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プラマイ・ラブストーリー  作者: 秋田
第一章 暴かれし蛾
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第七話

「はぁ〜……」


 憂鬱な一日が始まった。俺は学校の駐輪場に自転車を停め、鍵を締めポケットにしまった。それから振り返り、足を出す前に立ち止まった。朝から日が照って億劫だ、日向に出るのが憚れる。ここは駐輪場の奥の方なので他の生徒はいない。俺は時刻を確認して予鈴まで時間があることを認識してから、しばらくここにいることに決めた。


 壁に寄り掛かり朝から疲れた体を休める。別に陽光だけがおもりになっているわけではない。寧ろ本題はこちらと言っていいだろう、佐々木との一件のせいだ。


 彼女の要求を断ったことにより、今頃俺にはやれストーカーだの覗き魔だの、思いつく限りの犯罪者のレッテルが貼り付けられていることだろう。無論俺も承知の上で拒否したわけだが、それでも憂鬱にはなるものだ。


 だが時間も時間なので、俺は思い切って日向に出た。明るすぎる陽光が身体を照らしてきて、俺はすぐに顔を伏せた。


×××


 朝学習開始五秒前、俺は教室の後ろの戸を開けた。当然教室にはすでに副担が来ていてお喋りは終わっている。これは俺が意識している人目対策の一つだ、集団の中に孤独でいるのはいつまで経っても慣れないので、こうして時間ギリギリに来ることで一人でいる状況を最少にしているのだ。


 俺の机は最も廊下側の三列目、机横にバックを置いて着席する。いつも通りの動作、オーケー、俺はいつも通り。いつも通りではないのはクラスの連中の方だ。


「…………くすっ」


「……はっ……」


「マジかよ……」


「アレが……?」


 声を殺す笑い声がところどころから聞こえる。その嘲笑が誰に向けられているかなんて愚問も愚問。俺は筆入れを取り出し、いつも通り頬杖をつき卓上にある朝学習のプリントに取り掛かり聞こえないふりをした。


 ……まぁなんだ、てっきりがん詰められるのかと覚悟していたが、嘲笑われるだけなら大したダメージはないな。そもそもあれだ、俺はマイナスしか無いんだしそのマイナスがさらに深くなったと思えばどうってことはないじゃないか。……ま、誰かは俺にプラス要素があるなんて言っていたがな。


 数学の問題を解いていたその時、ペンを止めた。俺は聞き間違いだと改め、すぐにペンを持ち直して解き始める。


 ……え、えぇーと、イコールの関係にあるマイナス同士はプラスになるから……。俺は『=』を書き、その左右に数字を書こうとした。しかし、やはり聞こえる言葉に再びペンを止めた。


「アレがみつの()()……? 流石に嘘だろ……」


 頭が真っ白になった。何が起こっているのか全く理解できなかった。佐々木が俺の写真を公開したとしてもそこから彼氏に繋がるなんてことはないはずなのだ。俺の体温は一気に上昇し、汗が滲み出した。


 俺は額に手をやって問題に頭を悩ませるふりをして顔を伏せたが、目の前にあるプリントの文字には全く頭に入ってこない。


「……いやっ、流石にみつが可哀想だわ……!」


「そ、それな……あいつみつのどんな弱み握ってんだよ……!」


 俺の嘲る声がチクチク俺の背中を刺す、まさに針の筵だ。クラス中から視線が集まっている、生き殺しだ。


 俺は姿勢を一切動かさないまま、窓際の席に座る佐々木の様子を横目で窺った。


「……」


 佐々木は前の席の女子と話していた。その女子は俺のことを指差すと訝しむように眉を顰めて、佐々木に微笑みかけた。その微笑は友達に向ける賛美の笑みではなく、人間の腹底に根付く悪意の表れのような笑みだった。言い換えるならば、『お前は正気か?』と馬鹿にする冷笑である。


