脊髄反射で
ゴールデンウィークも過ぎて、入学からそれなりに時間がたっているのもあって、既にグループが形成されていた。僕は若干それに乗り遅れているように思えた。しかし、僕はなにかあえて孤独を選ばんとする妙な決意があって、席の近い数人と必要最低限の世間話をする程度にとどまっていた。別段面白いことがあるわけでもないが、それでも、学校生活においてある種のルーティンというものが出来上がりつつあった。今日もいつものように教室の自分の席に座る。始めの頃は、教室で食べるのは居心地が悪い感じがあるが、しかし一方で外に出るのも何だか面倒で、一人ぼっちでわざわざ外へ出るのもそれはそれで恥ずかしいし、といった具合に悩んだものである。それに実際のところ、教室でご飯を食べるのも悪くはない。というのも半分ぐらいの人間は外へ友達と食べに行くので、残るのは必然的に若干陰より、というかおとなしい人が多いからだ。加えて聞き耳を立てると意外に面白いのもある。僕の前の方ではいつも洒落た、スカートの短い女子たちが輪になって弁当を食べるので、そこで何を話しているかを盗み聞くのが習慣となっていた。彼女らは決まって一緒に大きな声で、いただきますと唱えてから食べ始める。周囲に団結をアピールしているのかあるいは青春をしてる自らを誇示するためにやっているのか、ともかく僕には滑稽じみた儀式に思える。
この前は弁当の内容で戦っていた。ママが作ってくれたチーズケーキだの、果物がおいしいだのそういう話を繰り広げていた。僕は今日も冷凍食品によって構成された茶色い弁当を不器用に口へと運んだ。今日の会話の内容はあのクラスの誰がかっこいいとかそういう話だった。別に聞いていて面白いわけではないが、かといって他に何をしても僕には大した違いがなかった。
午後の授業は化学であった。僕は早めに席について、禿げ頭の教師が来るのを待っていた。すると僕は不意に横の男に話しかけられた。
「課題、見せてくれない?」
僕は逆らえずに、課題を出した。彼は何のためらいもない風に僕の課題を丸写しした。しばらくしてそれを聞きつけたのかほかの男たちも僕の所へやってきた。僕は何も言えずに、笑って答え、また彼らも僕の肩を叩いて、なにか対等な友人であるかのように振る舞った。
僕は真面目な人間だったのでこの手の課題を忘れたことはなかった。それは僕の存在意義が対人関係において皆無だから、それを取り繕うとしたからでもあった。だが、休み時間に黙々とワークブックをこなす人間には誰も話しかけないし、またそれによって得られた成果もこうして奪われていくのである。
愛想のない禿げた教師が、小テストを配り始めた。僕は予習をしてきたので自信があった。
結果は一門だけ不正解だった。一番難しい問題らしく、教師はそれについて饒舌に話し始めた。
正答者はこのクラスでは3人だけだった。いつも授業で当てられている、教師お気に入りのガリ勉の女と、もう一人は理数系のみ強い、自称陰キャの調子がいい男、そして隣にいる顔がいい奴だ。僕は横の人間の不真面目さを先ほど見たばかりだったから信じられなかった。
それから授業が終わると、隣の男は、先にテストか実施された他クラスの人間から回答を教えてもらったことを大声で話し始めた。武勇伝であるかのように話した。周りの人間はみな笑って、彼を冗談を交えて教師を罵倒した。僕は彼を、一般社会常識という名の鉄槌によって断罪しようと思って、机に突っ伏して罪状を並べ立てた。自惚れた態度、不正に対する考えの甘さ、教師への罵倒、それから、僕のような弱者から成果物を搾取したこと。しかし、裁判官の気分になって客観的に眺めてみると、被告人たるべき彼より、人間的に問題があるのは明らかに自分ではないか、という結論に至り、僕はしばらく気分を悪くした。
放課後、僕は余りもので成ってしまった雑用係の仕事で、職員室へ荷物を運ばなけらばならなかった。職員室の前には自称進学校らしく、これ見よがしに置かれた自習用の机があり、壁面には色とりどりのポスターが大量に張られていた。目の前は中庭があって、下でたむろしている学生を見下ろすことができた。妙な緊張感を抱きつつ、僕は職員室の扉を開けて、副担任の名前を呼んだ。50代半ばのおばさんで、柔和な雰囲気があり、特にこれと言っていうことのない印象だった先生は、小走りでやってきて、それから僕の顔を神妙な面持ちで見つめて言った。
