新・私のエッセイ~ 第168弾 ~ リアリストとロマンティストの境目 ~ やはり、一定の歩み寄りは必要なのだろうか・・・?
・・・ぼくは、重度の、
『空想家』『ロマンティスト』である。
幼少期から、実はそうだった。
メルヘンやファンタジーの世界をこよなく愛し・・・
いつも、夢と仮想現実を追い求める子供だった。
思い出を大切にし、
ノスタルジックな想像とロマンスの世界ばかりを追いかけて、窓辺でためいきをつく、
そんな少女マンガのヒロインのような、女々しいオトコでもある♪
小学3年の、
国語の時間の読書感想文の授業での発表のさいには、
あまりに感動したものだから、
心を込めて自分の書いた作文を朗読したものの・・・
冷めた女教師の小島先生(= 翌年、結婚され、矢野に姓が変わられた)から、
「ねぇ、栗原君。ちょっと、おおげさなんじゃないかしら?」
と、冷や水を浴びせられたこともある。
(まぁ、小島教師は・・・当時まだ、20代後半で、人間が実ってなかったから無理もないわいな。)
・・・このようにぼくは、
大の『感激屋さん』ではあったものの、
その一方では、
実に冷静に、置かれた状況を瞬時に分析・把握する能力のある、理知的で合理的な少年、でもあった。
それは、先日ここで明かした、悪さばっかりやらかしていた、悪の少年としての、ぼくの冷静沈着な対応や行動が物語っているだろう。
このようにぼくは、
ふだんはきわめておだやかでロマンティックな、優しい人間である反面、
いざ、自分が危機に直面したときには、
必ず冷静な頭・・・
『リアリスト(= 現実主義者)』となって、
落ち着いて行動し、なんとかピンチを切り抜けてきた経緯がある。
むろん、リアリストとしてのぼくも、
ロマンティストとしてのぼくも・・・
まぎれもなく、両方とも、ぼくの真実の姿にほかなるまい。
しかし、ひとつだけ確実にいえることは・・・
このぼくが、
『世界一、いや、宇宙でいちばん女の子に優しいナイスガイ』であるということだ。
生きていくためには、あえてドライなリアリストにならざるをえないときもあるけどね・・・。
ちょっとした、「歩み寄り」がないと、まともに生きていくことはできませんから。
女性の皆様・・・
ぼくと、いろいろなロマンティックな夢を語り合いましょう。
・・・ぼくはいまでも、
ピュアな『少年の心』を、失ってはいませんので。
では❤️
m(_ _)m