第十一話
車のヘッドライトを右半身に浴びながら自転車を漕ぐこと数分、昨日風澄と来た公園にやってきた。公園の入り口で自転車から降り手で押し、東屋まで向かう。すると東屋の中でモゾモゾ動く影を見つけた。
なにかを叫んでは頭を下げる、その奇行の意味を立ち止まって思案した後、鼻で息を漏らした。公園の隅に自転車を停めて、東屋に向かって歩いた。
「も、申し訳ありませんでし、いや固すぎるかな……ごめーんね! ……軽すぎるよね。というか手ぶらも失礼だし菓子折りなんて用意したほうがいいのかな」
「こんばんわ佐々木さん」
「ぶぁッちょ!? ――って〜……。え、な、なんで歩澄くんがこ、ここに!! こんばんわ!!」
俺の呼びかけに驚いた佐々木は肩を跳ねさせてからベンチに尻餅をつく。目を見開いて俺を見つめ、ガクガクしてうまく動かない顎を使って俺に問いかけてきた。
俺は佐々木から反対の位置の座る。
「朝栗から佐々木さんがいなくなったって言われたから迎えにきた、なんでもお母さんが警察に通報するとか言っているらしくてな、放ってはおけん」
「お母さんが? そんな、私ちゃんと出かけること伝えたのに……もしかしてイヤホンしてて聞こえてなかったのかな」
佐々木は顎に人差し指を当てて口を尖らず。まぁそこはどうでもいい。俺はポケットからスマホを取り出す。
「電話は来てなかったのか」
佐々木は俺のスマホを見て「あ」と顔を渋らせた。それからバツが悪そうにスカートのポケットからスマホを取り出した。
「充電ないのか」
「う、うん……家出る時に充電してくればよかったね。歩澄くんモバ充ある?」
「ない。とにかく分かった、朝栗には俺から伝えておく」
『俺にモバイルバッテリーを要求するなんて』
『厚顔』
俺はLINEから朝栗に電話をかける、ワンコールも経たずに応答があった。佐々木を見つけたことと居場所を報告して、親御さんに警察の通報を取りやめてもらうよう伝えることを指示した後、電話を切った。朝栗は何度も何度も俺にお礼を言っていた。
俺はスマホをしまい、依然として表情の定まらない不安定な佐々木は、何か言いたげに俺を見つめて口篭っている。しかしその口から言葉が発せられることになるのは俺が一言申してからになる。
「悪かったな、俺のマイナスが迷惑かけて」
「え?」
佐々木はきょとんと目をぱちくりさせる。
「俺といるところを見られたから根も葉もない噂を立てられ、佐々木さんは馬鹿にされた、悪かった。あの噂を流したのは佐々木さんじゃないんだろ」
「……ば、バレた?」
佐々木は喋りかけていた口の力を抜いて半開きのまま、気の悪そうに項垂れた。
「ごめん歩澄くん、私のせいでこんなことになっちゃって。本当にごめんなさい」
苦しみを堪える声で謝罪され、俺は何一つ言い返すことも許してやることもできず、ただ胸で存在を主張するある気持をどう放出するかしか頭になかった。
『その名も』
『不満』
俺は傷心する佐々木を数秒見つめた後、机に両肘をついてお互いの指を絡ませた。
「今回の騒動の顛末を考えたから、答え合わせする」
「答え合わせ? 突然どうしたの?」
俺は上目遣いで聞いてきた佐々木に構わず続ける。
「昨日佐々木さんの言っていた『男子友達が欲しい』という言葉は嘘だな、本当は告白されないことだけを望んでいた。俺にああいう迂遠な目標で嘯いた理由は――」
朝栗に説明した『弱いところを見せたくなかったから』、あれは誤りだった。俺は最初からヒントを持っていた筈だった。
「本心を言って他人に心配かけたくなかったからだろ」
こいつは自分のために嘘をついたわけじゃない。
「佐々木さんは優しいから」
心の底から他人のことを想って本音を押し殺していたんだ。
佐々木は目を見開いて硬直する。
