苦い進歩
ラズルの案内を受けながら、アシェンは森の中を進む。
「しかしこの身体は、足が短くて歩きにくいな。転びそうだ」
そういいながら、巨大な木の根を飛ぶように渡っていく。
少し前を歩くラズルは、そんなアシェンを振り返って声をかけた。
「本当に一人で大丈夫なのか? もし獣人と戦うなら、俺は味方できないぞ」
「構わん。お前の言うことが本当なら、その女は相当な実力者だ。今はまだ、連中では足手まといになる」
「だが、イルニカぐらいは」
「あの筋肉エルフが何の役に立つ?」
イルニカ自身の実力は、アシェンとしても低く見ているわけではない。エルフは弓や魔法を使った中距離戦闘には長けるが、近付かれてしまえば脆い。
それを克服するために筋肉をつけるのは、悪い手段ではなかった。
もっとも、魔法を全て捨ててしまうとはアシェンも予想できなかったが。
「イルニカは強い。無理に近距離で戦おうとしなければ、俺はもっと苦戦した」
「まぁ、それはそうだな。筋肉が付いたのが嬉しくて、無茶をしたくなったのだろう」
そういう感情を戦いに持ち込むこと自体が愚かなことではあるが、イルニカはまだ未熟だ。そういうこともある。
「お前の部下にいる子供はどうなんだ? 奴も結構な腕の持ち主と見たが」
「なら聞くが、お前はカイと戦って負けると思うか?」
ラズルはその質問に口を噤み、それが答えだった。
アシェンの見立てもそれで間違っていない。恐らく今ラズルとカイが戦えば、かなりの確率でラズルが勝つだろう。
踏んだ場数、種としての基礎能力、何よりも子供と大人。
そういった要素全てが、ラズルの方が勝っている。
「五年後ならわからん」
「もっと早いかも知れんぞ」
ラズルの横にアシェンが並ぶ。
その言葉を聞いたラズルは特に否定はしなかった。
「何かを成そうとする心は強さに繋がる。あの子供がそれを手に入れれば、或いは」
「貴様にはそれがあるのか?」
意地の悪い顔をしたアシェンの質問に、ラズルは一瞬悩んでから回答する。
「いや、ない。生まれてからこの方、祖父と父の使命を次いで戦う日々だ。それが間違っていたというつもりはないが、強い願望を抱いたことはない。あるとすれば」
「解放か?」
アシェンに続きを言われて、ラズルは押し黙る。
それ以降二人は特に会話を交わすことはなく、森の中を疾走する。
それほど時間が掛からず、アシェン達は開けた場所に辿り着いた。
エルフの集落と同じようにぽつぽつと家が建ち、畑もある。防衛用のバリゲードも置かれていた。
正面から堂々と入り込もうとするアシェンを、見張りの若い獣人が見つける。
「敵襲―!」
彼が叫ぶと、集落の奥からぞろぞろと獣人達が武器を持って現れる。とはいえ、その殆どが年端もいかない少年か女性で、まともに戦えそうな大人の男の姿は数えるほどしかいない。
「……お前は、俺が後ろから刺すとは思わなかったのか?」
「特には。刺そうとしたところで、獣人の丸焼きが出来上がるだけだが」
不敵にそういって、彼等に対して臆することなく向かっていく。
集まった獣人達も、アシェン一人とラズルが一緒にいることに違和感を覚えたようで、攻撃を仕掛けてくることはなかった。
「ら、ラズル! 無事だったのか!」
一人がラズルの名を叫ぶ。
彼は先ほどの戦いで伝令役として戦場から逃げ帰った男だった。どうやら彼が今、この村で一番権限を持ってるようだ。
「ああ。見ての通りだ」
ラズルは両腕を広げ、大きな怪我がないことを彼等に見せて安心させる。
「そ、そいつは……! ラズル……そいつは捕虜にしてきたのか?」
恐る恐る、伝令の獣人が尋ねる。あの戦場でのアシェンを見てそんなはずがないとわかっていながら、僅かな希望を込めて。
「……違う。お前が見た通り、俺達は負けた。そして彼女は、俺達の村を救ってくれる……と」
「救って……?」
「じゃあひょっとして、あの女を倒して……」
ラズルの言葉に、他の獣人達が騒めく。
彼等も戦いたくて戦っていたわけではない。それにここにいる者達の大半が非戦闘員だ。
何よりラズルの言葉は彼等にとって信用できるものなのだろう。中には手に持った武器を落として喜びをあらわにする者もいた。
だがその中で、伝令の獣人は違った。
彼等を一度睨みつけると、アシェンとラズルに厳しい視線を送る。
「ラズル、馬鹿なことを言うな! こんな子供が、あの女を倒せるわけがない! お前は敗北で目が曇っているんだ!」
「……勝てるかどうかは、俺もわからん。だがもうこれしかないんだ」
何とか説得しようとするラズルだったが、相手は全くそれを聞こうともしなかった。
「考えろ、ラズル! こいつが負けたらどうなるのか! 俺達の命運を、家族を、こんな人間の子供に任せておけるか!」
「……俺達の命運なんて、とっくにもう潰えていた……。あの日、俺の祖父が奴をここに呼びこんだ日から」
そういえたことは、ラズルにとっては苦い進歩だった。
自分のやっていたことを懸命に肯定しようとして血を流した日々は終わり、僅かな希望に賭ける選択をした。
だが、今目の前にいる男がそれを受け入れられるわけがなかった。
それは彼にとってはただの逃避であり、硝酸の薄い賭けでしかなかったのだから。
「ふざけるなよ……! ラズル、そいつを殺せ! そして俺達であの女を……!」
それが無理なことは、彼自身もよくわかった板。
彼は先ほど一人であの女の前に向かい、腰を抜かさないのが精一杯だったのだから。
だがそれでも、彼にとってアシェンを信用することはできない。
負ければ、全てを失うのだ。
家族も同胞も。
「馬鹿な奴だ」
剣を握り、アシェンに突撃してくる。
彼はラズルが動くことを期待していた。
二人で挟み撃ちにすれば、倒せると。
勿論、アシェンはラズルが動いたところで容易く制圧できる自信はある。
そのうえで、ラズルは動かなかった。
「だが、安心しろ。貴様の不安は杞憂に終わる」
ごう、と。
風の力が彼を舞い上げる。
「奴を倒してやる。そこで見ていろ」
重い音を立てて、男が地面に落ちた。
周りで成り行きを見守っていた者達が、慌てて介抱のために集まっていく。
その中でラズルは、そこに立ち尽くしながらアシェンの背を見つめていた。
「あんたを信じさせてくれ」
「――面倒だが、いいだろう。私にとっても都合がいい、その阿呆を倒しておいてやる」