「ありがとう。そういえば、学校はどうかしら?」
その気遣いにしては的外れで、あまりに直接的で、また心配している風な態度は僕の心の奥深くの記憶を掘り返した。学校へ行かなくなって、しばらくして母に連れていかれたスクールカウンセラーのそれと同じだ。別に何の意味もなく、何の権限も持たないし、何もしないが、一丁前に子供を気にかけている「私」が好きな人間のそれだ。余計な仕事が増えて、迷惑だろうと申し訳ない気持ちも勿論あるが、それにしても教師というのは野暮な事しかしない。一般社会へ出ていない人間がほとんどだから当然だが、その演技じみた臭い体育会系のやり方が大嫌いだ。スクールカウンセラーも意味がないと知って、結局当時の担任から送られてきたのは、「元気になったらまた会おう」と、それの活用形の文ばかりが書かれ、いかにも余計なことをさせてふざけるなという怒りが感じられる3枚ばかりの色紙と、紙袋いっぱいに詰まった千羽鶴だった。同じ千羽鶴といっても、片や被爆し、大変な闘病を続けた中でも希望を捨てなかった広島の少女と、片やトイレで籠城した末、水攻めにされ、出てきたところを空手技でぶちのめされた、湘南のウンコマンである。
不登校というのは病気で、皆一緒に同じことをやらなければならなくて、そこから脱落すると不良品の烙印を押され、またその不良品がいることで、その他大勢のクラスメイトがそのツケを払わなければいけない。両親もいらだって、喧嘩の頻度が増えたり、なぜ学校へ行かないのかと問い正しながら、あざができるまでぶったり、とにかく過剰に反応する。いっそ放っておいてくれればそれでいい、勝手に死んでいくし、それでいいと思っているのだからと、当時の感情が沸き上がる。僕は目に力が入り、しかし自制しなければと思って言った。
「別に問題ないです」
それから僕はどこに行くでもなく校舎をさまよった。沸き上がった嫌な記憶をかき消そうと、速足で普段通りもしないところを歩いた。校舎はとてもきれいだ。学校というより病院のようなにおいがする。クリーム色の壁はここが学校であることを考えなければ温かみのあるいい色だ。流行り病のせいで、説明会もなかったので僕が初めて来たのは試験日だった。小中学校の刑務所のような壁に比べてなんてきれいなんだと感動したが、今となってはなんのありがたみも感じないし、はっきり言ってここがボロボロの刑務所のような校舎であっても僕にとっては大差がない。だが歩くうちに、外から聞こえる運動部の声や、たむろする人間の笑い声に僕は徐々に気分を良くした。人の少ない校舎は妙なノスタルジーを抱かせる。僕にとって学校は決して楽しいものではなかったはずなのに、なにかがあるような夢を見ている。陽が差して、廊下の四角いシルエットに対角線を作り、僕はその調和を壊しながら歩く。なんだか気分がいい。あるとき、広い渡り廊下に差し掛かった。そこは校門のすぐ前にある渡り廊下だった。通路の両側は椅子のようになっていて、窓ガラスはより大きく、陽の光をほとんどそのまま床へと伝えている。ある一点で、その光が途切れた。その影をたどると、女の子が椅子に座って窓ガラスにもたれかかっていた。その黒い、長い髪と色白の肌が見えて、僕は動揺して、後ずさりした。彼女は人の気配に気づいて、僕に目を向けた。彼女が口を開いたのが見えた。瞬間的に、僕はここから逃げなければいけないという強迫的観念にかられた。息苦しくなってきて、不快な汗が噴き出てくる。太陽が激しく照り付けているように感じる。気分が悪くなってきて、僕は一目散に走りだした。
僕は教室に戻り、一人いつものように席に座って突っ伏した。人がいなくても、もはやこの姿勢が一番落ち着くように僕はできていた。腕の隙間から見ると、教室に置きっぱなしの荷物がそこかしこに転がっている。立ち上がる気力もなく、僕はしばらくそのままでいた。そのうち陽は傾いて、教室は真っ赤になった。いつもこの教室にあふれる人間を鬱陶しく思っていたが、いざ誰もいなくなると、自分の存在が引き立って妙に居心地が悪い。吹き込む風は涼しいが、気分は一向に良くならなかった。
家に帰ると、珍しく父がいて、母と口論をしていた。そのうち母の叫び声が聞こえ、それに父も呼応すると、白亜紀に戻ったかのような獣同然の激しい号哭が聞こえ、そのうち物があらゆるところへ飛散するのが聞こえた。僕はその戦いを空想しながら眠りについた。