今や学園中のアイドルで年中告白に引っ張り凧、彼女に玉砕した人数は数知れない。そんな中もし佐々木が本当は告白を迷惑と思っていたと知ったなら、そいつらに罪悪感の感情が芽生えるかも知れない、だからそれをさせないためにずっと、嘘をついていたんだ。
告白のレパートリーをどうこうするなんて嘘をついて、告白されることを容認しているように見せかけて。
俺は咳払いしてから、さらに続ける。
「そう言うことを踏まえて、佐々木さんの行動心理を最初から言っていくが……いいな」
佐々木は何も答えない、ただ俺を見つめて瞳を輝かせるだけだった。
×××
「佐々木さんと俺が遭遇した日、その時思いついたのか事前に考えていたのか分からんが、佐々木さんは俺を使って男子たちから告白されることを阻止しようとする。俺はそれを拒否した、佐々木さんは諦めるしかない。本来ならそれで終わっていたはずの出来事だった。
だがそれを偶然俺たちを見かけたクラスメイトが拡散、俺と佐々木さんの交際という冗談はクラス中に蔓延して翌日馬鹿にされることになった。佐々木さんもこれには予想外だった。
体育館倉庫で俺と話したよな、あの時正直に自分じゃないと言うこともできたはずだ、だのに『自分で流した』と嘯いたのは…………」
ここが佐々木みつの根幹に根付く常人と掛け離れたプラス要素の弊害、それによって発生した行き違い。
「噂を流した性悪人間でさえ、庇おうとしたんじゃないか。俺がそいつに恨みを向けることがないよう自分が偽りの悪魔になって。
……すぅ……俺に後ろめたさはあるのにクラスメイトを責める気にはなれない、だからあんな微妙な顔しかできなかったんだ」
言い終えた俺ははぁと大きく息を吐いて視線を下に向けた、自分の考えを当人と答え合わせをするというのは思った以上に神経が擦り減る所業だった。
「まぁ、全部俺の想像だ、証拠は何もない。信じたのは朝栗の言葉だけだ。そうなんだが、俺の中でこの論がしっくりきている節がある。どうだ」
俺の予想の真偽を確かめる、それが今ここにいる理由だった。佐々木はダン! と身を乗り出して俺に顔を寄せた、その輝く瞳に見つめられて咄嗟に肘杖を解いて仰け反った。
「な、なんだ……」
「ど、どうして分かったの?」
驚愕と混乱、佐々木はいつもの平静さを失い呼吸を荒めて顔が強張っていた。その反応から俺の予想は当たっていたことを知り、ひとまず緊張が一つ解け心の中で胸を撫で下ろした。それから言う。
「まさか、寝ているだけで天啓が降りてくるわけない」
「ん? てんけい?」
佐々木は口を尖らす。俺は視線を逸らして分かりやすく言う。
「ずっと佐々木さんのことを考えていたからだ」
「え?」
佐々木は目を見開いて固まった。唐突に静寂が訪れ鈴虫の音すら聞こえる、俺は佐々木に視線だけやってどうしたのか問う。すると彼女は愕然とした様子のままゆっくりベンチに腰を戻した。
「……な、なんで私のこと……考えてくれたの……?」
呟くように訊かれた、その質問の答えを持ち合わせていなかった俺はこの瞬間に考えることにした。マイナス族の俺が烏滸がましくも彼女の本心を暴いたのは何故か。なんのメリットもない、関わらないことにメリットがあるはずなのに、どうして。
暫く頭を捻らせたあと、一つの答えが浮かび上がり、とりあえずそれを回答とすることにした。
「不満があったからだ」
「不満? なに――ああ、自分が馬鹿にされることだよね。ごめ――」
言葉の真意を聞こうとした佐々木は瞬時に言葉を飲み込んで、俯いた。俺は「違う」と一蹴する、彼女はパッと顔を上げて答えをなんなのか訴えてきた。
「本当は佐々木さんは我慢しているのに、それを解ろうとせず『あいつは腹黒いやつだ』なんて貶するのは……自己を棚上げする卑怯者、傲慢だからだ。俺はマイナスだがそのマイナスを惰性でいる言い訳にする気はない」
