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忘れられる名

 その場所は森の奥に静かに佇んでいた。

 周囲にはかつて何らかの建物であった石の瓦礫が幾つも散らばり、既に建物としての形が残っているものは一つもない。

 時の流れに浚われた廃墟の中心に、巨大なモノリスが聳え立っている。

 アシェンですら読めない文字と文様からは、まるで鼓動するような小さな光が放たれている。


「これが門か」

「そうじゃ。ソル様」

「今はアシェンと呼べ」

「……アシェン様。わえが以前見たときには、このような脈動はなかった。多分じゃが、鍵が地上に出てきたことで呼応しておるのじゃろう」


 鍵は言葉通りの鍵の形をしているわけではない。

 門を開くための特殊な魔力が込められた物質が鍵であり、そこに鍵穴に入れて回すなどという過程が必要なわけではなかった。

 極端な話、単にこのモノリスに鍵を近づければ門は開かれ、古き世界の者達が再びこちら側に現れてしまう。


「場所が漏れているとわかれば、これを護るのはなかなかに骨が折れるな」


 腕を組んで、アシェンが嘆息する。

 それを聞いたフーヤオは、アシェンの着ている布を控えめに引いた。


「アシェン様。何故にこの地を護ろうとするのじゃ? わえはかか様に言われてここで鍵を探していたが、正直なところ命を賭ける理由は思い当たらん。そもそも、連中がアシェン様のことを忘れていたから」

「馬鹿め」

「いたっ!」


 ピンと、指でフーヤオの額を弾く。

 その程度で済ませてやったのは、彼女自身がアシェンの実を案じていることがわかっていたからだった。


「別に私は忘れられたことを恨んでなどおらん。目覚めたとき、名もなき石碑に私の魂は封じられていたのだぞ?」

「なんと! どいつもこいつも恩知らずじゃ! エルフも獣人もドワーフも、魔王ソルの名を語り継いでいれば、このような事態にも迅速に対応できたじゃろうに!」


 それを搔き乱した当人がどの口でそれを言うのだろうか。

 フーヤオが獣人達を争わせなければ、もう少し話は簡単だっただろう。とはいえ、フーヤオを責めることはできない。

 彼女の母フーリも、周りのことを気にするような性格ではなかった。どうやら彼女は娘が出来て命が果てるときになっても、他の者達との対話や融和といったものを考えることはなかったらしい。

 で、あればその娘のフーヤオもそういったことを教えてもらっていないのだろう。だから彼女は、苛立ちと享楽のままに彼等を踏み躙ることしかできなかった。

 アシェンは彼等にそれを許せというつもりはない。フーヤオに罪がないと庇う気もない。

 だがそれを差し置いても、フーヤオが使える人材であることは間違いなかった。


「それだけ平和だったということだろう。何故私が魔王であったかわかるか?」

「わからぬ」

「平和になれば忘れられる名だからだ。誰かがもう思い出さなくていいと、その名を歴史から消したのだろう」


 千年という時間はあまりにも長い。

 いつまでも恩を感じる必要もない、崇める必要もない。

 魔王などという名前は時間と共に風化し、時の流れに置いて行かれるものであればいい。

 少なくともアシェンはそう考えていた。


「……だが、これは厄介だな。戦闘中に封印が解ける可能性もある」

「うぬぬ……!」


 フーヤオが符を握った手を前に突き出し、何やら力を込めている。

 そこから伸びた光がモノリスに絡みつくが、書かれている文字が一度強く光ると霧散して消えてしまった。


「やはり無理じゃ。わえの魔力では門を抑えることはできぬ。性質的なものだとは思うのじゃが」

「仕方あるまい。それにお前には他にもやってもらわんとならんこともある」

「おう! アシェン様の命令なら何でもござれじゃ!」


 戦える人数は二人だけ。

 今のアシェン達にできることは、奴等に勝利することではない。この森から逃げ遂せる者達のために、少しでも時間を稼ぐことだった。

 アシェンの予想が正しければ、攻めてくるのは単なる人間の軍勢ではない。

 帝国が一気に勢力を拡大した背景には、恐らく魔族の存在がある。

 ウァラクという男がそうであるように、魔族の力を使っていると考えるのが自然だ。


「む。誰じゃ!」


 大きな獣耳をぴくりと動かし、振り返りながら低い声でフーヤオが背後を睨みつける。

 そこに立っていたのは、カイとエリンだった。

 二人の後ろからリーゼルと、ドワーフが数名ぞろぞろと付いてきている。


「……なんじゃ?」


 フーヤオは彼等がきた理由がわからず首を傾げる。


「馬鹿な奴等だ」


 一方のアシェンは、彼等がきた理由を理解している。

 だから口ではそういいながらも、小さく笑うのだった。

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