧的に、後輩としてあるまじき強い口調で弁明をしたつもりだったが、先輩は全く気にした素振りもなく朗らかに首を傾げる。本当にわかってもらえるかどうか怪しいが、まずは事実確認が先決である。僕は言葉を続けた。
「そもそもどうしてこんな噂が流れているのかが分からないんですよ。友人から聞いた話だと〈フォトがラリー〉の雨無の写真が原因みたいで、その写真を撮ったのが僕だってことが周りに広がって、付き合ってるって話まで飛躍したらしいんです。けど、そもそもあの写真を撮ったのが誰かを知っているのはここにいる三人だけなんです。……もしかしなくても、写真の撮影者がバレたのって和泉先輩が関係してんませんか?」
「そうだよ?」
意を決した質問に先輩はやけにあっさりと、あっけらかんと答える。けれどそれはやはり予想通り、事前に辿り着いていた答えと何ら変わりないのだが、それでも動揺してしまう。なにせ本人がこの事実の重大さを全く理解していないのだ。絶妙に状況をよく分かっていなさそうなうな先輩に、ここまでくると鈍感なのも考え物だ。僕はそんな彼に更に尋ねた。
「どうしてそんなことを?」
「どうしてって……クラスメイトに聞かれたんだよ。「あの写真を撮ったのは誰だ?」ってね。みんなに聞かれるものだから、みんな夕夜くんの写真を気に入ったんだなぁと思って教えたんだよ。……なにかマズかったかな?」
「……」
ようやく僕の鬼気迫る雰囲気を察したのか、先輩は申し訳なさそうに表情を曇らせる。そんな顔をされてしまうと、責め立ててるこちらが悪いように思えてきてしまう。自分のした事をまったく理解していない先輩に僕は目を覆い天を仰ぐ。
……いや、少し考えれば分かることであった。和泉縁という男子生徒がこういう人間だということを。他人の功績を素直に喜べる、純新無垢なまるで天然で鈍感で難聴系なラノベの主人公のような存在であると。全くもって先輩には悪意などなく、本当に良かれと思って情報を提供したのだと。彼もまた被害者であり、彼一人を責め立てるのもまたお門違いであると。
「えっ、本当にごめん! 俺が何かやっちゃったなら謝るよ!?」
隣の雨無と同じように意気消沈する僕を見て、先輩は本格的に慌て始める。だが僕はそれに構っている余裕もない。なんというか自己嫌悪というか、今しがたの自分の浅ましい態度を思い返して罪悪感を覚えてしまってそれどころではない。
「あはっ……あはは……」
雨無に関してはもう完全に全てを諦め、我慢もむなしく静かに泣き始めていた。ほんと、心中お察しするよ……。
場は正に混沌。ただ1人、状況を飲み込めず理解できていないでいる先輩が混乱し、慌てふためいていた。もう誰にもこの場を収めることなどできない。ただただ時間が解決してくるのを待つしか方法はないのであろう。
「なんかどっと疲れた……」
そうして好きなだけ放心して、好きなだけ絶望して、少しは気も晴れて落ち着きを取り戻してから。僕は先輩に改めて今回の噂は全くの嘘であり、事実関係として僕と雨無が恋仲では無いことを完全下校時間になるまでにしっかりと力説して、脳みそに叩き込んでもらった。鬼気迫る僕たちの勢いに、流石の先輩も気圧され状況を理解したのか、ただ頷くことしかせず話を理解してくれた。
そのお陰か何とか先輩の誤解は解けた……がしかし、学校に現在進行形で蔓延している噂は不特定多数の生徒たちに認知され、誤解されたままである。流石に今日の先輩のように一人一人、噂の真偽を否定し。説明するのは骨が折れるし、現実的ではない。
「どうしたもんかなぁ……」
まだ全く目途の立っていない噂の解決方法に頭を悩まさせるのが、今の時点ではバカバカしく思えてしまうのは仕方のないことだと思う。