キッパリと言ってやったが佐々木は目を回して、「えーと」と手で俺を制している。そこで一つ付け加えることにした。
「要は俺のプラス要素の効果だ」
「……な、なるほど……ぷらすようそね……」
佐々木はこめかみに指を当てて頭の上に鳩でも回りそうな勢いで悩む。かえって分かりにくくさせてしまったようだ。これ以上説明するのは面倒くさくなり、話を進めることにした。
「俺はこの事実を知っておいて謝罪を要求する気はない。だから俺に謝る必要はない」
「……ありがとう、私のことを分かってくれたの、歩澄くんが初めてだよ。びっくり、嬉しいね、分かってもらうのって」
佐々木は笑顔を浮かべて頬をかく。俺はなんだか気恥ずかしくううんと咳を払った。
「ともかくこれでお互いのしこりは解消されたわけだ、つまり明日からはすっきりとした気持ちでまた赤の他人に戻り、馬鹿にされる環境を堪え忍べれる。根本は解決したが表面は変わらないのがお生憎だがこれは仕方ない、お互い頑張ろう」
「…………」
佐々木は俺の言葉を聞いて指の動きを止めて、ポトっと手を下ろした。何か間違ったことを言っただろうかと不安になり眉を顰める、彼女が顔を上げると今度は苦笑いを浮かべていた。
「実は私も、歩澄くんのこと考えてたの」
「え」
思わぬカミングアウトをされ言葉に詰まってしまった。
「歩澄くんが言ってたマイナスとかプラスとかのこと……でも、結局よく分かんなかったんだけど。それでも適当にしちゃいけない気がして……いやー自分でもよく分からないんだけどね、ちゃんと考えて決めたの」
「……?」
佐々木は恥ずかしそうにはにかむ。
「疲れちゃったから……休みたいなぁ」
その微笑は俺に初めてこれが佐々木みつの素顔と思わせるような、寂しそうなものだった。俺は休めばいいと言おうとした時、佐々木はキッと顔を張って笑った。
「でもさぁ! そういうわけにもいかないんだよ! 休みたいって言ってもどうすればいいか、何一つ分かんないし……。そうだ! 歩澄くんなら一人でいれるにはどうすればいいか分かるんじゃない? ほらぼっちとして!」
「そんなこと言われてもな……」
何気に酷いこと言われて気がするが、俺は腕を組み、素直に考えていた。うーん、佐々木は八方美人な自分の気性に嫌気が差してるわけだから……。
「佐々木さんのプラスのベクトルを『不特定多数』ではなく、『特定的少数』にしてやればいいんじゃないか。友達でも家族でもいい、多数にとってはマイナスに見られてもその少数にとっては輝くプラスであれれば、まぁいいんじゃないか。マイナスにはなるけどな」
少し適当だっただろうか。チラッと佐々木の反応を窺うと、彼女は目を瞑り口を尖らしていた。
「だ、ダメだったか……」
「ううん、ありがとう。……うん、私が迷ってるのは怖がりだからだよ」
怖がり? 俺は佐々木にそんなイメージが湧かず眉を寄せた。
「いつも晴れてる方に方にって生きてきたから少しでも霧があると進めないんだよね。どうなるのかな、やっていけるかな、怖いなって…………なって、だからこれまでこの面倒な性格を辞められなかったんだ」
佐々木はギュッと手を握る、彼女はずっと誰の目から見てもプラスだった、優しく正しく楚々しく凛として愛おしい。それがいきなり愛想なく、媚びず、択一し、敵視し、蔑視する、つまりマイナスになることを恐れているのだ。周囲の目も変わり孤立するかもしれない、実際その性格は性に合わないかもしれない。
犠牲を払って得られるものが、正解とは限らない。
それなら、マイナス族としてずっと生きてきた俺に言えることが、俺にしか言えないことがある。
「でも頑張ってみるよ、私一人で私の生き方をしてみる」
小さくガッツポーズを取る佐々木を横目に、俺は小さく息を吸ってから告げる。
