閃光
目の前に迫る男を見て、フーヤオは心の中で母の言葉を思い出していた。
母はいっていた、魔王ソル様に忠誠を誓い協力しろと。
その理由を母は語ってくれなかったが、今ならわかる。
人間の姿をした、一人の男。
貴族服をまとった、何処にでもいるような姿の人間が纏うその異質さに、フーヤオの尻尾の毛が逆立つのをやめない。
「この世界にあってはならない異物か」
背後の門が共鳴する。
そちらを見てみれば、手を翳しているエリンの額には冷や汗が浮かんでいた。彼女は不安そうな顔で、フーヤオを見つめている。
「心配するな。貴様には傷一つつけさせん。ソル……アシェン様の命令なのじゃからな」
エリンが小さく頷く。
勿論、それは気休めに過ぎない。
「アシェン様がくるまで時間を稼げれば」
「それは無駄なことだ」
男が口を開く。
「貴様が向こうに放った雑魚で、アシェン様が止められるとでも?」
「止められはせぬかもな。だから時間を稼がせた。星から矢が放たれるのを見なかったか?」
それを聞いて、フーヤオの背筋に悪寒が走る。
確かに先程一瞬だけ、空からの光の線が落ちてくるのをみた。とはいえ流れ星など珍しくもないことと、気にも留めなかったが。
「まさか……!」
「明星の矢は我等にとっても希少な力だ。まさかあれをここで使われることになるとは。……だが、それも些細な問題だ。新たな門を開ければ、それを補って余りあるほどの力がこの世界に流れ出す」
「……わえは信じぬぞ。貴様等の力如きで、アシェン様が敗れるものか!」
符を取り出し構える。
目の前の男から禍々しい魔力が噴出し、一気に膨れ上がった。
「来い!」
符を放ると、それらは煙を放ち二匹の巨大な狼へと変貌する。
両側から狼が挟み込み、フーヤオは正面から取り出したもう一枚の符を構えた。
男はそれを避けない。
狼が両腕にかぶりつき、その動きを止める。貴族服ごと腕の肉を食い千切るほどに牙が食い込んでも、男は全く表情を変えることはなかった。
「燃え尽きろ!」
符から巨大な炎が放たれる。
それは狼ごと男を包み込み、天まで伸びる巨大な火柱となった。
「やった……?」
背後でリーゼルが声をあげるが、それは間違いだ。
炎が晴れると、そこには男が立っている。
不自然なまでに筋肉が膨大した腕と足、人間のものではない灰色の肌。そして頭から生える二本の角。
片手に一匹ずつ狼を掴み、そのまま首を圧し折る。
悲痛な声と共に、狼は符へと戻って地面にひらひらと落ちていった。
「やはり魔族か」
「くくっ。そのような下等な生物ではない」
「なんだと?」
バキバキと、膨れ上がった身体が軋みをあげていく。
嫌な予感が膨れ上がり、フーヤオは符を構えた。
ごう、と轟音が響く。
黒い波動のようなものが男の手から放たれ、辺り一面を薙ぎ払った。
「ぐぅ!」
「フーヤオさん!」
「わえに構うな!」
凄まじい圧力と共に、破壊的な魔力の波がフーヤオを襲い掛かる。
咄嗟に張った結界は瞬く間に罅割れ、もう一枚取り出した符で再度それを張りなおす。
フーヤオの魔力を限界まで放出しても、なおも防げるかわからないほどの力が男からは放たれていた。
「くくっ、哀れだな」
波動が急に消える。
フーヤオが次の行動に出るよりも早く、目の前には男の姿があった。
男の横蹴りがフーヤオの身体が折り曲げ、そのまま吹き飛ばす。
「ぐはっ!」
吹き飛びながらもフーヤオは魔力を練る。
符を二枚放り、アシェンとの戦いでも見せた分身を披露した。
三人になったフーヤオはそれぞれ符を構え、雷や炎を飛ばして男を攻撃する。
だがそれも、その肉体の前では大したダメージになっていない様子だった。
「ふんっ!」
男が足を踏み鳴らすと発生した衝撃波が、分身したフーヤオ達を簡単に吹き飛ばす。
その後放たれた黒い闇を束ねたような杭によって、分身は貫かれ消し去られた。
