崩壊の足音
結局それから誰も殆ど言葉を発することもなく、ボルスが開いた会議は静かに終わっていった。
アシェンの立ち回りと言葉に呆気にとられた彼等は、これからのことすら話し合う気力も残されていなかった。
ボルスですらも、アシェンに対する処遇を何も決めずにその場を去って行ってしまっていた。
その中で会議に参加していた男、ギルグはふらふらとした足取りで家に向かうわけでもなく一人奴隷地区を彷徨っていた。
夜も深まり、明日に備えて大半の奴隷達が眠りにつく時間になっても彼は眠ることはない。
青白い顔をしたまま、譫言のようにぶつぶつと何かを呟き奴隷地区を歩く。
「嘘だ。何かの間違いだ。あの女が生きていたなんて……」
ギルグはボルスと一緒に反乱を企ててはいるが、特別志があるわけではない。ただここで奴隷として暮らしているよりはと、何となくで参加している程度のものだ。
そんな彼だから、ある日普段からつるんでいるチンピラと一緒に歩きながら、反乱について愚痴を零していた。
本当に成功するのかと、その程度の話だ。
それを、一人の少女に聞かれた。
灰色と呼ばれていた少女だ。
ギルグともう一人のチンピラは慌てた。この灰色と呼ばれている少女はみんなから虐げられている。情報を帝国に売る可能性があった。
それはギルグ自身が、最悪そうすることで自らを助けようと思っていたからでもある。
どちらにせよ、話が漏れげそれをボルスが知れば面倒なことになる。
ギルグとチンピラは、灰色を口封じに殺すことにした。因縁をつけるまでもない、灰色は生きていても意味がない、死んでいい存在だから。
彼女を殴り殺したギルグ達は、普段の鬱憤を晴らせたこともあってかその日は気分よく眠りにつくことができた。
「なんで、なんで生きてやがる! 確かに殺したはずなのに、息がなかったのに……!」
最初は幽霊でも見ているのかと思ったが、違った。いや、それの方がどれだけよかったか。
理由はわからない、知りたくもない。
だが、確実に灰色は生きている。ギルグ以外にもその姿が見えており、しかも隠していたのか強大な力すら持っている。
ギルグの頭の中では、灰色がギルグに復讐するのは決定されていた。逆の立場ならそうするからだ。
「殺される……!」
何よりも、アシェンの立ち回りがまたギルグの恐怖を煽った。ここで奴隷にされている者達は既に滅びた部族の出身だが、特に反乱を企てている者達はボルスを始めとして武芸の心得がある者達ばかりだ。
そんな男を一人、難なく無力化して見せたのだ、あの少女は。
灰色がその気になればギルグなど容易く殺すことができるだろう。
「い、嫌だ! 死にたくねえ、奴隷なんかのまま死にたくねえよ……!」
おぼつかない足取りで歩く。
気付けば奴隷地区の外れにある、帝国兵の詰め所に来ていた。彼等はここで奴隷地区を見張っているが、大半はやる気がなく夜の見回りは滅多にない。
どうやら酒でも飲んでいるのだろう。石造りの小さな建物からは灯りが漏れ、楽し気な笑い声が聞こえてくる。
ギルグはごくりと唾を飲み込んだ。
思えばここに来てから、酒も滅多に飲むことはない。一応店があるものの、そこで買えるのは安酒以下だ。
「ど、どうせ……」
自分に言い聞かせるように呟く。
そうだ。
どうせボルス達に協力しても、犬死するだけだ。ボルスがアシェンをどうにか口説き落として協力させても、結局ギルグは殺される。
ギルグが助かる道は一つしかない。
しかも、今行けば酒が飲める可能性がある。
そんなくだらない欲望すらも理由の一つになる程度には、ギルグの心は追い詰められていた。
そしてふらつきながらギルグはその建物に近づき、できるだけ刺激しないように扉をノックした。