入部届と毒舌天使ちゃん
地元にある白陽高校へと進学してから今日でちょうど一週間が経った。歩き慣れなかった通学路や校内、見慣れない教室の風景にもだんだんと慣れてきて、ぎこちなかったクラスメイト達とも少しずつ打ち解けてきた頃。
僕が写真部に入ろうと思ったのは本当に些細なきっかけだった。
職員室への用事の帰り、たまたま掲示板で見つけたフォトギャラリーに感銘と衝撃を受けた僕はその勢いのままに担任教師から入部届の用紙をもらい、写真部への入部を確固たるものにしようとしていた。
元々、部活には入る気がなく、高校生活はのんびりと帰宅部を貫く面持ちでいたが急遽予定が変更になってしまった。既に殆どの部活は新入生の迎え入れ活動を本格的に開始しているが、一週間程度ならばその遅れもまだ余裕で取り戻せるだろう。
「……」
昼休み、いち早く持参した弁当を食べ終えた僕は黙々と入部の届出用紙に名前を書いていた。それを向かいに座った一人の男子生徒が意外とばかりに揶揄ってくる。
「それにしても、まさか夕夜が写真部に入りたいと言い出すとはな〜」
「なんだよ……そんなにヘン?」
馴れ馴れしく届出用紙を覗き込んできたその男子生徒は僕の小中学からの友人────須藤大智だ。
「ヘン……って言うよりかはしっくり来ない感じ? お前ってそんな写真撮るのとか好きだったか?」
大智は既に持参した弁当を完食し、コンビニで追加購入してきた惣菜パンを貪りながら聞いてくる。
幼馴染の疑問は至極当然だった。
どちらかと言えば僕は「モノを撮る」という事に無関心で、よくある「インスタ映え」だの「ストーリーに写真あげよ〜」とかそういう事をするタイプの人間では無い。
別にそういう人達をバカにしているとか見下しているとかいう話ではなく。「写真を撮る」と言う行為が生活の中に全く馴染み無いのだ。「写真撮りたい!」と思い至った時には既に撮りたかったものは目の前に無くて「じゃあ別にいいや」と諦めてしまうとか……まあそんな感じ。
そんな僕がいきなり「写真部に入る!」と宣言すれば疑問に思うのはやはり当然だろう。
「好きとかではないけど嫌いでもないよ。ちょっと掲示板で見た写真が凄く綺麗でさ、僕も撮ってみたいなぁ〜って思ったんだよね」
「それで写真部に入ろうと思うって相当な行動力だな……」
「やるからにはちゃんとやってみたくない? 独学もいいけど、何事も知識のある人に教えてもらった方が間違いないでしょ」
未だ疑問を拭えないでいる幼馴染にそう言って僕は席を立つ。それを見て大智が首を傾げる。
「どこ行くん?」
「職員室。入部届出してくる」
今しがた書き終えた届出用紙をひらひらと揺らす。そんな僕を見て大智は「即断即決だねぇ〜」と呆れていた。
────どんだけ食べるんだよ。
いつの間にか三つ目の惣菜パンに手を伸ばそうとしている大食漢を無視して、僕は今度こそ席を離れようとしたその時だった。
『おおっ!!』
僅かに開けられた窓の隙間からすり抜けて、何やら歓声のようなモノが聞こえてくる。
何事かと視線を窓へと向けてみれば、そこには一組ひとくみの男女。
僕達の教室は二階に位置しており、窓からは校舎の内側にくり抜かれたように存在する中庭を一望することが出来る。そんな中庭は昼休みともなれば生徒たちの憩いの場となる訳だが────
「三組の高山が告白するらしいぞ!!」
「なんだと!? 相手は誰だ!!」
何故か公開告白をする場所としても有名・定番と化しており、現在中庭には一組の男女を取り囲むようにしてギャラリーもとい、野次馬がやいのやいのと騒いでいた。
まるで極秘情報を裏ルートから入手してきたと言わんばかりに一人のクラスメイトが教室の扉を勢いよく開いて騒ぎ立てている。それだけで教室内はお祭り騒ぎだ。
人の色恋沙汰、惚れた腫れたの話に興味を示さずには居られない高校生達が至る場所から中庭に注目を集めている。
しかも件の高山くんが告白している相手はまだ入学して一週間でありながら既にこの学校では知らない人が居ないほど有名人な一年生の女生徒。