「な、に……?」
驚愕するフーヤオの目の前に、再び男が迫る。
「ぐふっ!」
男の拳が腹に突き刺さる。
その痛みに一瞬意識を飛ばしかけたが、倒れたところを更に踏みつけられて強制的に覚醒させられた。
「弱いな」
「ぐ……ぎ……!」
「だが、貴様には機会をやろう。我が軍門に下りこの力を受け入れろ。そして駒となり、帝国に尽くせ」
男の手から何かが生み出され、落ちる。
腐った肉のような不快な塊は、フーヤオの身体の上を這いまわり顔へと近づいてくる。
「より強き、より善きものへと生まれ変われ。この世界の不完全な生命と決別し、頂へと昇れ。魔族も神も、所詮は出来損ない。我等こそが……」
男の言葉を最後まで聞く必要もない。
口から入り込もうとしてきたそれを、フーヤオは思いっきり噛み千切った。
「ぺっ!」
これ見よがしに吐き出す。
黙ったままこちらを見ている男に対して、腕を持ち上げ符を見せつける。
「貴様……!」
「こんなマズ飯を食って得られる力など、願い下げじゃ!」
符が閃光を放ち、その場で爆発する。
凄まじい轟音が辺りに響き、ぱらぱらと巻き上げられた木々や砂が地面へと落ちていく。
その煙に巻かれながら、フーヤオは少し離れたところに離脱していた。
爆心地にいただけあって身体はぼろぼろ、符を持っていた右手はもう使い物にならない。
全身から血を流し、口からも吐血している。そんな状況でも、フーヤオの心は折れてはいない。
爆心地で立ち上がる陰に対して、闘争心を漲らせた目を向け続けていた。
「愚かな」
「カカカカカカッ! 果たして愚かなのはどちらかの? なるほどわかった。貴様には誇りも力への自負もない。だからあのような泥を平気で口に運べたのじゃな? 挙句が、挙句が愚かにも仕留められた獲物に近づき片腕を負傷した、戦いが下手なのじゃ!」
精一杯の虚勢を張り、男を煽る。
フーヤオの言葉通り彼の片腕は先程の爆発で負傷していたが、被害でいえばこちらの方が圧倒的に甚大だった。
それにこうやって喋っている間にも、男の腕は再生を始めている。
だが、フーヤオに取っていは今はそんなことは関係ない。
例え明星の矢とやらがどれほどの威力を持っていようと、アシェンは死んでいない。ただそれだけを信じて、時間を稼ぐことだけが目的だった。
ありったけの符を放り投げる。
分身と狼を生み出し、一斉攻撃。
それでも男は怯まない。この世界の外側からやってきた圧倒的な力は母から受け継いだフーヤオの魔力を持っても対抗不可能だった。
「かか様、まさかこのような相手と戦っていたとはな。なんと無情で恐ろしいものか」
母の言葉を何度も心の中で反芻する。
道を誤ってしまったかも知れないが、後悔はしていない。
元より、フーヤオにとっては些事であったのだ。この森での出来事も、フーヤオ自身の命ですらも。
「不合理な生命だ」
「ああ、それでよい。わえはようやく出会えたのじゃ。わえがずっと探し求めていた、使えるべき主に」
全ての攻撃が尽きる。
符も消えた、魔力も残っていない。
それでも相手は無傷だった。少なくとも、フーヤオの目に見えるほどのダメージは与えていない。
「そいつはもう死んだ」
「死体を目の前に持ってきてからいってもらおうか? 怖いのじゃろ? 万が一確認に向かい、アシェン様が生きていたら。貴様なんぞ、ものの数秒で灰にされるじゃろうからな」
「御託を……」
男が腕を振り上げる。
その表情には、明らかな怒りの炎が灯っていた。
やはり、所詮は同じ生命。例え仮初の力を得たとしても、フーヤオ達と何ら変わることはない。
ならば後は少しでも時間を稼ぐだけ。
一撃を耐えて、後は――。
そう思い、衝撃に備えて覚悟を決めたフーヤオ。
男が拳を振り下ろす寸前、彼を横合いから閃光が打ち抜いた。