「もし佐々木さんが本気で変わりたいと言うなら俺は全力で協力する、それで望まない結果になったとしても必ず助力しよう」
ジッと佐々木の瞳を見つめて。
「どれだけうまくいかなかったとしても、俺だけは絶対に佐々木さんの隣にいてやる。一人にさせることはない」
佐々木の髪が夜風に靡く、気がつくと家を出た時よりだいぶ清々しい空気になっていた。ガッツポーズを取ったまま固まる佐々木の顔が朱色に染まっている気がしたが、きっと気のせいだ。
「な、なんでそこまで……」
問われ、俺は小さく微笑んで答えた。
「同族を増やすんだ、やる気も沸き立つさ」
「……ふーん。うふふ」
顔を真っ赤にした佐々木はガッツポーズを下げると、屈託のない笑顔を浮かべた。それがかえって気がかりで「なんだよ」と聞くと、彼女はいきなり拳を突き出してきた。
「ん、ほらほら」
佐々木は拳をクイクイと少しだけ前後させ催促する。俺は眉を顰める。
『グータッチ?』
「なぜそんなこと」
「細かいことはいーじゃん、ただのポーズだよ、これからの色々を含めたグータッチ。ほらほら早く、疲れちゃう」
「…………」
俺は彼女の小さく端麗な拳を眺めて悩んでいると、佐々木は「たは〜」とため息をつきながら首を振った。俺がなんだと視線を向けると、彼女は可哀想なものを見る目を向け返してきた。
「これくらいのボディタッチなんて普通だよ歩澄くん。これもまいなすとやらの弊害かな?」
そう俺を諭すように言いながら、卓上にあった俺の手を取って自分の拳にコツンと当てた。別に、ただこいつの華々しさに触れるのを躊躇しただけで、人とグータッチくらい余裕でできるんだが。しかし俺は指に感じる彼女の肌触りに卒倒していて、口答えできなかった。
凄いな、たまにあるぬいぐるみやクッションの様な、ずっと触っていたくなる手触りみたいに依存性を感じる。ずっと触れていたい存在だ。いや全く恐ろしい、俺はパッと手を引いた。
「む。まぁいいや。それより帰ろっか、歩澄くんお家大丈夫?」
「大丈夫、とは言えないが……まぁなんとかなる。そうだなそれより佐々木さんのほうがよっぽど大丈夫か聞きたいくらいだ、早く帰らないと本当に警察沙汰に担ぎ上げられてしまうぞ」
「お母さんは今日も通常運転だね」
こんな事態も慣れたことなのか、それともそれを予想できるような性格の母親をずっと見てきたのか、佐々木さんは全く焦った様子はなく、寧ろ余裕そうに鼻を鳴らしていた。俺は立ち上がり公園の時計で時刻を確認する。
それから公園の入り口を見やり、人影があるか確認した。するとちょうどよく暗がりから朝栗が駆け足で登場した。
「えっ!? こまっちゃん!? なんでこんなところに!?」
佐々木も朝栗を見つけ仰天した。
『こまっちゃん?』
『朝栗??→朝栗小町』
「みつ! バカ何してんのよ心配させないでよ! あーもう安心した」
「うっ、ごごめん。そんな気は無かったたんだ、こまっちゃんも来てくれたの? そんなことしなくていいのに、ありがと!」
朝栗は東屋まで来ると地団駄を踏んで憤慨し、佐々木に怒り顔を向けた。佐々木はその怒りを収めさせるためにわざとゆっくり話して、可愛く片目を閉じて手を合わせた。
『朝栗は来た』
『よし帰ろう』
「じゃあまた明日な、帰り道気をつけて」
予定通り、こんな時間に佐々木一人帰らせるのは躊躇していたので朝栗にここに来るよう言っておいた。そんなわけで俺は憂いなく帰路につけるのだ。
「え、あ、ちょっと…………お礼くらい聞きなさいよ!」
迷いなき俺の動きは止めようとした朝栗を容易く躱す。すたこらさっさと自転車のサイドスタンドを上げて走り出した、俺の目的は全て果たされた、あそこに残る理由はないのだ。
そのまま涼しい夜風を切りながら、自宅に帰った。