第四話
「彼氏役……?」
「うんそう、ずっとそういう話で進んでたじゃん。もしかして相談に乗るだけで済まそうと思ってたの? はぁー、察してよ」
俺が呟くと、佐々木は俺の目に入った砂を確認しながら口を尖らして答えた。こんなに女子と接近したのは人生初だった、それも相手があの佐々木となるとこの記憶は残りの人生で一生鮮烈な記憶として残ることだろう。
「うん、ほら大丈夫だよ。全く、歩澄くんって意外とおっちょこちょいだね」
俺は、はにかむ佐々木が離れたことによってハッと我に返ることができた。俺は平静を取り戻し、冷静に聞き返すことにした。ひとまず俺の話と食い違う理由をはっきりさせるべきだ。
「佐々木さん、確認だが『どうにかしてもらう』ってのは、相談に乗って男友達ができないことの解決策を教えてもらうことじゃなくて、それを解決することそのものを言ってるのか?」
頬に汗が伝う、今日は本当に暑い。いやそれだけじゃない、これはあれだ、冷や汗だ。佐々木はきょとんと俺の話を聞いた後、ピースサインを頬に当てつつ白い歯を見せて笑った。
「当たり前じゃん!」
その時、脳裏にある記憶が駆け巡った。
あれは中学校の頃、俺と風澄は同じ中学に通っていた。その頃はまだ自分がマイナスということを自覚していなかったのでその分タチが悪かった。クラスでは常に独り、休み時間には上階のクラスへ風澄に会いに行っていた、恥ずかしながら姉の近くは居心地が良かった。
中一の冬、風澄はクラスメイトから言われた。
『風澄ってさ、姉弟仲良いよね』
明らかに蔑視の意味が込められていた。当たり前だ、姉には友達がいる、それなのに弟という異分子が、しかも口を開かない朴念仁が、暇なときいつも割り込んでくるのだ、それはもう邪魔者以外何者でもなかった。
それ以来俺は自ら風澄に近づくことはなくなった。なんのことはない、いつものことだった。俺のマイナスが周りをマイナスにしただけのこと、俺のマイナスがマイナスを生み出すことなんて当然のことだなのだ。
――ダメだ、なぜなら俺はマイナスなんだから。頭を抱えて十秒間悩んだ後、反論の糸口を見つけ出した。
「でも俺をか、彼氏役にするのは、さっき言ってた話と矛盾するんじゃないか」
「さっきの話って?」
俺はううんと一拍置いてから諭す。
「誰かと付き合うと周りは遠慮して一線引かれるって話だ。俺を彼氏役として据えたら、言ってることとやってることの整合性が取れない」
「ハッ」
なぜか鼻で笑われた。
「そんなこと承知の上だよ歩澄くん、だいじょーぶだってちゃんと考えてあるから。歩澄くんはなぁーんの心配もしないで私の言うことだけやってればいいんだよ」
「言ってることが彼氏役の相手に言うことじゃないだろ、俺を洗脳しようとしてるのか」
「ま、歩澄くんが私の可愛さに圧倒されてなんでも肯定マンにならなかったことは、私としても意外ではあるかな」
「なるわけないだろ怖いな」
佐々木は腕を組んで感心したように頷くので、俺はあまりの自信過剰っぷりに慄いてしまった。いや実際もし佐々木にいつもの天真爛漫テンションで甘えられていたのなら、俺は抵抗する気も起こさず従順なる従僕に成り下がっていたかもしれない。しかし初対面があの悪魔的な微笑だったから……ん?
「そういえば、あの時なんで写真撮ったんだ?」
塀の裏に隠れていた時、俺は佐々木にスマホで撮影された、なんやかんやあり結局その理由を聞き忘れていたことを思い出した。佐々木はああと手を打つとポケットからスマホを取り出した。
「いや脅しに使えるかなって」
「こいつ終わってる」
サラッとえげつないこと言ったぞこいつ。まともな人間が同級生を脅迫なんて考えない、考えたとしても実行しないだろう。それをこうも簡単にできてしまう精神は、彼女の激動と後悔の人生によるものなんだろうか。少なくとも俺はしようと思わない。
「『この写真をばら撒かれたくなければ私に協力しなさい!!』」
佐々木はスマホ画面を俺に見せつけて、あらかじめ用意しておいたような聞き馴染みのある脅迫文を言った。だが、それに屈するような俺じゃない。
「分かった。それなら思う存分拡散すればいい、仮にそれで疎まれ嫌われたとしても仕方ない」
「ふふん、さすがの歩澄くんでも――え? 今なんて……」
佐々木さんは意外そうに目を丸くして半歩引いた。俺はポケットに手を入れた、心の膿がぐじゅぐじゅ再発症してきていた、ぼそりと答える。
「俺は佐々木さんたちとは違う、俺からプラスが生まれることはない。佐々木さんがどんな計画を立てているのか知らないがきっと望む結末にはならない。……プラス族はマイナス族と関わっちゃいけないんだ」
考えれば佐々木さんがどんな目に遭おうが俺の知ったこっちゃないのだ、俺は何もせずただ流れ身を任せていれば良かったのだ。なぜ佐々木さんを助けたんだ、なぜ……なぜ?
「……?」
佐々木はこてんと首を傾げた。俺の言いたかったことは何も伝わらなかったらしい。
「と、とにかく俺は佐々木さんの彼氏役になんてならない、写真も自由にしてくれていい。それで話は終わりだ」
俺はバックを背負い直してから歩き出した、困惑する彼女をおいて。逃げたと言っていいだろう。彼女は誰の目から見てもプラス族だ、栄光の青春を謳歌する優良で一般的に求められる姿勢の人間だ。風澄の時もそうだった、そんな人とマイナスが関わったのなら、お互いにマイナス要素が働くだけだ。
プラスとマイナス、答えは簡単マイナスだ。数学界ですらこの真理に気がついている。人も同じだ、人間はマイナスとプラスに別けられて、その二つが関わる時『マイナスとマイナスでプラス』に、『プラスとプラスでプラス』に、人間も同じ属性の人としかプラスは生まれない。
この結果を見ても明らかだ、俺のマイナスとしても経験則を吐露してもプラスの佐々木には全く理解されない。俺も彼女の苦悩を理解して同情してやれるほどプラス族に寄り添えない。
プラスとマイナスが関わったって、結果は一つ。お互いがマイナスを負う、そういうことだ。その真実を俺はとっくの昔に思い知っている。
「……あ、歩澄くん……」
背後から戸惑ったような声音が聞こえた、俺は後ろ髪を引っ張られる気持ちを抑えて足を前に出した。それきり佐々木の声は聞こえなくなった。
夏の暑さが俺を包み込む。やけに蝉の声がうるさく感じる。だから俺は公園を出て佐々木から見えなくなると、居ても立っても居られなくなって、無性に家路を急いでいた。