悪辣な獣
森の奥、そこにある洞窟の中に幾つかの人影があった。
人の身体に獣の耳を生やした獣人に、その半分ほどの身長しかないものの屈強な身体つきをしたドワーフ。
多くの人間達は知らないことだが、彼等はこの森の中で長く生活をしていた。種族同士の団結は強く、部族で覇権を争っていたこともある。
そんな種族達が、今は傅くようにして目の前の存在を見つめている。
そこにいるのは女だった。
長い髪が、洞窟の中に置かれた小さな魔法の灯りに照らされて銀色に輝いている。
その瞳はまるで宝石のような翠色。今彼女の目の前にいる男達は、他種族の女を女としてい見ていない。
数少ないそれをする酔狂な種族、人間の価値観でいうのならば息を呑むほどに美しい女といっても過言ではない。
自らのために造らせた小さな寝所にうつ伏せになり、肘をついて頬に手を当てて男達を見つめている。
彼女の傍には幾つもの宝石が置かれており、時折そちらを見ては愉悦の表情を浮かべる。
それらは全てドワーフ達に掘らせたものだ。元より鉱山での作業が得意な彼等を酷使し、自らの欲望を満たしていた。
その口元には酷薄な笑み。女は、彼等の全てを制していた。
「それで、まだエルフ連中を屈服させることはできんのかえ?」
女の透き通るような声が洞窟内に反響する。
「や、奴等は動きが素早く、森の奥に入られると追跡ができない……。それに近頃は、筋肉をつけていて」
「なぁにを馬鹿なことを言っておる」
一番先頭にいる獣人の男の言葉は、女には冗談にしか聞こえなかったようだ。
「森の民は深緑の魔法を操る連中じゃろうが。もっとも、奴等の最強の使い手ですらもわえの魔力には話にならなかったがの」
女が人差し指を立てると、そこに光が灯る。
それはふらふらと洞窟内を漂い、やがて男達の目の前までやってきた。
「おおっ!」
驚き、ドワーフの男がその場から立ち上がろうとして尻餅をつく。
その滑稽な姿を見て、女は愉快そうに笑った。
「カッカッカ! ただの光じゃ、情けない奴め。まぁ、わえの力を間近で見たことがあるのならばその反応も当然じゃろうが」
森の中のエルフという種族は強かった。
もう数十年も続く小競り合いを中心とした部族間の縄張り争いでも、獣人もドワーフも彼等から勝利を奪ったことは殆ど記憶にない。
だが、女の力は別だった。
エルフの矢を寄せ付けない防御魔法。
彼等の伸ばす木の根や蔦を焼き払う炎。
そして当時のエルフの酋長を貫いた光。
全てが圧倒的だった。
「……あ、貴方に提案がある」
「ほう?」
獣人の男の青ざめた表情を見て、女は更に気分を良くした。
この森に暮らす獣人とよく似た耳と、腰から生える獣の尾がふわりと揺れる。
「この森には、もう貴方の利益となるものはない……。それに、報酬もかなりの量を渡したつもりだ」
「ふむ?」
女が続きを促す。
「だから、この森は……貴方にとってそれほど価値のあるものでは……」
ひゅん、と。
見えない何かが男の頬を赤く染める。
女が放った風の針が、獣人の男の頬を掠めて不可視のまま彼の傍の地面に突き刺さった。
「次に愚かなことを口にすれば、首が飛ぶぞ」
先程までの上機嫌なものとは全く違う、冷酷な声色に男達は慌てて後ろに下がる。
さりとてこの場から逃げ出せば、もっと酷い目に合わされるかも知れない。そう思うと、結局僅かに距離を取ってとどまることしかできなかった。
「それを決めるのは貴様ではなかろう? わえが全てを決める。違うか?」
「……ち、違わない……」
「それにな。わえに協力を仰いだのは貴様達ではないか? 言われた通りにエルフ共を退治してみれば、報酬は払えないと言い出した」
「……その、通りだ」
それをしたのは、獣人の男の祖父だった。
