デートの魔法
一瞬の静寂が訪れる。雨無の言葉に僕の思考は停止していた。
────弁当を作ってきた……誰が? 雨無が?
予想外の展開に困惑していると、彼女は恥ずかしそうに今まで大事に持っていた手提げバックを僕達の前に出す。それ以降、黙りを決め込んで僕たちの反応を伺っている。妙に大きなバックだとは思ってたけど……。
「朝日ちゃんが作ったの?」
「は、はい! 頑張ってみました!」
「おお! それは凄い! ありがたくいただくよ!!」
「ぜ、ぜひ!!」
和泉先輩は屈託のない笑顔を雨無に振り撒き、それを正面から喰らった雨無は顔を真っ赤にさせている。
「……」
なんとも初々しい一幕がすぐ側で繰り広げられる中、僕は暑さで鈍っている脳をフル回転させる。
今回の合宿が決まってから僕は雨無に「何か休日でしか出来ない特別な事をしてみるといいかもな」とそれらしいアドバイスをしていた。そして今しがたの彼女の提案……つまりはこのデートに手作り弁当を持参というのが雨無の思う特別な事の回答であり、先輩を魅了する為の秘策なのだろう。
────なんだ、やればできるじゃないか。
恋心を掴むのが難しければ胃袋を掴めばいい。なかなか愛くるしい作戦に出る。僕は素直に感心し、そしてこれから自分が取るべき行動を導き出す。
────ふっ……邪魔者はクールに去るさ。
それ即ちここからの離脱。彼女と彼の二人きりの状況を作り出すことだ。
考えるまでも無く、雨無は持参した弁当を先輩の為に作ってきている。ならば僕がそのお零れに預かれる可能性は限りなくゼロに近い……というか、ほぼ無いだろう。
────雨無の事だ、先輩のことばかり考えてて自分の分も作ってないまである。
流石にそこまではないと思いたいが、否定できない。それほど彼女の脳内は先輩のことで埋め尽くされているのだ。
「……」
完璧に今回の作戦の肝を理解した後の僕の行動は早い。いや、寧ろ何もしないと言った方が正解だ。
「それじゃあ浜辺に行こうか」
「はい!」
場は雨無の弁当を食べる流れで話は進み、浜辺の方へと歩き始める。本来ならばそれに僕もついて行くのだが、今回は違う。
名付けて「知らず知らずのうちにフェードアウト作戦」だ。
そのまま棒立ちなのは不自然なので二人の後について行くフリをして、僕は完全に気配を殺しにかかる。二人の意識がこちらから薄れたのを気取り、僕は人混みの中に消えようとする。
────完璧だ。
気がつけば後ろにいるはずの僕が居ない。二人はきっと「はぐれたのかな?」と勘違いすることだろう。
「アンタ、歩くの遅いのよ」
そのはずだったのに……どういう訳か雨無は後ろを振り向いて僕を捕捉する。
「シャキシャキ歩きなさい。先輩を待たせちゃうでしょうが」
「……は? いや雨無、お前何言って……作戦はそうじゃないだろ?」
「……なんの話しよ?」
小首を傾げる雨無は言葉の意味が本当に分からないようだ。
────確かに、この作戦は僕の独断だが……何となく流れで察してくれよ。
「先輩に手作り弁当を振る舞うんだろ? なら僕がいたら邪魔だろ。それともなに? 僕の分も作ってくれてるの?」
「作ってきてるけど?」
「……は?」
まさかの返答に僕は呆然とする。冗談交じりに言ってみたが本当に僕の分もあるとは思っていなかった。そんな僕の反応が心外だったのか雨無は僕に半目を向けてくる。
「アンタ、私の事をなんだと思ってるのよ……流石にそこまで悪逆非道じゃないわよ」
────自覚はあったんだな……。
今にも人を射殺さんばかりの眼光は相変わらずであるが、直ぐに彼女は誤魔化すように咳払いをした。
「一応、今回のこと私としてはかなり感謝してるのよ……そのお礼……報酬ってやつよ。だから有難くアンタも食べていいわ」
腕を組んで偉そうに雨無は宣うがそれが強がりなのは直ぐに判断できた。何せ、彼女の耳はどうしてか分からないが真っ赤に熱を帯びているからだ。しかし、今ここでそのことを言及してもやぶ蛇なので僕はありがたく感謝をする。
「それじゃあ悪……天使様の慈悲に預かりましょうかね」
「今、悪魔って言おうとした?」
「そんなまさか……」
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本当に珍しいこともあるものだ。
雨無が僕の分も弁当を作ってきてくれたという話を聞いて、素直にそう思っていたのも束の間。彼女が僕の分も弁当を作ってきた本当の理由を察した。
「いやぁ、ほんとに美味しいよ!」
「あ、ありがとうございまひゅ!!」
「ねぇ! 夕夜くんもそう思うよねぇ!」
「あっ、はい」
美味しそうにサンドイッチを頬張って無邪気に感想を述べる和泉先輩。その姿が眩しすぎて直視できないのか顔を逸らすばかりの雨無。そして話を振られて気のない返事をする僕。
この女、シンプルに先輩と二人きりだと精神が持たないから僕を緩衝材にして誤魔化してやがる。先輩の方ではなく雨無は僕に鋭い眼光を向けて、今にも幸せの過剰摂取で吹っ飛びそうな意識を何とか保っていた。
────色々と失礼すぎるだろこいつ……。
そもそもどうして今更、先輩と二人きりの状況を恥ずかしがる必要があるのか? 今までは寧ろ「空気を読んで今すぐ消えろ」位のスタンスだったのに本当に謎だ。
────これがデートの魔法ってやつなのか?