 俺は視線を向けられる指から佐々木の顔に移した。


「……ん」


 乾いた笑いが浮かぶ。佐々木は嬉しそうに笑うわけでも憤慨して否定するわけでもなく、ただただ困ったように頬を上げるだけだった。その仕草が予想外で、迷然としたジグゾーパズルを前に沈黙した。


 俺は口を一の字に結んで顔を俯かせた。プリントの続きを書こう思っても俺は指を動かせず、結局朝学習の終了時刻が来てしまった。後ろから流れてきたプリントの束を机の隅に躊躇いがちに置かれた時やっと我に返り、慌てて『=』の先が白紙のままのプリントと合わせ、前の女子に渡したのだった。


「……?」


 その時、プリントを渡した前の席の女子はそれを前に送るはずが、なぜか俺をジッと見つめていることに気がついた。つい敵意満々に外方を向いてしまった、別に嘲る視線でもなかったのだが、今の俺は視線に敏感になっていたのだ。


 トントンと前の女子の机が叩かれた、前列の奴が催促したらしい。視界外で女子が動く気配を感じる。俺はジッと机の木目を睨みながら、ペンを回した。


×××


 それからというもの、俺はクラス中から痛い視線を浴び後ろ指を刺されながら授業を受け、昼休みとなった。正午となっても相変わらず嘲笑は止まない、誰かが表立って俺に直接何かを言って来るわけじゃないのだからタチが悪い。佐々木も依然として曖昧な微笑を湛えて投げかけられる質問を有耶無耶にしているだけだった。俺に嘲罵が向けられるなら、佐々木には悍ましい好奇心が向けられている。


 昼休み、俺は4時間目の体育で使用した道具の片付けを体育教師から頼まれていたので、一人それに勤しんでいた。


 体育館の体育倉庫は埃っぽく、カビ臭く、熱が籠っている、お世辞にも居心地が良いとは言えない、があの教室にいるくらいならここに住んだほうがよっぽどマシだと思うほど、それくらいあの教室は俺にとって刺々しいものだった。だからこうやってわざとたらたら作業を遅らせているのだ。


 整然と整えられた体育倉庫内を見渡して額の汗を拭った。その時背後から小走りの足音が聞こえた。クラスの連中はとっくに教室に戻っているはずだから、先生か? しかし俺の予想は大きく裏切られて、その人は振り返った先にいた。


「あ、ごめん! 着っぱなしだったんだけどこれどうしたら――」


 俺の姿を見て硬直した体育着姿の佐々木は、先ほど使用していたビブスをつまんでいた。今日の体育はバスケだった。それでもなんでまだ着てるのか全く分からない、忘れるか普通。


 俺は頭をかいて動揺を収めたあと、佐々木に手を伸ばした。


「俺から先生に返しておくよ……ん」


 寄越せと差し出した手をさらに近づける。


「え? ああ……いややっぱりいい、私が返しておくから」


 佐々木は曖昧な微笑を浮かべると手刀の手を挙げて俺の好意を断った。しかしこれで食い下がる俺ではない、せっかくの時間を潰せる口実を無碍にできない。


「いや乗りかかった船的なやつで、ついでだ」


 俺が言うと佐々木は俺の手を見つめながら口を尖らして考えた後、渋々承諾した。


「そぉ……ありがと……じゃあお願いします……」


 なぜか畏まる佐々木は首襟を引っ張って口許を拭ってから、頭から豪快に脱いだビブスを俺の手に置いた。ビブスで汗を拭くな持ちにくいだろ。と言いたいところだが何も言えず、「ん」と答えて手を引いた。心なしかいつものビブスより重い気がする。