かつて獣人達をまとめていた男は、この森を統一して人間の帝国と戦おうという野心を持った。
だが、その道は苦難を極めた。いつになっても状況が打開できない彼の祖父は、偶然森に訪れていたこの女に協力を要請した。
詳しい種族はわからないが、同じ獣人だからと、誤った仲間意識でそうしたのが過ちの始まりだ。
女はその圧倒的な力で瞬く間にドワーフを制圧し傘下に加えた。そしてこれまで敵わなかったエルフ達を今、追い詰めている。
だが、その代償はあまりにも大きい。
女の敷く圧政は、森で家族や隣人のために過ごしていた者達にとってはあまりにも重い。
男も女も昼夜働かされ、限界寸前まで痛めつけられる日々だった。
「祖父の負債を貴様が払っているだけのこと、なにも理不尽な話ではあるまい?」
「だ、だが……だとしたら、ドワーフに罪はないはずだ!」
ドワーフの男がそう主張する。
そんな彼の言葉を、女は一笑に付した
「カッカッカ! 惨めな敗者の許しを請う言葉など、わえのこの立派な耳にも届かぬ! 貴様等は敗北したのだ! で、あれば勝者のものとして振る舞うのは当然だろう? まさかそれもわからず、争っていたのではかなろうな?」
「……くっ……」
女の言葉の前に、ドワーフは黙り込むことしかできなかった。
仮に言葉で制することができたとしても、それに何の意味もない。結局力で女を退かさない限りは、状況が好転することはないのだ。
「一つ、報告がある」
「申せ」
「最近この森に人間どもが入り込んでいる。何かを探しているようにも見えるが……貴方に心当たりはないか?」
「んー……?」
女は頬に指を立てて、考え込むような仕草をして、すぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。
「例え知っていても、貴様等には関係あるまい」
「我等ドワーフにあの場所を掘らせているのも、何か関係があるのか?」
「……うるさい奴じゃ」
不可視の刃が、ドワーフの身体に突き刺さる。
「ぐおっ……!」
「大丈夫か!」
俯せに倒れたドワーフに、周りの男達が駆け寄った。
女の視線を恐れながらも、その中の一人がドワーフを治療するために洞窟の外へと運び出していく。
女は特に、それに対して何かをするつもりはないようだった。
「人間か。かか様の言った通りじゃ。奴等の欲望は果てることを知らぬ。そして折角勝ち取った平和すら、自らの手で壊そうとするとはな」
遠い目をして、洞窟から外へと視線を向ける。
女の真意は当然、周りの男達に理解できるわけもない。
「そうじゃ。愚かな人間どもが近くにいるなら、それを利用しない手はないな」
「……何を……?」
悪辣な笑みを浮かべながら、女が自らの考えを口にする。
「ほれ、噂に聞いたが貴様等は人間に高く売れるんじゃろ? 捕虜にしたエルフが何人かいたであろう? そいつらに高値を付けて取引してやるというのはどうじゃ?」
「そ、それは幾らなんでも……」
「無駄飯ぐらいはいらんじゃろ? エルフ共に返すにしても、奴等が持っているものがわえに価値あるとは思えん」
「だが、幾らなんでも……。それに人間達の交流を持つことは、森の秩序を壊すことに……」
「カッカッカ! それを最初に壊し、争いの火種を持ち込んだのは何処の誰じゃ?」
高笑いと同時に告げられた言葉に、獣人の男は完全に言葉を失った。
「ま、交渉には時間も必要じゃろ。富を得るためじゃ、必要ならわえも働いてやる。エルフ共の住処を焼き払いに行くときも、な?」
寒気がするような鋭い視線を向けてから、女は話はこれで終わりだと言わんばかりに体勢を崩して寝転がる。
手に持った宝石を愛でる彼女は、もう既に獣人達など眼中になかった。
男達も情けない思いを抱え、誰も何も言わずにその場を後にすることしかできなかった。




