第九話
「佐々木さんの本意を語る前に、まず彼女のついた嘘を明らかにしよう」
腕を組んだまま立案する。朝栗は膝に手を置いて肘を伸ばす、真剣に聞いていることを示しているのだろう。ちっこい背丈でその仕草をしていると、背伸びをする子供のように見えた。
「嘘とは?」
「俺に打ち明けた『男子友達が欲しい』という言葉、あれは嘘だ」
「そんなこと言われたのですか。そこは私の知るところではありませんのでなんとも言えませんが……そうですか」
「佐々木さんは自分が男子からよく告白されることを良く思っていなかったからだ。男友達が欲しいと理由付けていたが、彼女の事情を察するに俺を騙すためについた嘘だ」
「……? 事情とは?」
「完璧な人間なりにプライドがあるからな、俺みたいな弱い人間に輝ける自分の弱っているところを見られたくなかったんだろう。弱音も吐けない、だからそれっぽい理由を吐いて俺を誑かそうとしたんだ」
「『完璧な人間』、はぁ、確かに完璧な人間ですね、誰にでも優しくて、朗らかで、凛としている。……そんなみつにプライドですか、にわかに信じられませんがここは飲み込んでおきます。それで彼女が嘘をついたことは分かりました。それで彼女は本当は何を伝えたかったのですか?」
朝栗は顎に手をやって渋々納得すると、俺に視線を戻して聞いてきた。俺は昨日、塀の裏で耳にした彼女のため息を思い返す。あれは確実に落胆や疲労が含意されていた、朝栗にだけ話したと言う「いい顔をするのは疲れる」という言葉にも合致する。俺は鼻から息を吐き出して目を細めた。分からないのか、親友と名乗っていたのに。
「朝栗さんには言っていたんだろう? 『いい顔をするのは疲れる』。……人を振るのも、それなりに気苦労するもんだ」
人の期待に応えられないのは、誰でも罪悪感を抱くものだ。
「…………」
朝栗は目を見開いて硬直した。一体何を思っているのか分からないが、悲しそうな顔をして唇を噛んでいた。俺はショックを受けている彼女を少し待ってから、話を続けることにした。
「これ以上人を振るなんて嫌な思いをしたくないから、人に告白されない環境を作る。これが佐々木さんの本意だ」
俯く朝栗はボソリと、俺の言葉に補足するように呟く。
「あなたを彼氏とすることによって……ですか……その結果が今日のような、クラス中から馬鹿にされることになってしまったと……そう言うんですね。親友として情けないです、困りごとを理解してあげられなかったなんて……」
「そんな簡単な話ならこんなところで話していない」
俺は朝栗の言葉を遮った。少し強めの声音に彼女はピクッと肩を上げた驚いた、それから眉間に皺を寄せて首を捻った。
「それだけの話なら佐々木さんの馬鹿にされた時のあの微妙な反応に納得できない、これが真実なら彼女は噂の否定に勤しむはずだ、彼女にとってみれば予定外の事態なんだからな」
朝栗は「ああ」と言いポンと手を打って理解した。それから顎に手をやって思案に耽り始める、俺も同じように顎に手をやる。現状の考察に間違いないか検めたが、やはり矛盾はない。
「……どうしてみつは、あなたとの交際の噂を否定しないのか……」
ブツブツ唱えながら俯く姿は、子供が必死に親の言っていることを理解しているようだった。だからなのか、俺の母性と言える感情から道標を与えてやることにした。
「佐々木さんのしようとしたことはこの学校、さらに言えば2-Bの人間が必要不可欠だった。あのクラスで、あの噂を立てればどうなるかということを考えてみろ」
カチコチと振り子時計が木の音を立てる。窓の隙間から野球部のボールを打つ音が聞こえ、部員の掛け声が続く。とても静かで呼吸音すら聞かれそうで、意識的に呼吸を小さくしていた。
と、その時朝栗は顎から手を下げて、俺を見て睨みを効かせた。
「解りません、あの噂が立てばみんなから驚かれる。交際を始めたのなら馬鹿にされることもありましょう。それが解るからこそ、それをみつ自身が流す理由が解りません」
俺は少し残念に思いながら、正直に言うことにした。
「あのクラスと言ったが、もっと正確に言えば俺を知っている人間の間で噂が広まることが佐々木さんの計画だ。知っての通り俺はカースト最下位、友達は皆無でいつも一人……さて、そんなやつが佐々木さんと付き合っていると知って、彼らはどう思う?」
「…………まぁ、失礼ですが……信じられませんね」
「どうも。だが彼らはそんな言葉を濁さない、はっきりと『馬鹿げている』なんて失笑するに決まっているし、実際そうなった。……そうなると佐々木さんにとって都合のいい方向に進み始めるんだ」
