わかればいい
英雄的な活躍をしたところで、アシェンを取り巻く環境が劇的に変わるわけではない。
少しばかり力を見せてみたとしても、結局のところアシェンを含む彼等が奴隷階級であることに違いはなかった。
とはいえ、全く変化がないといえば嘘になる。
少なくともアシェンにとって一番大きなところでを語るのであれば、彼女にとって目的ができたということだろう。
今日も今日とてアシェンは水汲みなどの力仕事をこなしながら、奴隷地区で手に入れられる情報に逐一目を光らせている。
「アシェン」
「どうした、エリン?」
「えっと、いい天気……だね」
「まぁ、そうだな」
エリンのぎこちない言葉に、適当に相槌を打った。
エリンの態度も小さな変化の一つだった。
恐らくは目の前のアシェンが彼女の知っている人物ではないと、具体的に告げられたのが原因だろう。
今まで少し怪しいと思っていつつも、心の何処かでは親しい友人だと思っていたのが他人だったのだ、慣れるためには時間が必要なのかも知れない。
ましてや、その友人がもうこの世にいないことを告げられてしまったのだから。
「ねえ、アシェン」
「なんだ?」
水汲みの桶を担ぎながら、話をする。
エリンは一つ、アシェンは二つを持ち運ぶのももう見慣れた光景だった。
どうにもこのエリンという少女は、この奴隷地区においては特異な立場であることもあってか少しばかり人見知りな部分がある。
なので現状では、アシェンとの距離を測りかねているというのが実際のところなのだろう。
全くの知らない他人ではあるが、だからといって敵意を感じない相手ではある。信用していいのか図りかねている部分でもあった。
「アシェンは本当に世界を変えるの? 変えられるの?」
「……正直な話、難しいな」
エリンの表情も見ずに、そう答える。
「そうなんだ」
「ああ。少し話を聞いて調べた限りでも、帝国というのは強大だ。幾ら私が強く賢くても、たった一人ではできないことが多い。勝利、と呼べる結果を得ることは不可能ではないが」
「不可能じゃないの?」
「まぁな」
誇らしげな顔で答える。
この場合の勝利というのは、アシェン一人で成し遂げられる範囲での話だ。
帝国に喧嘩を売り、適度に損害を与えて自分は雲隠れする。それ自体は不可能ではないが、アシェンにとっては意味がないことだ。
荒野の中心で一人、勝利の凱歌を謳ったところで虚しいだけだ。あくまでも、誰かを幸福にするための勝利でなければ。
「だが色々とな、一人では難しい。そのためには必要なものが多い」
「……必要なもの?」
エリンはたどたどしいながらも、こうして質問をくれることでアシェンとの距離感を図っているようにも思える。
その目を見ればそこには期待のような感情が見え隠れしており、輝きからしても他の奴隷地区に暮らす者達とは異質だった。
「金だな」
「お金」
奴隷地区で暮らしている分には、殆ど縁のないものだ。一応仕事をしている男達には幾らかの現金は支払われているようだが、食料や生活用品に消えていく。
それに加えて女子供に金が手渡されることはまずない。先日のゴブリンとの戦いによる賞金も払われたらしいのだが、アシェンのところには全く話も来なかった。
アシェン自身、さして期待もしていなかったので別段気にするような話でもなかったから放っておいたのだが。
「……わたし、お金になるかも」
俯いたエリンの、金の髪がさらりと揺れた。
「かも知れんな」
そこを誤魔化すようなことはしない。
エリンは特別な血筋だ。アシェンにはその確信がある。
彼女に然るべき訓練を受けさせれば、瞬く間に一流の魔導師を凌駕するだろう。残念なことに、アシェンはそういったことを人に教えることは苦手としているが。
恐らくは何らかの事情があってここに流れ着いたのだろうが……。
その辺りの細かい事情はアシェンにわからないが、それでも彼女に流れる血は確かな金になる。
もしそれがなかったとしても、容姿端麗な少女ともなれば悪い意味での引き取り手には困らないだろう。
不安そうに表情を歪めるエリンを見て、アシェンは心の中で溜息を吐いた。
――そんな顔をするほど嫌ならば、最初から口にしなければいいのに。
そう思いつつも、それができないのがエリンなのだろう。この歪んだ環境で、エリンにとって自分の価値を精一杯示す方法がそれだったのだから。
手を伸ばし、エリンの髪を優しく掻きあげる。
「金にはなる。つまりお前にそれだけの価値があるということだ。私は別に、全てをかなぐり捨てての勝利が欲しいわけではない。私が求める全てを手元に収めての、勝利なのだ。だから貴様を手放すつもりはない」
大きな目を何度も瞬かせながら、エリンがこちらを見ていた。
「それとは別に、そもそもこの身体を頂いた代償がお前を守ることだからな。何度も説明させるんじゃない」
「……う、うん……」
呆けたようにエリンが返答し、それを聞いたアシェンは満足して手を放す。
「わかればいいんだ、わかれば」
「……アシェン、自分勝手」
「そうだぞ? 魔王とはそういうものだ」
何かを噛みしめるように立ち止まったエリンを振り返りながら、アシェンは彼女の言葉にそう返答した。
一瞬振り返ったときに見えたエリンの表情が華やいでいたことに気付いたが、敢えてそれを口にするほど無粋でもなかった。