奪われた理由
痛々しい音を立てながら、少年の身体が石造りの地面を転がっていく。
全身を痣と傷だらけにして、既に満身創痍になりながらもカイは、なんとか手に持った剣を杖のようにして立ちあがった。
ふと周りを見れば、顔見知りの男が倒れている。その下には血溜りが広がり、既にこと切れているのは明白だった。
カイの知っている日常は、今帝国によって全て奪われた。
奴隷としての辛い日々だったが、決してカイにとってはそこに絶望だけがあったわけではなった。
自分達が大人になるころには、何かが変わっている。何処か漠然とした小さな希望は、完膚なきまでに踏みにじられたのだった。
かつて自分達が暮らしていた家から、のっそりと一人の大男が出てくる。
大剣を肩に担ぐ悪鬼のような男は、カイの父の仇だった。
奴隷という身分もあってか滅多に力を見せることがなかったが、事実としてボルスはこの集落で最も強い戦士だった。
他の男達も口々に彼を尊敬していたし、時折起こる喧嘩の仲裁などではその力を存分に発揮していた。
そして何よりもカイ自身も、彼から帝国兵に隠れて剣を習ったことがある。本気で打ち込んでも全くびくともしない父は、カイにとって強さの象徴だった。
「父さん……」
その父が、一瞬で倒された。
大剣をただ一振りするだけで父の身体は無残にも石壁に叩きつけられ、それきり動くことはなかった。
「そろそろ降参したらどうだ、小僧?」
「……くっ……!」
気力で立ち上がり、剣を振りかぶる。
ゴブリン相手なら通用したカイの剣技も、本物の強者である目の前の男の前では無力だった。
大剣で受け止められ、そのまま跳ね飛ばされる。
再びカイの身体は地面に叩きつけられ、手から離れた剣が少し離れたところで地面に落ちる音を立てた。
「殺すなら一思いにやれよ!」
破れかぶれになってカイは叫ぶ。
目の前の男はこの戦いを楽しむわけでもなく、父ボルスにしたようにカイを殺すわけでもなく。
カイをいたぶって、何度も降参するように提案してくる。
例え最期に父と袂をわかったとしても、カイは自分を戦士だと思っている。そんなカイにとって男の態度は屈辱でしかなかった。
「嫌だね。ガキを殺してもつまらん。……余程の戦士なら話は別だが」
言外に、カイは殺すには値しないと告げている。
「だがお前さんにゃ見込みがある。筋は悪くねえ。俺の隊で使ってやるよ、帝国の中じゃ下っ端だけどな。年中戦争ができるぜ?」
「誰が、そんなこと!」
カイが剣の落ちたところに走るのを見ても、男は何も反応しない。例え武器を持たれても、軽くあしらえるほどの力の差があるからだった。
「お前達帝国は、俺達から全てを奪った! 俺はお前達を許さない!」
「吠えるねぇ……。だが、許さないとは笑えるじゃねえか」
「何を!」
「奪われたのも、こうして潰されたのも、お前達が弱いからだろ?」
「お前ええぇぇぇぇぇぇ!」
男の言葉はある意味では事実で、それが一番カイの心を抉った。
だからこそ一瞬、痛みすらも忘れられたのは皮肉な話ではあるが。
だが何度斬りつけても、男は怯まない。
二度、三度と剣を叩きつけようと全く動く気配もない。まるで大岩に剣をひたすら打ち込んでいるような気分だった。
「はっはぁ! いい動きだが!」
凄まじい速度で、大剣が振るわれる。
カイは自分が死んだと思ったが、剣閃はカイの持つ剣だけを弾き飛ばした。
再度それを拾いに行こうとしたところに、男の大剣が伸びてそれを妨害する。
「もう剣を持つんじゃねえ。次にそれを取ったら、俺はお前を殺す。降伏すりゃ殺さねえ、逃げても追いかけねえ。別に強くなってから俺を殺しに来てもいいんだぜ?」
低い声が、カイの身体をその場に留める。
男は本気だった。恐らく剣を持った瞬間に、その大剣はカイの身体を薙ぎ払うだろう。
そして父ボルスのように、腹に剣を食いこませたまま無様に吹き飛んで動かなくなる。そんな未来すらカイの脳裏には浮かんでいた。
それでもカイは止まらない。
年若く無謀な少年は、それ以外に今の自分の感情をぶつける方法を知らなかった。例えその代償が死であったとしても。
男が大きく溜息を吐いた。
そして目を見開き、カイを見る。
「立派だよ、坊主」
大剣が持ち上がる。
剣を構える隙もなかった。
情け容赦なく、迷いもなく、それはカイの頭上に掲げられる。
脳天から真っ二つにする斬撃が、カイに向かって振り下ろされた。




