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プラマイ・ラブストーリー  作者: 秋田
第一章 暴かれし蛾
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第一話

「これは余談だが、蛾が日中どうしているか知っているかい?」


 始まった、と俺は前のめりだった姿勢を背もたれに戻し、板書のスピードを落とした。黒板の前に立つおそらく四十代で丸メガネをかける古山(こやま)教諭は、よく授業を脱線して講釈することでお馴染みだった。


 クラスの誰も返事をしない。それもお決まりのことで古山は勝手に話を続ける。別に古山が嫌われているわけではない、彼らに興味があろうがなかろうが古山は脱線を撤回し授業を再開するわけでもない、つまり答えるだけ無駄というわけだ。


「蛾は普段夜しか見ないだろう、無論それは彼らが夜行性だからだ。ならば日の出ている間は何をしているのかと疑問を持つことだろう」


 古山の話を流し半分で聞きつつ、俺は板書を進める。


「端的に言えば『ジッとしている』のだ、木の幹にへばりついてジッと擬態する。そして夜が来るまでひっそりと過ごしているのだよ」


 確か日中にも活動する蛾を風澄(かぜすみ)から聞いたことがあるような……はてなんだったか、まぁいいか。板書も終盤、最後の一文に取り掛かっていた時ちょうどノートが風で捲れた。ムッと押さえつつ窓に目を向ける。


 ふざけろと言いたくなるくらい晴れ渡った青空、山の向こうには巍然として聳え立つ入道雲が見える。そんな景色も生憎なことに俺は最も廊下側の席、クラスメイトたちを挟んだ先にある。俺は余りの眩しさに反対の壁に視線を逸らした。


「でも蛾ってキモくね?」


 その時、後方の席の男子がお喋りが蔓延する教室でも一際目立つ大きな声で言った。それは古山に対して言ったわけじゃない、この教室の不特定多数の友達に向けたものだ。そのことを知っているが、聞き捨てならないと言わんばかりに古山は指を立てて言う。


「そんなことない、確かに蛾には悪印象が根付いている、日本人は濁音が付くと良くない印象を持つらしいし仕方ないかもしれん。しかし決して蛾は気持ち悪いと言えるような生物じゃないのだ、古来よりこんな言葉もある、蝶はきれいで蛾は美しい、とな」


 ふむ、なんともプラス思考でいいことだ。俺は虫が苦手なのでそうは思わないが。


「でもライトとかにうじゃうじゃいるの見るとゾワってしますよ、とても美しいなんて思えませんよ。まぁ蝶がきれいなのは分かりますけど」


「そうかね、だが一概に蛾の全てがそのうじゃうじゃに関与しているとも限らんぞ。例えばそうだな」


 古山は腕を組んで考えたあと、ああと思い出したように顔を上げて言った。


「『サツマニシキ』という蛾がいるのだが、そいつは蛾の中でも特別で日中に活動するんだ。いやぁーこいつもなかなか美しくてな、なんでも日本一美しいとか言われてるそうだ、あの黒色が良いんだ。んまぁ私としてはやはりニシキオオツバメガは外せないんだが……うん、サツマニシキも良いよ」


 知らん。実際古山の話を全部理解できる人間はこのクラスには居ないだろう、いやいるかもしれないけど俺にはさっぱり分からん。風澄から聞いた名前も古山の言うサツマ……なんとかだった気もするししない気もする。まぁ結局どうでもいいことだ。俺は板書を終わらせてからシャーペンを置き、頬杖をついた。


 ちょうどその時、教室に終業の鐘が鳴った。未だ講釈を続けようとしていた古山は惜しそうに苦笑いを浮かべると、時間を考慮していなかったことを謝罪してから続きは次回と言って教科書を畳み始めた。生徒たちも各々終わりの支度を始める。


 古山は日直を指名する、日直は「きりーつ、ありがとーごさぁしたー」と気の抜けた挨拶をして授業を終わらせた。してからめいめいに動き出し、帰りの支度に取り掛かる。今日の授業はこれでお終い、あとは帰りのSHRをやって帰宅だ。


「放課後(あき)駅行こうぜ、サッカーある?」


「普通にあるわ舐めんな、大会近いし流石にサボれん」


夏波(かなみ)もカラオケくる?」


「ごめん今日はちょっとー!」


「今日は直帰だなーでランク上げだなー、おおじゃまたゲームで。うぃっす」


 クラスメイトたちが放課後の予定を取り合う中、俺はポツンと独り、担任が来るのを待っていた。


 俺は生来マイナス族だ。


 マイナス族というのは友達や恋人作りに勤しまず、勉学にも励まず、大した目標も野望も持たず、日々を向上心なくただ浪費するだけの、生み出すところマイナスばかりの負荷人間、そういう人間をマイナス族と、そう名づけた。


 誕生して十六年、高校二年の夏、ずっと孤独だ。人との関わり方は分からない、友達の作り方も分からない、恋愛のやり方も分からない、運動の仕方も分からない、何かに熱中する心意気も分からない。分からないことしかない。だから俺は『俺のこと』だけは、よく分かる。


 俺はプラスにはなれないのだ。明確に光り輝く彼らとは違う、俺は光れない、光る要素を持ち得ない。俺はいつだって彼らに焼かれる思いで過ごし、その度に己のマイナスの救いようの無さを思い知った。


 そういう日々を過ごした結果が今の俺。無味乾燥的で無気力、つまらない循環を繰り返し、それに満足する矮小な心持ちで生きるマイナス。


 マイナスはマイナスらしく生きるのがベスト。いつしかその通念が呪いのようで鎧のように、心に棲みついていたのだ。

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