不穏
エントランスを抜け、指定された部屋へ向かう。
エレベーターに乗り、フロアボタンを押す。筐体がゆっくりと上昇し始める。
微かにタバコの匂いがする。清掃が行き届いていないのは、見ていて分かる。
もう少し、マシなホテルが取れないのだろうかと不満を漏らす。
急に予約が取れるのはこの程度なのか。
それともこのくらいのホテルで十分な女だと思われているのか。
既に暗い気持ちを抱えた所で、チンという音と共に扉が開く。
右に曲がって突き当りの部屋みたいだ。安っぽいリノリウムの廊下を歩いていく。
部屋の前に着き、大きく息を吸って気持ちを落ち着け、チャイムを押す。
程なくして、頬を赤くしたプロトが出てくる。
私を招き入れ、角にあるベッドに腰かける。
ベッド脇のサイドテーブルには、ボトルと赤ワインが注がれたグラスが一つ。
プロトがグラスの残りを一気に飲み干すと、私にワインを進めてくる。
プロトは既にバスローブを羽織っており、胸が少しはだけている。
ワインを断り、ドアを入って直ぐのバスルームへ向かう。
服を脱ぎ、熱いお湯で体を温める。
このままやり過ごし、プロトが眠るのを待とうか。
ただ情報だけは手に入れる必要がある。
プロトのことだから、きっと目的を達成するまでは決して話さないだろう。
観念し、浴室を出てバスローブを羽織る。
先ほどより、赤みの増した顔でプロトがこちらを見てくる。
その視線を無視し、テーブルに置いてあるワインをグラスに注ぎ一気に飲み干す。
急なアルコール摂取で、頭がぐらぐらと揺らつく。
半ば、自暴自棄になりワインを煽る。
どういうことか、どれだけ飲んでも意識ははっきりとしたままだ。
陰鬱な気持ちのまま、ベッドのプロト横へ座る。
プロトの吐く生暖かい息が、顔にかかる。
ゴツゴツとした手が、バスローブの中に入り、胸を優しく愛撫してくる。
私は目を閉じて受け入れる。
プロトの鼻息が次第に荒く、胸を揉む手の力も強くなってくる。
上半身を脱がされ、ベッドに仰向けに倒される。
続けてプロトが覆いかぶさってくる。
意識を別へ向ける必要がある。そうしないと、この状況を耐えられない。
ウィトゲンが住んでいた森。あの澄み切った川が流れる景色を頭の中で反芻する。
触覚などのあらゆる感覚を排除し、意識を別の場所へ。
どれだけの時間が経ったのか。隣ではいびきをかきながらプロトが眠っている。
裸のままベッドから降り、浴室でシャワーを浴びる。
浴室から出ても、まだプロトはいびきをかいたままだ。
ここへ来てから、数時間が経っていた。このまま帰るわけにはいかない。
ズキズキと痛む頭を気にしながら、携帯でネットを見る。
事件に関する情報で真新しいものは無い。
プロトのいう警察の情報操作が効いている証拠なのか。
テクノロジーが進むにつれて、情報の中央集権化が顕著になってきている。
政府や企業はそれを否定する。利便さや安全を盾にして、個人から情報を搾取している現状を見て、彼らの言う事を信じる者がどれだけいるだろうか。
服を着て、窓に広がる景色を見渡す。ビルが乱立し、見上げても星空は見えない。
街は静まることなく、ロボットが道路や空を占拠し、動き回っている。
自分はここまでして、一体どうしたいのだろう。
もう一度、あのテロの恐怖を味わいたいのだろうか。
現実から離れ、死を感じたいのか。あの少年もこんな風に思ったのだろうか。
待ちきれなくなり、プロトを揺り動かす。プロトが不機嫌な顔をこちらに向けながら、体を起こす。交換条件のことなど、完全に忘れてしまっているようだ。
プロトは頭を抑えながら、ベッドから降りて浴室へ向かう。
聞こえて来るシャワーの音が、私の心を苛立たせる。
浴室から出てきたプロトの顔に感情は無かった。
する前と後でこんなにも変われるのかと、感心するほどだ。
「昼の話の続きが聞きたいんだよね?」
さっきまで体を重ねたとは思えないほどに、他人行儀で話してくる。
そのような態度に反感を覚えながらも、ゆっくりと頷く。
「どうして、捜査状況を世間に隠しているのか。
それは、事件に使われた銃の入手経路が関係している」
マジックの種明かしをするような、誇らしげな顔をしてプロトが言う。
確かに銃の入手経路には、疑問があった。
この国では、銃規制が進んでおり、銃を持てるのは警察組織だけだ。
外国からの締め出しも厳格に行われている。
密売組織というものが過去あったようだが、貨幣が無くなった今は存在しない。
では、どうやって少年は手に入れたのか。
不思議とメディアでは、この点について取り上げられることは無かった。
警察とメディアが繋がっているということなのか。
「少年は友達に貰ったって言っている。
その友達っていうのが、要人の息子らしいんだ。
ほら、話が面白くなってきたでしょ」
私の反応を楽しむように、長い間を置いた後にプロトが言う。
いつもの不快を感じさせる顔に戻ってきている。
この国では国家の運営に携わる人間を要人と呼ぶ。
噂で、要人は五人程度しかいないと聞いたことがある。
国家のトップである首相は、ただのお飾りで、この要人達が実権を握っているという話まである。話の通りだとすると、要人が拳銃を持っていることになる。
息子が親の目を盗んで手に入れたのか、それとも護身用にと渡されていたのかは分からない。だとしても、これは重要な問題だ。
何のために要人は拳銃を持つ必要があるのか。
「確かにそれが本当だとすると、すごいことになりますね。
きっと、これを記事にしたら反響はありそう。
でも、報道したとしても、誰も信じてくれないかもしれない」
プロトはテーブルに置かれた瓶が空なのを確認すると、冷蔵庫からワインを取り出す。手際よくコルクを引き抜くと、グラスに注ぎ、渡してくる。
さっき飲んだ物より苦みが強い。思わず目をつぶり、顔をしかめる。
プロトはそれを見て、不敵に笑う。
自分の弱みを見せてしまったようで、気落ちする。
「警察はこの事実を隠したままにするんでしょうね」
批判の色を隠さずに言う。
「まぁ、そうなるだろうね。警察だって、国家あっての組織だからね」
ふっと鼻で笑いながら、プロトが言う。
「このことを報道しても良いんですね?」
プロトがワインを飲み干し、じっとこちらを見つめてくる。
「それは、僕が決めることじゃないよね」
窓の外に気配を感じ、そちらを見る。
暗闇の中、一台のドローンがビルの谷間に消えていく。
今まで監視されていたのだろうか。
プロトはそれに気づかず、空になったグラスにワインを注いでいた。
この時はまだ、これから起こる事に気づかないでいた。