写真の噂
華の金曜日……なんて言うが、あまり学生の身ではしっくりと来ない表現である。それでも週末とは学生を歓喜させ、すぐそこまで待ち受けている休日には心躍ってしまうのは仕方のないことであった。
────休日はなにをしようか……。
例に漏れず僕の心は休日を前に浮つき、休日をどう過ごそうか登校中に思案する。まだ今日という日は始まったばかり、これから本日の授業が待ち受けているのだから気が早いと思うかもしれないが、そんなことは決してない。
休みの日ほど体感時間は早くなり、気がつけば貴重な休日を無為に過ごしてしまうことなんてのは往々にしてありえる。というかその確率の方が高い。ならば今から何をしようか予定を立てるのも一つの策である。
「おい、あれ……」
「……あいつが?」
「らしいぜ?」
なんて自問自答をしているとふと妙な視線を感じて我に返る。それとなく視線を彷徨わせれば視線は気の所為などではなく、確かに周りを歩いている同じ学校の生徒から見られている。何やらひそひそ話まで聞こえてきて、更に困惑する。
────なんだ……?
どこか変なところでもあるのだろうかと、自身の格好を改めるが特におかしなところは見当たらない。妙な視線に充てられ続け、妙な居心地の悪さを覚える。さすがに教室まで来てしまえば、それもなくなるだろうと楽観していたが、いざたどり着いてみると全く変わりはしない。
「……お、おはよう?」
教室に入るや否や、中にいたクラスメイトたちの視線が一気にこちらに向く。そのどれもがこちらを探るような、真意を確かめるような、面白いモノを見るかのような奇異の視線だ。朝から本当になんなんだって言うんだ。
今更ながら嫌な予感が脳裏を過るが、とりあえずそれらを一切合切無視して自分の席に向かえば、先に席に座っていた大智が挨拶をしてくる。
「おはようさん」
「……おはよう」
親友だけはいつもと変わらない様子に内心安堵して席に着く。そして周りの視線を気にしつつ声を潜めて大智に尋ねてみる。
「なんか周りからすごく見られてる気がするんだけど?」
「まあ、そんなの見りゃ分かるわ────」
すると大智は同情するように眉根を顰めて、大きくため息を吐いた。
「お前、噂になってるぞ」
「なんの?」
これっぽっちも見覚えのない話に僕は首を傾げる。すると大智はとても言いづらそうに、顔を顰めつつも何とか言葉を続けた。
「なんの……って、お前が雨無朝日とデキてるって噂だ」
「……は?」
冗談にしては笑えない冗句に思わず素っ頓狂な声が出る。
反射的にもう一度周りを見渡せばクラスメイトはあからさまに目を逸らしてくる。如何にも、つい今までこちらの一言一句を聞き漏らすまいと注目していた良い証拠だ。再び大智の方へと視線を戻して、僕は乾いた笑いが自然と漏れ出る。
「は、はは……」
こりゃ、笑えない。本当に笑えない……笑えないのに喉は勝手にくつくつと音を鳴らす。思考がゆっくりと活動を停止していくのが分かる。今告げられた一大事を現実として受け止めたくない……それでも、僕は聞かずにはいられなかった、聞かなければいけなかった、聞く義務があった、聞く権利があった。
「どういうことだ? なんで僕と雨無がそんな噂に……」
「んなのこっちが聞きてえよ。 あれだろ? お前、毒舌天使ちゃんと同じ部活でそれなりに関わりあるだろ。そんで少し前からお前ら2人が一緒にいる所を他の生徒が見てたんだろ。雨無のやついつも一人だったし……」
呆然とする僕に大智は憶測を混じえながら言葉を紡ぐ。
確かに大智の言う通り、友達の一人もいるのか怪しい……いや、確実に居らず一匹狼の雨無朝日が特定の男子生徒とつるんでいれば、そんな噂が立ってもおかしくは無い。おかしくは無いが……僕はそれほど彼女と過度な接触をした覚えが無かった。噛み砕けば噛み砕くほどに、混乱していく僕に追い打ちをかけるように大智は言葉を続けた。
「決定打は前に夕夜が言ってたフォトギャラリーの写真だ。雨無朝日のワンショット、あれ撮ったのお前だろ? 何故か知らんがその情報が出回って、変な勘違いをした生徒が今言った噂を流したんだろうさ」
「………」
事の真相に僕は絶句するしかない。
まさか、たったそれだけの理由でこんな噂を流されるとは……いや、他の生徒からすれば致命的な証拠になり得たのだろう。はたから見ればそれは十分に「過度な接触」に含まれる。
「確かに、お前と雨無がそんな関係じゃないってことを知ってる俺でも、あの写真を見ちまえば変な勘ぐりの一つや二つはしちまう。あの写真よく取れてたし、そもそも普段の学校生活であんな顔をした雨無朝日を誰1人知りやしない。そんな学校一の美少女の意外な一面を収めた人間は何者だ? ってなったら、色恋沙汰を考えるのが思春期の高校生ってもんだろ」
「……」
ご最もな大智の言葉に意気消沈。ぐうの音も出ない。軽い気持ちで、よく撮れたからと言って、安易に雨無朝日の写真なんかを全校生徒の目に触れる場所に掲示するものではなかったのだ。例えそれが本人の許可を得ていたとしてもである。少し考えれば分かること……リスク管理が全くなっていなかった。
「はあ……」
深くため息を吐いて項垂れる。その間も周りの視線は痛い。しかし、そんなことを気にするよりも、僕には考えるべきことがあった。
恐らく、この噂は既に校内中に知れ渡っていることだろう。ということは確実に雨無の耳にも入っているということだ。それはまずい、かなりまずい、何がまずいって僕の命がまずい。
「……殺されるかも」
「はぁ? 急に何言いだすんだよ?」
物騒な僕の物言いに大智はドン引きしている。けれど今はそんなことどうだっていい。親友にドン引きされようが、周りの視線が痛かろうが、それよりも恐ろしいことが待ち受けている。
雨無様の第一声は果たしてなんであろうか?
きっと今ごろ……いや十中八九、雨無はこの噂にブチギレていることだろう。想い人の和泉先輩との噂ならば彼女は狂喜乱舞するだろうが、微塵も興味のないただの小間使いとしか認識してない男と、何の手違いでも恋人疑惑の噂を流されれば、その限りではない。どう転んでもブチギレ案件だ。
「さて、遺書の用意はあったかな?」
「ほんとうに大丈夫か?」
ここまで事が進み、必ず訪れるであろう未来がはっきりとしている妙な潔さ……悟りのようなものが見えてくる。
『ピロン!』
案の定と言うべきか、タイミング良くスマホの通知音が鳴る。それはまるで悪魔の宣告、地獄へと誘う呼び鈴のように思えた。
「南無三」
恐ろしい音に無視をしたいが、本当に無視なんてすれば自分の首をただ締め上げるだけなので、素早く画面を確認する。そこにはやはりと言うべきか、メッセージの通知が来ていて、その内容は至って簡素。
『昼休み、屋上、集合』
「さらばだ友よ。達者でな……」
「ほ、ほんとに大丈夫か?」
早くも雨無様からのお呼びが掛かり、覚悟を決める必要が出てきた。
うん。普通に大丈夫じゃない。
珍しく本気で心配してくれる親友の優しさが、崩壊寸前の精神を何とか繋ぎとめてくれる。しかしここからは彼に頼ることはできない。地獄が直ぐそこまで来ていた。