追想
その日の夜。
アシェンは一人、モノリスの前に立っていた。
明日には帝国の軍勢が森に入ってくる可能性が高い。できるだけ体力を温存させるため、他の連中には休めと告げてある。
黒く聳えるそれは、まるで生き物のように脈動している。
千年前、このモノリスから全てが始まった。
古き世界をこの地に呼び寄せ、多くの生命が失われた戦争がまた始まろうとしている。
あの時は多くの仲間がいた。
心が折れそうになるほどの苦しい戦いを乗り越えるほどの団結があった。
だが、今はどうだろうか。
かつての時代の残滓は既に消え、大地を揺るがした軍団もその記録すらも殆ど失われた。
にも関わらず、奴等はそれ以上の力を得てアシェンの前に立ちふさがるだろう。
悩んでいるわけではない。
悔やんでいるわけでもない。
だがそれでもアシェンがここにいるということは、彼女の中に何かしらの想いがあったということなのだろう。
それが不安なのかそれとも全てを投げうってでも戦い抜くといった決意なのか。
それはアシェン自身にもわかっていない。
物思いに耽っていると、背後に人の気配があった。
振り返ればそこに、金色の髪の少女が立っている。
エリンは何も言わず、アシェンの傍までやってくる。
そしてそっと、その灰色の髪に触れた。
「やっぱり、不思議」
「何がだ?」
「灰色の髪はアシェンと同じなのに、貴方はアシェンじゃない」
「……まぁ、そうだな」
灰の少女はあの日に死んだ。
あまりにも呆気なく、哀れに。
だが、その祈りだけは消えなかった。
単なる偶然だが、それはそこにあった小さな朽ちかけた石碑に届いた。
誰かがそうさせたわけでもない、偶然。或いは奇跡と呼ぶもの。
「貴方は、どうしてみんなを護ろうとするの?」
「簡単な話だ。この身体の持ち主が、そうしてくれと願ったからだ。身体を貰った恩ぐらいは返してやろうと、魔王にもそういう考えはある」
「それはわたしに対して、でしょう? アシェンは他の人も護ろうとしてる。口では厳しいことを言ってるけど」
アシェンの行動とその理由を理解できないほどエリンは間抜けではなかった。
「くだらん感傷だ」
エリンがら視線を外し、空を見上げる。
無数の星々が輝き、月の光が地上を明るく照らしていた。
それらを見た者達が、天上には神々の住まう世界があると語ったのは無理もない話だろう。
「気に食わんからだ」
かつてもそうだった。
朽ちていく者達、何もできずに泣き喚く力なき者。
子供の死体を抱きながら彷徨う母親。
両親の亡骸に縋りつく子供。
絶望の中で心を失った者達。
そういう奴等を見ていると、アシェンは心が騒めく。
だから戦った。
「私は、私が忌むべきものを見たくない。その中の一つが、貴様達の絶望であるというだけの話だ」
「アシェンは」
背中越しに、エリンが笑った。
そしてこつんと、背に彼女の額が当たる。
その温もりは、かつてアシェンが共に戦った一人の妖精族を思い起こさせた。
「優しいね」
千年前も、同じ言葉を聞いたような気がする。
今はもう存在したことすら消えてしまった一人の妖精が、アシェンのことをそう評したのだ。
「くだらん」
しっかりと覚えているわけではないが。
そのときも多分、アシェンは同じような回答をした。
「アシェン。わたしはアシェンに会えてよかったよ」
「貴様の友を奪った存在でもか?」
意地の悪い質問をしても、エリンの感情は揺らがなかった。
「違う。アシェンが貴方に会わせてくれたの。だから、アシェンの気持ちも一緒に」
「……ふん」
何も答えず、アシェンは黙ってモノリスを見上げる。
忌むべきそれは、今も変わらず脈動しているが、それに対するアシェンの心境は少しばかり変化していた。
「明日はお前にも働いてもらうぞ」
「わたしにできることなら、やってみる」
そういうエリンの声色は、出会ったときに比べて明るいものだった。
明日命を失うかも知れないというのに、彼女は全く臆していない。
「アシェンがわたしを護ってくれるから、わたしはわたしにできることをする」
彼女はアシェンの後ろを歩くことをやめていた。
例え今はそれが叶わなくても、隣り合って歩きたいと思い始めていた。
かつて、灰色と呼ばれていた友とそうであったように。
「アシェン、死なないでね。わたしを護って」
「誰にものを言っている」
そのやり取りを最後に、しばらく会話が途切れる。
お互いに穏やかな空気のまま、どちらともなく座って空を眺めていた。
大地の熱を感じ、風の音を聞く。
そうしたまましばらく、二人は同じ時間を過ごした。