普段と状況が全く違うだけで人間とはそれまで培ってきたものや慣れというものが無くなってしまう。本当は雨無も先輩と二人きりが良かっただろうに、難儀な話だ。
「これならいくらでも食べれちゃうなぁ」
「ま、まだまだ沢山あるのでどうぞ!」
不自然に顔を背けながら雨無は追加の弁当箱を取り出す。
意外と言うべきか……まあ当然というべきなのか、雨無の作った弁当は美味しかった。弁当箱の中に敷き詰められた色とりどりのサンドイッチ。結構な量があるにもかかわらず先輩は容易に全て食べ尽くし絶賛した。
「~~~ッッッ!!」
好きな人に手料理を褒められた雨無はとても嬉しそうで、やはりこういう時は年相応な女の子だなと思う。
────そういう顔をこっちじゃなくて先輩に向けてれば少しは意識してもらえるだろうに……。
最後の最後で詰めの甘い雨無に僕は内心で呆れていた。
予想外の展開で昼食を済ませて、少しばかりの小休憩。腹ごなしも終わり本来の目的である写真部の合宿を始める。「合宿」と言ってもすることは普段と何ら変わらない、写真を撮るだけだ。なんならこの浜辺に来るだけでも結構な枚数を撮っている。
「どうしようか?」
三人で一緒に辺りを散策するか……それとも集合時間を決めて各々自由に散策するか……暗に先輩は意見を仰いでくる。
「そうですね────」
三人一緒に辺りの散策をするのも良いが、作戦の事を考えるのならばここは各々自由の方がいいだろう。
────作戦を抜きにしても普通に一人でのんびりと散策したいし。
「自由に散策でいいんじゃないですか? 二時間後にここで集合でどうです?」
「だね。それでいこう」
先輩の賛同も得られたので僕はいち早く歩き出す。
────上手くやれよ。
「ッ……!!」
別れる間際、雨無の方を見ると彼女は微かに頷いたような気がした。
ここで先輩に更なるアピールをしなければ今回の作戦の意味が分からなくなってしまう。気弱になるのは結構だが、それもここまでにしてもらおう。
────流石に最初から最後まで面倒は見んぞ。
「さて、何処から回ろうかな……」
後のことは当人たちに任せて僕は僕で合宿を楽しもう……休日出勤のご褒美だ。
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海は勿論のこと、漁りや防波堤、灯台や海の家etc……天気や気温も相まって本当に夏を先取りしたような気分で僕は写真を撮っていた。
「あちぃ……」
道中にあった売店で買ったラムネを飲みながら一息つく。観光地価格で結構良いお値段なラムネ瓶だが、陽の光に照らされてキラキラと反射するその身はとても風流で、この風情を考えればお釣りが来るくらいだ。
「結構撮ったな〜」
ベンチに座ってここまでに撮った写真をチェックする。
今のように、こまめに休憩を取りながらのんびりと辺りを練り歩き、気が付けば夕暮れ時だ。そろそろ先輩と取り決めた集合時間になるかと言うところ。
「今日はここまでまかな」
ラムネを飲み干して瓶の中に入っていたビー玉がカラカラと音を立てる。そんな音も「情緒があるなぁ」とそれっぽい感想を抱いて僕は歩き出す。
正確な時間で言えば17時09分。集合時間は17時半でここから浜辺までは約十分ほど。時間調整はちょうど良いと言えた。
「これまた絶景だな」
迷うことも無く浜辺へと辿り着いて思わず息を呑む。
沈み掛けの太陽が眩く輝き、辺りに光を振り撒く。その光が海や砂に反射して宝石のように輝いて、幻想的だ。
────少し早かったか。
集合場所にしていた付近に到着するがまだ先輩と雨無の姿は見受けられない。改めて時間を確認すればやはり集合時間までまだ十分ほど残っている。
「……写真でも撮って待ってるか」
のんびりと夕日の沈む水平線を眺めて、反射的にカメラのシャッターを切って二人を待つ。
「ん? あれは……」
右往左往に視界を移していると、不意に波際を歩く先輩と雨無をファインダー越しに見つけた。
その姿はまさに生睦まじい男女のそれで、雰囲気は最高。今回の作戦の集大成とも言える場面であった。雨無は言わずもがなだが、先輩もイケメンに分類される容姿の持ち主だ。天使の隣に居ても見劣りせず、寧ろとても自然で馴染んでいる。
────やればできるじゃないか。
昼までの体たらくがまるで嘘のように思える。まるで成長した我が子を見守る親のような気分だ。
「それにしても画になる」
カシャ。
やはり傍から見れば二人はお似合いで、僕は思わず波際を歩く二人を捉えて無意識にシャッターを切った。
────なし崩し的ではあるけど、合宿に来てよかった。
今撮った写真を見てふと思う。どうやら僕は自分が思ってる以上に写真を撮るのが好きになったらしい。それは風景写真に限らず、今のように誰かを撮る、人物写真の奥深さを垣間見た気がする。
今、二人の少年少女は何を考え、何を喋り、何を願うのか。誰かの人生で大切な一瞬を傍観し、それをファインダー越しに切り取る。
「それは他の誰でもない今この瞬間にいる自分にしかできない」
それがとても運命的で、儚くて、刹那的で、かけがえのないモノに思えた。