第二話
その日の放課後、初夏の香りが香り始めるこの季節、日に日に高くなる最高気温に同調するように学級の雰囲気も和やかに熱を持ち始めてきていた。もちろんその輪に俺はいない。
自転車に跨ぐ俺は信号が変わるのを待つ。長袖のシャツを腕捲り熱を逃すがそれでも大して熱気の鬱陶しさは変わらず、俺は首元をパタパタやって風を循環させてみる。七月に入ってからすぐこの灼熱、流石に体に応えるものだった。
暑いといえば我が夕涼高等学校もそれに等しい。
夏といえば、海! 祭り! 女! と、我々学生にとって青春イベントの絶賛オンパレードな時期なことは語るまでもない。気になるあの子を夏祭りに誘ったり、同性友達と休みをエンジョイしたり、この長期休みに色々卒業したり……まぁ学生とは夏というだけで浮かれ騒いでしまう単純な生物なのだ。
無論、この俺とて学生。この夏、主に夏休みを実に充実したものにするべく算段は既に立てている。
瑩然とする太陽が容赦なく俺の肌を焼き付ける、あまりの暑さに目の上に手をやって影を作る。背汗が下着にじんわり染みていて気分が悪い。
……こんな暑い夏は、独り引き篭もるに限る。
×××
自転車を駐輪場に停める、俺のルーティンとして家に帰る前に毎度必ずこのスーパーに立ち寄ると決まってる。狙いも決まっている。
俺は見慣れた食品棚を見やりながら目的の売り場まで向かう。途中同じクラスの男たちが二人いた、なにやら辺りを警戒するやつとそれを茶化すやつが、お菓子コーナーの前で道を塞いでいた。おかけでコースを変えざるを得なかった。
『一人はサッカー部のバック』
『楽しそうなやつと辺りを見渡すやつ』
『サッカー部は今日部活』
『=サボり』
すーはー、冷たい空気が肺に入り体温が下がる。俺の狙いはこのアイス、プペコだ。一つ買うだけで二本楽しめるなんて、なんと良心的なアイスなんだろうか。中には恋人や友達と分け合って食べる人がいるらしいが、そんなの俺には全くいないのでもとより考慮外だ。というか俺は多分彼女や友人がいても譲らないと思う、それくらい好きな食べ物だ。
購入を済ましスーパーの自動ドアを潜る。ジトっとした暑さが再び俺に襲いかかってくる。俺は自転車の鍵を外しながら考えた。
どこかで一本食べて行こう……それなら家の近くの公園かな、よしそうと決まれば善は急げだ。
俺は冷たいプペコをカゴに入れ走り出した。今思えばこの日は運が悪かった。朝は寝坊のせいで遅刻しそうになるし、授業では出席番号が日付と同じでよく指名されたし、スーパーではクラスメイトを見かけるし、うんこ踏むし、だから気がつくべきだったんだ。素直に家に帰っておけば良かったことに。
×××
この公園には人が滅多に来ない。いや、確かに子連れの家族とか散歩中のおばさんとかは出没するが、学校の人間がいないということだ。これはぼっちの俺にとってとても快適に過ごせるユートピアと同意義だ。
早速東屋の隣に自転車を適当に停め、鍵もせずベンチに腰掛けた。塀と屋根に囲まれた空間は物静かで涼しげだった、風の通りも良好でこれは案外良い避暑地かも知れない。
俺は棚ぼた的な幸運に息をつきながらボロボロな木の机にプペコの片方を置き、もう片方をチューチュー吸い始める。熱った体に冷気が広まる、もう一度息をついた。
俺はバックから読みかけのラノベを取り出し片手で開く。断じて格好つけているわけじゃない、濡れてる手で本には触れられないからだ。それはそうと、俺はラノベを結構好む口だ。ラノベは良い、特にラブコメには目がない。恋愛に疎い俺の持つ恋愛モデルはラノベの主人公たちからの則りなくらいなのだから。
なんて矢先に俺の人感センサーが大きく反応した。どうやら夕涼の人間が近くに現れたようだ。
俺は食べ途中だったプペコを袋に戻しラノベと一緒にバックに投げ入れ、そのバックを抱えて塀を飛び越えた。その迅速さはぼっち生活で身につけた人避け術の進化の成果である。
塀の裏に隠れてやり過ごすことにしよう……ふぅ、これで一安心。
……惨めだ……。
俺は唐突に自分を俯瞰し憂鬱になった。冷静に考えてなぜ自分がこんなコソコソ生きねばいけないのか……。
「――意外と涼しー! あー助かったー。ほらほら来て! めちゃ涼しいよ!」
「ちょっと待ってくださいよ先輩!」
……! そうだった。夕涼高校が熱を帯びている理由は夏のせいだけじゃない、それを語る上では彼女の存在を語らねばなるまい。
俺は聞き覚えのある声音に驚きつつ、朽ちて崩れかけの木塀の隙間から彼女のことを覗いた。
「私この公園初めてきたかもー、あっつー。……ん、あ! プペコの上の部分じゃん! あープペコ食べたくなってきたー、ねーあとで買い行こー」
佐々木みつ、クラスメイト。夕涼高校一の美貌と愛嬌を兼ね備え、誰に対して分け隔てなく純粋無邪気、極め付けの優しさ。まさに学園のマドンナと称するに相応しい女の子。男子からの人気はもちろん同性の友達も多く、先生たちからの人望もある。校内外問わず人の目を引き、入学当初から一際目立っている存在だ。つまり俺とは対極の人間と言えるだろう。てかあれ俺のプペコのゴミだ、落としていたか……。
「汚いからあんまり触んないほうがいいですよ、先輩ってゴミとかよく触れますよね、この前も触ってたじゃないですかあれ、プテチと袋とか」
顔を顰めて引き気味に言った男は当然のように佐々木の隣に座った。もう一人の男は……知らん誰だ。先輩ってことは一年生か……? やはり佐々木ともなると学年別の友達もわんさかいるんだろうか。
「私こういうの気になるんだよね、普段見えてるところだけ綺麗でも、知らないところが汚かったら意味ないって思うの」
「めっちゃ偉、俺も拾うことにします」
「なにそれ」
サラッと答えた男に佐々木は破顔させ微笑んだ。男もまんざらでもなさそうに微笑み返している。俺は萎えた。逃げようにも周りは高い草で囲まれ動けないし何より自転車がある。こいつらが動くまで動けない。
はぁ、まさかこんなことになるなんて今日は本当についていない……まぁどうせすぐいなくなるだろ。
×××
「俺らもう付き合っちゃいませんか?」
爽やかな夏風が吹き佐々木の髪が靡く、当人は瞳を丸くして驚いていた。
あ?
