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青を塗りつぶして  作者: 案次郎


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3/3

白いのか黒いのか

梅雨の訪れはまだだが、最近は雨が多い。折り畳み傘はもう畳んで、袋にしまったので、駅のバス停へと小走りで向かった。雨の日はバスを使う人が多いようで、早めに来たにも拘わらず、すでにバス停には列がある。僕は屋根の切れる寸前のところに並んだ。色とりどりのカーディガンを着た学生たちの姿を眺める。彼らは校則に違反しているであろう色のそれをさも当然と言わんばかりに身に着けていた。前に並んでいるショートボブの女子は相当に明るい髪色で、それは雨の日のじめじめとした、陰鬱な空気の中でも輝いて見えた。待っているとバスが水たまりを踏みつぶして、止まった。僕は鞄を前にして乗った。湿った体育館で運動靴が出すような、キュッという音が聞こえてくる。周りには女子ばかりで僕は肩身が狭かった。入学前は知らなかったが、僕の学校は共学にも拘わらず、女子が全体の7割近くを占めていた。そういうわけで常に校舎には女性社会特有の空気というか、僕に言わせれば戦々恐々とした雰囲気が常にあった。どこを見るわけでもなくただ外を眺めていると、よく僕の椅子を占拠している気の強い女子が乗ってきた。僕は視界に入っていたが、なにか挨拶をするものでもないと思って、焦点を合わせないようにする。しかし彼女はとても堂々としていて、僕の存在を気にもかけていなかった。彼女は僕の横のつり革に捕まった。皆バスの中では友達と話すかスマホを見ているかだった。僕はいつもこういう時は何をするでもなく音楽を聴きながらただ茫然と何かを眺めている。バスが発車すると、雨のせいかよく揺れた。それは必然的に隣の彼女との適切な距離感を壊した。彼女はスマホに夢中であったので、何度か僕の方へと倒れこんだ。そのたび彼女の香水と雨の匂いが僕の鼻を突いた。僕は耳から聞こえる音楽に全くもって集中できなかった。


学校に着くとみないそいそと降りた。僕も何もなかったかのように降りた。雨はやんでいなかった。仕方なく小走りで、入り口まで急いだ。校舎は薄暗く、まだ早いのもあって人も少ない。雨の日というのはまったくもって憂鬱で、だけどもそれでいて素晴らしくもあった。それは校舎全体が、僕と同じような負のエネルギーに包まれている感じがするからだ。彼らの青春もこの天気の下ではそう簡単にいくまいと思う。そんなくだらないことを考えながら僕は階段に足をかけた。

前にはさっきの彼女がいた。彼女はその極端に短いスカートを抑えながら階段を登っている。それはたぶん、後ろにいる僕を気にしてのことだった。根が正義感が強いくせに小心者である僕は、駅や学校の階段で上を向くこと当然なく、また女性とすれ違う時も、努めて視線を向けないように虚空を見つめて歩くので、そんな警戒は必要ないのだが、しかしそれはもはや習慣なのかもしれない。

階段を登りきると、廊下の窓から灰色の光が差しているのが見えた。彼女は僕の先を歩いている。窓からは打ち付ける雨音が聞こえてくる。イヤホン越しでも聞こえるその音は僕にとって気分のいいものではない。むしろその一定のふりをしてランダムな間隔が、妙に僕の歩きの邪魔をする。彼女はまだ前にいる。抜かすでも距離を詰めるでもなく、また歩きを緩めるでもなく、僕は神経質になった。

僕は席から遠い前のドアから入った。対角線にある席に荷物を置いて、すぐさま僕は教室を出た。決意とともに僕は歩いた。来た道を戻り、階段を下りて、僕は保健室へとやってきた。扉に手をかけ、開ける。彼女はいなかった。

気が抜けて、僕は正気に戻った。いや、一人でいる時は誰でも冷静だ。ここまで来て、わざわざ教室に戻る気にもならない。雨も降っているし、いっそ寝てしまおう。そうすれば、きっと気分はよくなる。そう思って、カーテンを閉めてからベッドに腰かけ、靴を脱ぎ、それから体を横にして横たわった。靴を脱ぐだけで、解放感を覚えた。それからまだ硬い学ランを脱いで自分の体にかけた。それから自由な足を動かしたり、指を開いたり閉じたりしてベッドの心地よさを確かめた。

そのうち何もすることが無くなってきて僕は瞼を閉じる。雨音はいまだ激しく、むしろ前よりも勢いを増している気がする。

うとうとし始めたその時に、僕は扉の音で目が醒めた。

彼女が来た。僕はどのように行動するか考える。自然でならなくてはいけない。だが、その自然足りうる根拠が見つからない。しばらく、考えて僕は扉の音で目が醒めたという、極めて自然でもっともらしい真実をそのままにすればいいのだと気が付いた。

