妖精の光
「なっ……!」
「なんで……?」
二つの声が重なる。
フーヤオとリーゼルは同時に呆気にとられた声をあげていた。
彼女達の感情にあるのは驚きと戸惑い。
そしてその視線の先にいるのは、エリンだった。
エリンは両手を男に向けて翳しながら、必死の形相で彼を睨みつけている。
「何を馬鹿なことを!」
フーヤオがそう叫んだ。
「貴様がそれをしてはお終いじゃろうが! わえが、わえが何のために……!」
「……ごめんなさい。でも、貴方に死んでほしくなかったから……!」
「早く逃げろ! 貴様に死なれてはアシェン様に申し訳が立たぬ!」
「……で、でも、なんか……苦しんでますよ……?」
控えめな声でリーゼルがそう指摘する。
細い光に打ち抜かれた男は、彼女のいう通りその場に蹲り苦痛に悶えていた。
「ぐううおおおぉぉぉぉ!」
地の底から響くような唸り声が男の口から発せられる。
エリンが放った光は、お世辞にも大きなものではない。フーヤオが殺されそうになったときに、咄嗟に身体が動いた結果だった。
その細い輝きに打ち抜かれた男が、これまでフーヤオの魔法を幾ら受けても全く堪えていない怪物が苦しんでいる。
「おのれ……おのれええぇぇぇぇ! 忌々しき妖精光がぁ!」
男が立ち上がり、エリンを睨む。
その瞳に宿っているのは憎悪の炎。
エリンのような弱々しい生き物に傷つけられたことが、余程気に障ったのだろう。
「逃げろ小娘!」
フーヤオが叫び手を伸ばすが、男の動きを捉えることはできない。
男は一瞬でエリンの目の前までやってくると、その頭蓋を一撃で砕くために拳を放った。
醜く膨れ上がった肉の腕が、エリンの目の前まで迫るが、それは見えない壁に阻まれてエリンの身体に届くことはなかった。
「ぐうっ!」
男が苦しみの声をあげる。
「忌々しき妖精の力が……!」
男は手に魔力を集め、エリンを護る結界に触れる。
二つの力がお互いに弾きあい、目の前で火花が散った。
「え、エリン……」
背後でリーゼルが不安そうな声を出す。
エリンは一瞬だけ彼女を振り返ると、安心させるように頷いた。
「大丈夫……」
そう、自分に言い聞かせる。
「貴様が我が息子が気にしていた妖精の子か。生憎と私は息子のように甘くはない!」
男が力を籠めると、決壊に罅が入る。
その衝撃と音に身体を竦ませながらも、エリンは気丈にその場で立って男を睨みつけた。
破れた服に、一枚の板が引っかかっている。
そこに書かれている文字を見るに、それが恐らく門の鍵なのだろう。
エリンがこの場から退けば、門が開いてしまう。そうなってしまったらアシェンでもどうにもならないのかも知れない。
だからエリンができることは、ここに少しでも長く留まることだった。
「ちぃ……! 妖精如きが!」
バキバキと音を立てて、結界の罅が広がっていく。
無意識に発動させたこの力を、エリンはどうすればいいのかわからない。仮に破られたとしたら、張りなおすことは不可能だろう。
「だが、ここまでだ……! 貴様は死に、門は開かれる! この世界に我が同胞が導かれ、今度こそ我等はやり直さねばならぬ!」
結界の一部が砕けた。
そこから入り込んだ黒い波動が、刃のようにエリンの頬を傷つける。
「ふははははっ! もうじき、もうじき貴様は死ぬ。この世界が生み出した妖精は消滅し、今度こそ我等の……!」
男の言葉が途中で止まる。
背後に飛び掛かる姿があった。
「貴様がその気なら、わえも付き合おう……エリン!」
フーヤオが、男を背後から伸ばした爪で斬りつける。
既に彼女に魔力は残っておらず、それが精一杯の攻撃だった。
男はそれを忌々し気に振り払い、フーヤオの身体を地面に容赦なく叩きつける。
「無駄だ! 下等な生命体が!」
男が動こうとすると、今度は足元から伸びた蔓が足や手に絡みつき動きを封じようとしていた。
エリンの背後で、震えながらリーゼルが魔法を発動させている。
「貴様等……!」
男はそれをいともたやすく引き千切るがすぐにまた無数の蔓が動きを拘束する。
「邪魔をするな!」
男が焦れてリーゼルに向けて闇の波動を放つ。
「きゃああっ!」
直撃こそしなかったものの、リーゼルはそれに吹き飛ばされて地面に倒れた。
「リーゼル!」
今度こそ、目の前に男が迫る。
苛立ちを隠せず、男は再びエリンの結界を破壊しにかかった。
「さあ、恐怖に震えろ!」
じわじわと追い詰めるように、結界の罅が大きくなってくる。
中に入り込んできた黒い闇に身体を傷つけられても、エリンは表情を変えない。ただ気丈に、男から視線を逸らさない。
「何故だ……? 何故恐怖に震えない? 下等な生命体如きが、何故我等の与える根源的な恐怖に耐えられるのだ……?」
男の顔に戸惑いが浮かぶ。
「……信じてるから」
「なに……?」
「アシェンは絶対に来てくれる」
無気力に生きていただけの少女はもういない。
あの灰の少女もこんな風に怖かったのだろうか。
自分より遥かに強大な存在に痛めつけられ、きっと怖かったし痛かったのだろう。
それでも彼女は最後の瞬間まで、友であるエリンの身を案じ続けてくれた。
だからエリンも、彼女の祈りに答える必要がある。
彼女が最期に祈った存在は、何よりも強くて優しかったのだと。その祈りがあるから、エリンは生きていけるのだと。
彼女に伝え続けなければならない。
「アシェン……!」
灰色の祈りは届き、妖精の少女はそれを信じ続ける。
鈍い音が響き、結界が完全に破壊された。
最早エリンを護るものは何もない。男が腕を振るうだけで、容易くその身体は砕け散るだろう。
だが、それが振るわれることはなかった。
灰色の髪が視界の端で揺れる。
身体から赤色の血を流しながら、灰の少女がそこに立っていた。