あれから数十分経過しそろそろお尻が痛くなってきて尻を浮かせていた頃、唐突に男が告白した。話を聞いてなかった俺は脈絡のなさに驚いたがそれは佐々木も同じらしい。というかこんなところで告白なんてするなよ。
「……それって、恋愛的なあれだよね……?」
「は、はい……」
固唾を飲む男はジッと佐々木を見つめる。俺はなんとも居た堪れない気持ちでジッとむず痒さを堪えていた。なぜ俺まで緊張しているんだ……。
どうやら同じ性というだけで緊張感が伝播してしまったらしい。あんな名も知らない男を応援してしまうなんてなんとも軽い心持ちである。
俺は体勢をずらして佐々木を見た。照れているのかその頬は若干朱色に染まっているように見えた――。
「ごめんケータをそういう目で見たことないから」
「……………………」
……………………。
「こっ、そそっか、あはは、そっかー。いけると思ったんですけどねー! やっぱり俺の魅力が高すぎて遠慮しちゃいましたかね? あははは!」
男は頭に手をやりことさらに笑って言う。
「あははそんなわけないじゃん」(笑)
俺は顎まで垂れた汗を拭いながら苦虫を噛み潰した顔をした。すると背後から男の声が続いた、なにやら言い訳を並べているが要するに用事があるらしくもう行くらしい。それを気まずさ故の退散ということを知ってか知らずか佐々木はそれを一言で了解した。
男は最後で笑顔でいながら、公園を後にした。佐々木はそれを手を振って見送った後、再び東屋の下に入ってポスっと腰を力無く落とした。
なんだか見てはいけないところを見てしまったような……なんか怖い。早く帰ってくれないかな……。
俺は膝の間に顔を挟む。その時佐々木の「はぁー」と大きなため息が聞こえた、落ち込む彼女の姿が連想できず少し戸惑った。さしもの佐々木でさえメランコリーを患うらしい。
そうして息を殺し彼女が立ち去るのを待つ、こうしていればバレることはないとたかを括っていた。しかし俺は、今日はつくづく運が悪いことを忘れていた。
――ティロンティロンティロンティロン。
突然電子音が静かな空間に鳴り響いた。聴き馴染んだフレーズがループする、スマホの着信音だ。俺は顔を青くしながらポケットからスマホを取り出し画面を見る。
画面には予想通りの名前が表示されていた、俺のスマホに電話をかけてくる人物なんて消去法で一人しかいない。風澄、俺の一人姉だけだ。
俺は迷いなく左の赤いボタンを押し拒否した。大した用事じゃないということは経験則から予想できる。そんなことより心配しなければいけないことは他に、主に背後にある。
俺の顔はきっとこの青空のように蒼白していることだろう。そう思いながらゆっくり振り返った。
――カシャ。
振り返り顔を上げた先にあったのはスマホだった、傾け横向きにした端末は俺に向けられていた。そしてシャッター音、俺に何をされたのか、俺の状況をどうされたのか即座に理解した。
写真を撮られた。
『何故』
『証拠写真』
平穏が崩れ去る音を聞きながら俺は視線をさらに上に上げて撮影者を見つめた。初めて間近で正面からその端麗な顔を見た。なるほど確かに、これは美人だ。
「……確か同じクラスの、日向歩澄くん……だったよね」
「これには訳がある」
俺は手を挙げて無抵抗を示した。佐々木は構えていたスマホを下げると塀から覗き込んだ状態で俺を見下ろした、その瞳は単にクラスメイトを見つめるものではなく、俺は死期を悟る。
「何やってんの歩澄くん。……いやううん、別に何もしてなくてもいいや」
そう含みを持たせて微笑む佐々木はクルッとスマホを裏返し画面を見せてきた。そこには俺がいかにも変質者っぽく写る写真が映し出されていた。手を伸ばせば届く距離にスマホがある、しかし俺にそのスマホに手を伸ばす気力は起きなかった。
なぜなら、あの学園のマドンナがこんな――
「これからどうにかしてもらうんだから……」
悪魔的に笑うものだから。