身体を起こし、カーテンをめくった。


「おはよう」


「うん」


彼女は冷淡に答えた。


「何かあるの?」


「無いけど」


以前話した時と随分印象が違う。


「君、今日もさぼり?」


「まぁ、そうだよ」


「留年するよ」


「一応単位は計算してるんだ」


「今朝もお母さんに?」


「そう、悪い?」


会話が途切れる。よほど以前の出来事が恥ずかしいのだろうか。

いや、違う。


「そういえば、このまえわたしの事、避けたよね」


彼女は鋭い目つきで僕を突き刺した。

僕は何も言えなかった。うまく、彼女に説明できる気がしなかった。いや、正直に言うと、僕は彼女に言いたくなかった。僕の、歪んだ性癖を知られたくなかったし、また僕はそれをどうにかするつもりでいたからだ。もはや僕の当初の試みは失敗した。よくよく考えるとそうだ。彼女の行動は人間としてきわめて正しい反応で、僕はそれすら予想できなくなっていた。


「ごめん」


僕はそう言ってから保健室を出た。

彼女を見ることはできなかった。僕はただすべてにおいて間違っている、そんな考えが頭を支配する。自分でも自分の行動の原理がわからない。結局それがわからなければ、なにをしても意味をなさない。


その日の午後の特活の授業で、体育祭に向けた準備が始まった。話が進むにつれて男子と女子は若干の口論になった。内容は大縄跳びをどう進めるかということで、そのうち全くもって建設的ではない理不尽な意見が聞こえ始めた。いつもなら、愉快に思っていただろうが、今日はそんな余裕はなかった。

結局、どちらの案がいいか決を採ることになった。僕は自分の雑念を整理するのに精いっぱいで、聞かれるまでまったく気づいていなかった。


「ねぇ○○君はどっち?」


「えぇっと、じゃあ僕は後者の方で」


きつめにまくしたてられたので僕はつい、歯切れが悪くなってしまった。それに、胸のあたりがムズムズして、たぶん顔によくない笑いを浮かべてしまった。何をいっても僕は大抵はっきり喋らないが。ただ、議論の最中一人机に突っ伏して寝ていた僕はあんまりいい印象を持たれていないようだった。意図せず僕はクラス全員を敵に回していた。どこかの学者が言っていたが、僕ら人の脳はうわさをするようにできているらしい。それは自分の集団の中での立ち位置を確保するためで、また同時にそれらを駆使して、敵を排除してきたと。これに則れば、一人誰の会話にも混じらず、素性のわからない僕が敵視されるというの当然だろう。それがついに今回の件で明確になったらしい。この論理に言わせれば、僕がやたらと不幸な目に合うのも納得がいく。トイレで嘲笑われたり、あるいは掃除を押し付けられたり、それは僕の特質性からもたらされるということだ。しかし一方でそれら生物的な欲求を断ち切ってまで一人耐え忍ぶというのは、何か気分のいいものがあった。というのも僕は入学して以来誰かの事を噂したり、そういう実害を誰にももたらしていないからだ。存在がすでに害と言われてしまえばそれまでだが。しかし承認欲求と本能にそそのかされ、互いに傷つけあう彼らより、よほど僕の方が高次な人間で、ある意味そういった人間が太古の昔から受け継いできた呪縛から逃れられている分、幾分か理性的だと思う。つまるところ、それは遺伝子レベルで人間に組み込まれてきた運命で、僕のような社会不適合者はそれの餌食になる。しかし僕はそれをただ一人、その呪縛から逃れて戦うわけだ。これはまさしく僕の学校生活における大義にふさわしい。これはそういう聖戦なのだと僕は考えた。典型的な弱者の価値反転の論法に自嘲しつつも、半分本当にそういう気持ちもあった。

その後、僕は遠回しに様々な罵詈雑言を浴びせられた。朝、会った彼女も僕を軽蔑していた。


放課後が来て、僕は今すぐにでも帰りたかった。だけど自分の仕事を放棄してまで、それを行う覚悟が僕にはない。皆、部活があるとかバイトがあるとか適当な理由をつけて、僕にすべてを押し付けていく。いや、もはや押し付けているという感覚もない、僕の名前を呼んで頼みこんでもいない。僕がなにも用事がないのは確かにそうだった。しかし、こういう事ばかり続くと、人間の性質というのが嫌になってくる。普段は愛想を振りまいていて弱者にやさしそうな人間であっても、無意識のうちに自己中心的な行動をする。当番であるはずのおとなしく真面目な人間も、気付けばすでに教室の外だ。人間は理想を語りながらその一方で、それに反するような行動をとることができる。

午前と違って太陽は輝いている。ペットボトルでいっぱいになったゴミ箱を開き、袋をしばる。手につく砂糖のべたつき、僕の飲んだことのない飲料や、お菓子、そこからふいに僕は想像をした。僕が持たないもの。ここにはその残骸がある。僕はいっぱいのゴミ袋を二つ肩に担いだ。校舎裏へと向かうその途中でも、目に入るのは笑う人間。僕を笑っているのか、なにか面白いものでもあるのか。気づけば、ゴミ捨て場につく。ゴミを地面において、やけに重いゴミ置き場の扉を開けてすぐ、雪崩が僕を襲った。背中に当たる太陽と地面から蒸発する雨水が、僕を挟む。僕はこの倉庫のようなよくわからない場所が嫌いだ。こんなのはどう考えても本来ゴミを置く場所じゃない。文字通りの倉庫だ。こんなものは、誰かが壊さねばならない。この僕が持っているごみもろとも、すべてを巻き込んで弾けてくれないだろうか。すべてを破裂しそうなぐらいに詰め込んで力いっぱい扉を閉めた。