「……?」
「『佐々木みつと付き合ったやつを馬鹿にしよう』、その空気とかブームという流れが生まれる」
朝栗は口を薄く開けたまま、呆然と俺の顔を見つめていた。俺はふぅと疲労を含んだため息を吐いて肩を落とした、やけに暑く、背中に汗が滲むのがわかる。
「その流れが生まれると当然自分から火の中に入ろうとするやつはいなくなる、だから告白されることはなくなる。こうして、佐々木みつの悪意なき愚者たちを自分が痛い目を見ずに排斥するという願いは叶えられたんだ」
俺という生贄を捧げることによって。
「これが今回の事態の全貌であり、佐々木さんの本意だ」
朝栗は沈黙して、俺の顔の少し下に視点を置いていた、何か考えているのか下唇を噛んでいる。俺ははぁとため息を吐く、自分の惨状を一から説明して良い気はしなかった。
俺が沈黙に耐えかね帰ろうと提案しかけた時、朝栗は顔を上げて頼みの綱を引くような緊迫した表情を俺に向けた。
「ですがっ……それではなぜ、みつまで馬鹿にされているのですか? あなたの理論じゃそこは説明できないはずです……!」
「佐々木さんの誤算だ、俺のマイナス加減を甘く見ていたんだろ、俺と関わっておいて自分だけプラスが得られるなんてあり得ないのに」
答えると朝栗は一瞬口篭って、小さく声を出した。
「……なにを、言ってるんですか……」
俺は感情を押し殺して答える。
「俺なんかと関われば自分が馬鹿にされる。佐々木さんがそんなことも分からないことに、腹を立てている」
押し殺したはずの感情は声に重くのしかかり、まるで朝栗を敵視しているようになってしまった。朝栗は俯いて動かず、スカートをぎゅっと握っている。俺は怖がらせたのを悪く思い、ううんと誤魔化してから、視線を逸らした。
「まぁ、佐々木さんがどうやって噂を流したのかは分からんがな。生憎他人とのコミュケーションには疎いからな。まぁ過ぎたことだし考えるだけ、無駄だな。…………帰るか」
俺はバックを背負いつつ立ち上がる。
誤算と言えば、俺が最初あの要求を断ったことも誤算だったろうに違いない。まぁ俺が許そうと断ろうと同じ結果になってただろうし、今更どうでもいい話だ。
「……ん、どうした朝栗さん」
「…………」
朝栗は口に手を当てて硬直していた、俺が問いかけても反応しない。彼女の全身を駆け巡る衝撃はさまざまな思考を挟んで、今にも爆発しそうだった。
「……いえ……すみません……」
やがてその衝撃を飲み込んだ朝栗は、手を膝に置いて頭を下げると、そのまま俺に視線を合わせることなく立ち上がりバックを肩にかけた。その中途半端な対応を不思議に思った。
「帰りましょう」
「…………そうだな」
しかし、彼女の憂いを帯びた表情を見て、質問を投げかける気にはなれなかった。そうして俺たちはお互い晴れないしこりを持ったまま、保健室を後にした。
×××
駐輪場までやってきた。俺は自分の自転車の鍵を回すと、がちゃんと錆びついた音で解錠された。少し考えて、振り返りついてきていた朝栗に声をかけてから帰宅することにした。
「じゃあ朝栗さん、また明日」
自転車を引っ張り出して、駐輪場の出入り口方向にセットする。朝栗は眉を下げて上目遣いで見つめてくるばかりで、答えることはしなかった、構わず自転車に跨りペダルに足をかけた。
その時、右腕が引っ張られた。
振り向くと朝栗が俺の袖を掴んで引き留めていた。
「まだなにか」
「いえ……あの、その……すーはー……唐突で申し訳ないのですが……」
「……?」
朝栗は視線を逸らしてもじもじしながら言うと、ポケットからスマートフォンを取り出し、それで口元を隠しながら告げた。
「LINE……交換しません、か……」
「え」
『なんで』
思わず固まってしまった。そんなの交換しようなんて、人生で風澄以外から言われたことがなかったから耳を疑ってしまった。俺は耳をぽりぽりかいてから、スマホを取り出した。
「いいぞ。ほら」
「……あ、お手数おかけします……」
手早くQRコードを表示させ、それを見せた。朝栗はいそいそとスマホを操作してそれを読み取ると、何か文字を打ち始めた。するとこちらに通知が来て、バーナーを押しトーク画面が表示させた。
[あ]
俺は適当に笑っている黄色い顔スタンプを返しておいた、すると朝栗は自分にスマホを眺めて深刻そうに唇を結んだ。俺は変に思いつつ、スマホをしまいハンドルを握った。
「じゃあ、また明日」
「あ、はいまた」
地面を蹴って勢いをつけ、ペダルを漕ぎ始める。今日はスーパーに寄る気にならなかった。