オラス・ディオール
帝国領、オルビス。
魔法による高度な文明を持つ帝国の南に位置するこの街は、南方に対しての攻守に対して要ともなる重要な都市である。
現在はそこから更に南下した地域に暮らしている部族を攻撃し、更なる版図拡大を望んでいる。
「ジェレミー」
その街の中心にある大きな屋敷。
そこはこの街を治め、周辺の部隊を纏め上げる権限を持った帝国貴族であるディオール家のものだ。
屋敷の一室、豪華な調度品や家具に囲まれた部屋。
奥の執務机に座った男が、ジェレミーの名を呼ぶ。
名前を呼ばれたジェレミーは弾かれたように、それまで落ち着きなく座っていたソファから立ち上がった。
「ち、父上……!」
「待たせて悪かったな。こう見えて、私も暇ではないのでね」
「い、いえ……」
ジェレミーの声色も態度も、あの時奴隷地区で見せた姿とは真逆のものだった。何かに怯えるように、背筋を伸ばして父の言葉を待っている。
髭を蓄えた恰幅のいい男の名はオラス・ディオール。ディオール家の当主である。
「奴隷地区の件だが、鉱山からの収益が思ったよりも少ないな。専門家の見立てでは、あの場所にはまだ相当量の鉱石が眠っているという話だが?」
「そ、それは……」
ジェレミーの背中を汗が伝う。
本来ならば、父の計算通りか僅かに少ない程度の収益は見込めているはずだった。
だが、ジェレミーが遊び半分でゴブリンを始めとする魔物の討伐に奴隷達を狩りだした結果、手が足りないという事態になっている。
何とかそれを誤魔化そうとするも、そんなことは父であるオラスにはとっくに見抜かれていた。
「奴隷共で遊ぶなとは言わん。あれは我等の戦利品なのだからな。だが、それで利益を損ねるのは問題だな」
「も、申し訳ありません!」
外では傍若無人に振舞うこの男も、父の言葉には弱い。
だがそれは、決して昔からそうというわけではなかった。むしろ子供のころは、オラスはジェレミーを甘やかすことで今の人格が形成された。
きっかけはいつだったかわからない。ある日父はまるで別人のように変貌した。
視線は冷たく、言葉ではジェレミーを息子と呼ぶがその態度はとてもそうとは思えない。
そしてその辺りを機に、父は数多くの武勲を打ち立てて今の立場を得ることができた。
「それから、私の方でも奴隷地区を監査されていたのだがな」
「は……父上、が?」
ジェレミーにとってはそれは思いがけない言葉だ。
父は自分を信頼して奴隷地区を任せていたはずだった。趣味の悪い遊びに奴隷を使いながらも、ジェレミーはそう思っていた。
「そこで面白いものを見つけたそうだ。……金の髪に蒼い瞳、あれは恐らく」
ジェレミーの表情が引き攣る。
間違いなくそれはエリンの話だ。
ジェレミーもエリンのことは把握している。それどころか、彼は彼女に恋慕に近い感情を抱いていた。
だがもしそれを露わにすれば、不審に思った部下から父に連絡がいくかもしれない。だからジェレミーなりに格好いいところを見せながら、機会を伺っていたというのに。
「アルミーク家の生き残りかも知れんな」
「そ、そうでしょうか……? 金髪の蒼い瞳なんて、帝国にも幾らでも……」
アルミーク家とは、帝国に伝わる魔導師の家系だ。
代々強い魔力を持った子供が生まれ、一説には人間に魔法を伝えたとすら言われる種族、妖精の末裔とまで言われている。
勿論そんな話はただの与太話で、それを信じる者は誰もいないが。
オラスに睨まれて、ジェレミーは言葉を失った。
あの人を人とも思っていない視線、時折見せるそれがジェレミーにはとてつもなく恐ろしかった。
「調査の段階ではある。だが、最近妙な噂が耳に入る」
「噂ですか……?」
「奴隷地区の連中が、反乱を企ているとな」
その言葉に、ジェレミーの顔が更に引き攣る。
既に恐怖で父の顔を正面から見ることもできないジェレミーは、ここから走って逃げだしたくなるほどに追い詰められいた。
「お前が無駄に反感を買うような真似をしたからかも知れんぞ」
「そ、それは……情報が誤っている可能性も……」
既にジェレミーの声は震えている。
姿形は同じ人間であるにも関わらず、そうなってしまうほどに目の前の男が恐ろしい。
「確かにな。ジェレミー、お前には奴隷地区の調査を命じる。責任をもって、奴等に反乱の意思がないかを確認しろ」
「は、はい!」
「話は以上だ、下がれ」
命令されて、ジェレミーは急いでその場を後にする。
かつて父と呼んでいた誰かに背を向け、もう二度と振り返らないようにしながら。