それから僕はさっきまでの空想を流さんとして、入念に手を洗った。指の間、手首、爪の隙間。妙にぬるい水と、湿った空気が、昔を思い起こさせる。僕が4年生にしてやめた小学校のこと。暗い緑と、ひびの入ったくすんだ壁、嫌に明るい蛍光灯、冷えた大便器と、全身びしょ濡れになったときの、寒さが。同じ水道水でも、蛇口から出るそれと、頭からかかり、地面へと伝わって、もはやその清潔さを失った水、自分の体温を含んだ生暖かいそれとではまったく異なる。見上げて映る自分の顔を見つめて、あの時、自分はこんな顔だったのか、と、またこれを笑った彼らの心理にいくらか納得もした。あいにくハンカチは忘れたようで、ズボンのポケットに手を突っ込んで、冷えた手にしみる自分の体温を覚えながら、誤魔化した。

僕の学校には靴箱がない。それはパソコン室など一部の部屋をのぞいて、校舎全体が土足の人間に汚されることを意味する。土交じりの埃は、単なる灰色の、繊維や意図が絡まった埃よりもいっそう暗く、またこの季節では湿って、嫌な質感を持つ。掃除がされているとは思えない、汚い階段を下りながら、その埃の数を数える。下って行くと、下駄箱のロッカーが存在しないがゆえにその存在意義が分からない玄関のようなスペースと、それを取り繕うかのように置かれたいくらかの机と椅子がある。内心帰りたくない生徒はここで溜まったりするのが定番で、同じくそんな気持ちを持っていそうな人間をここで捕まえて、駅前のショッピングモールや、夏であれば、海の方へと繰り出していくのだ。僕にとっては何ら意味をなさないこの場所は居心地が悪い。今も、そこの丸机でお菓子を広げてスマホをいじっている女子の一団があった。手をポケットに突っ込んで、猫背になり鞄の重みを背中に乗せ、快適な姿勢をとった僕は、外へ出た。期待と相反して、日は陰り、ぬるい風が吹き付けるのみだった。僕は学校前のバス停を遠目に眺め、その列の長さに落胆しながら、歩く。ふと、思い出してみると、いつもバスに乗ったときすでに何人か同じ学校の生徒が乗っていた。もしかすると、前のバス停はそんなに距離がないのかもしれない。僕はただの音が出る板にすぎない、黒い板を取り出して、確認した。500メートルもなかった。日も陰ったし、歩くのも悪くはないと思ったので、そこから乗ることにした。


駅行きのバス停は学校の前を通る、立派な中央分離帯のある道路を渡った側にある。同じ形をした建物がいくつも続く団地とそれを囲む街路樹を眺め、いつもと反対へ歩いていく。だんだん道路が下って行くのが地平線の形からわかって、その先を見渡しても、似たような風景が続いていた。そろそろ反対側へ渡ろうと、僕は信号で止まって腕を組んだ。ふと、頭に温かい何かが降ってきた。それは粘性を持っていて、髪に何かがついたような重みを感じた。僕は手を伸ばして、触って、手のひらを見た。それは白と黒、紫が混じった、カラスの糞だった。

鳥までもが僕を嘲笑っているようだ。僕の後ろには腕を組んで歩く、一組のカップルがいた。僕はとても耐えられなかった。あらゆる不運が僕へ向いてきているらしい。僕は走って、しばらく行ったところにあるさびれたショッピングモールで頭を洗うことにした。行き交う人の中には見覚えのある人間の姿もあった。きっと彼らはなぜ僕が必死になって走っているのか、不思議でなんとも笑える光景だろう。

モールの中へ入った。冷気に震える。僕は初めてここに来た。何人かの学生はここで適当な買い物をしているようだった。すぐさまトイレへ入って頭を洗った。半ばかきむしるように激しく洗った。髪はみすぼらしく濡れて、糞便のにおいにえづく。僕はごみになった。このままあの倉庫の中で寝っ転がったら、僕もろとも収集されるにちがいない。今日は、いや、もうすべては決まった。僕の人生は惨めで、汚く、愚かになる。そうにちがいない。鏡に映る人間はまさしくそうだ。この僕の網膜とあらゆる神経を通ってやってくるイメージはもう落ちそうにない。いくら洗っても、綺麗にならない。もう諦めることにした。

僕はワイシャツについた黒とも白ともいえない、混ぜ損ねた絵の具のようなそれを鞄と脱いだ学ランで隠しながら、家に帰った。それから僕は何も言わず、誰にも悟られぬように風呂場で全裸になって糞をこそぎ落とした。

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