 よし、これであと五分は稼げるな。と思っていると佐々木が目を伏せてもじもじしていることに気がついた。


「どうした? まだ何かあったか?」


「え!? いやううんなにも……。いや……ないこともない、けど……」


 地面を見つめて口籠る佐々木は何か言いたげにして立ち去ろうとしない。気まずい空気が流れる、彼女の言いたいことなんて考えるまでもないが、それを追及することは憚れた。


 数十秒揃って沈黙していると、佐々木は突然クルッと振り返った。やっとくるかと思い身構えた、しかし佐々木はボソッと


「歩澄くん、ごめん」


 そう呟くと体育倉庫を出て行こうと歩き出した。俺は硬直したままその様子をただ眺めていた。その謝罪の意味は結局分からず、呆然と突っ立っていた。


「待て」


 気がつくと俺は佐々木の腕を掴んでいた。恐ろしく繊細で美しい腕は、とても冷たかった。振り返り俺を見つめ目を丸くしている佐々木を見て、手を離した。絶対に痛くないように優しく握っていたので跡は残っていない。


 苦しそうな顔をして俺から視線を外す佐々木を見て、俺は聞いた。やはり聞かずにいられなかった。


「あの()を流したのは、佐々木さん?」


「……」


 佐々木の肩がピクッと動いた。俺は固唾を飲む。そんなわけない、ありえない、俺の何かの間違い、誤りだ。あのプラス族筆頭の佐々木みつが()()()()()するわけがない。


「うん。あの噂を流したのは、私だよ」


 佐々木は笑っていた。あの時の悪魔的な微笑を湛えて上目使いで俺を見つめた。


 小さい口許から告げられた言葉はか細いものだったが、俺にはよく聞こえていた。はっきりと明確に聞き取ることができた、だからこそ俺の心臓は破裂するような傷みを発していた。


 …………なるほど…………。


「そうか……それを聞いて落ち着いた」


「……?」


「いや、もしマイナスばかりの俺から佐々木さんにとってのプラスが生まれたのなら、嬉しい限りだ」


「……いやーそりゃどうもどーも。でも歩澄くんも嬉しいでしょ、私の彼氏になれるんだから。なりたくてもなれない人は沢山いるんだよ」


「まぁな嬉しいさ、こんな名誉なことは生まれて初めてだ、周りの目のせいでプラマイマイナスだけどな。……まぁいいさ、俺と言う犠牲のもと、佐々木さんは安寧を満喫すればいい」


 昔から俺には激怒すると憤慨するわけでも声を荒げるわけでもなく、ただただ失望する気質がある。残念ながら俺には正しい怒り方というのが分からない。


 だから今回もそうだ、佐々木がこんな所業を為したことに赤の他人でありながら傲慢にも失望しているのだ。


「……犠牲なんて、そんな言い方しないでも……私だってこんなこと望んだわけじゃない……」


 俺は顔を逸らして突っぱねることを言うと、佐々木はぎゅっと腕を抱いて眉を寄せた。下唇を噛んで何か言いたげに俺を見つめる。だがそれに応えることはできず、俺は無視して立ち去ることにした。佐々木の耐え難い事情は知っているが、だからと言って赦せることではなかった。


「……歩澄くん、」


「……なに」


 呼び止められ、俺は振り返らずに聞く。


「昨日、ケータを振ったこと……誰かに言った?」


 予想外の方向の質問が来て若干思考を巡らせた。だが意味なんて分からず、俺は正直に答えることにした。


「俺に言う相手がいるとでも?」


「あごめん……」


「別に、怒ってない」


 俺はそう言い残し体育倉庫を後にした。早歩きで体育館を出て、佐々木からビブスが託されていることを思い出し、すぐ隣の体育職員用の職員室の戸をノックした。


 失礼することを述べ、俺は戸を開ける。中には体育教師が数人在席していて、俺は自分の担当の教師の所まで言ってビブスを渡した。何か教師が労いの言葉を言っていたが、俺は無意識に相槌を打ち、脳は一切取り合っていなかった。


「じゃあお疲れ、午後も頑張れよ」


 教諭のその言葉を最後に戸を閉めた。体育館倉庫に佐々木の姿はなかった。

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