「またか?」
「だね」
例に漏れず僕と大智も中庭の公開告白を傍観する。
「一目見たときから好きでした! 俺と付き合ってください!!」
「「「おおッ!!」」」
勇気を振り絞った男子の告白が中庭に響き、野次馬のボルテージが一層高まる。対する女生徒の返事に注目が集まるが、殆どの人間がその答えを知っていた。
「悪いんだけど、あなたとは付き合えない」
一刀両断。まるでゴミでも見るような冷ややかな視線で女生徒は高山くんを睨み、見事に彼は振られた。それで事が済めば良かった。しかし、高山くんを振った女生徒の言葉は止まらない。
「そもそも、あなた誰? 面識はあったかしら? あなたは私のことを知ってるみたいだけど、私はあなたの事なんて微塵も知らないの。だから普通は自分が何者か名乗らない? というかそもそも礼儀が成ってないないとは思わない? どうして相手も自分のことを知ってると思ったの? 最低限の礼儀として自分が何者であるか名乗る必要があるとは思わなかったの? ああ、ある訳ないわよね、こんな大勢の前で厚顔無恥にも告白するぐらいだものね。脳みそが腐ってるか、虫並に退化してるのね────」
今までの物静かな態度から一変、女生徒は饒舌に高山くんへと捲し立てる。
高山くんは女生徒の怒涛の舌刀にぽかんと口を開けて呆然とすることしかできない。それでも女生徒の言葉は止まるどころか勢いを増していく。
その余りにも辛辣な物言いに僕含めた野次馬はドン引きする。しかし、これは予めわかっていた……予定調和とも言えた光景だった。
────まあ、アレに告白するんだから高山くんも覚悟していただろう。
自業自得とは言え、それでも一方的に罵倒される高山くんが可哀想に思えてくる。きっと彼は今現在、絶え間ない罵倒の数々に恐慄いていることだろう。
「今日もキレキレだなぁ……」
「キレすぎて高山くんの方はもうボロボロだよ……」
苦笑する大智に僕は同情することしか出来ない。特異な趣味をお持ちの紳士諸君にはご褒美にも思えるその所業に僕は内心で合掌をする。
「それじゃあ、私はこれで」
「あ……」
いつの間にか言いたいことを言い終えた女生徒は項垂れる高山くんを一瞥して中庭を後にする。そこで高山くんの公開告白は終わりを告げ、周りの野次馬は少し遅れてまた何やら騒ぎ出していた。
「これで八人目か……どいつもこいつも懲りないねぇ」
それを横目に不意に大智が言った。項垂れる男子生徒とそれに目をくれずに立ち去る少女と言う光景はもうこの一週間で随分と見慣れたモノになりつつある。
「まあ一週間、毎日毎日誰彼に告白される方も大変だし、ちょっと言葉がキツくなってもしょうがないよなぁ」
「まあ、確かに……でもあれはオーバーキルでしょ」
「だな」
他人事のように笑う大智。まあ、実際に他人事であり彼の言葉の通り、今告白を受けていた女生徒は入学して一週間足らずで八人に告白されていた。
女生徒の名前は雨無朝日。
眉目秀麗、入学生代表をするほど成績優秀な才女であり、その天使のような美貌から瞬く間に彼女は全校生徒の憧れの的となった。
そうして今日まで学年問わず総勢八人の男子生徒から熱烈な公開告白をされてきて分かったことがる。それは雨無朝日はその天使のような容姿からは想像ができないほど口が悪く、人を嫌い、寄せ付けない孤高の一匹狼だったということ。
一部の生徒(男子)にはその事も含めて絶大な人気を誇るが、一部の生徒(女子)にはお高く止まったその態度が気に入らないと受け入れられず酷く嫌われている。
そんな彼女を誰がそう呼んだか────
「毒舌天使ちゃん、ねぇ……」
なんともキャッチーで皮肉の効いた渾名で呼ばれるようになった。
「気の毒に」
既にいつもの様相を取り戻した中庭を一瞥し、他人事ながら同情する。
「あれ、どこ行くんだっけ?」
「職員室。入部届の提出だよ」
「おー、そうだった」
大智の質問に答えて、今度こそ僕は席を離れる。
既に四つ目の惣菜パンを貪っていた幼馴染に、僕はいくら運動部だと言えど食いすぎだと思った。