葛藤
誰もいない真っ暗な部屋に帰ると、暗澹とした気持ちになる。
時が経つごとに飛び込んでくる情報が、心を消耗させていった。
死者は最終的に10人を超えるほどになった。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。
こうしている間にも、被害者やその家族が苦しんでいると思うと、胸が締め付けられる。
どうしてこんなことが起きてしまったのか。
今の世界は、幸福を実現してはいないのか。
重い体を起こし、シャワーを浴びる。
体と同様に、心の汚れも洗い流せればどれだけ良いだろう。
風呂から上がり、アルコールをグラスに注ぐ。
もう少し、度数の高いものが良いが仕方ない。
食欲も無いので、人工生産されたハムを冷蔵庫から取り出す。
過去に起こった、生徒による銃乱射事件をイデアに尋ねる。
A国で起こったものが、いくつかヒットする。
事件が起こるたびに、銃規制を望む声が出ていたが、やがてそれも自然消滅している。
資本主義に毒された大人達の利権が、複雑に絡み合った結果だろうと、ネット記事が考察している。
資本主義については、学校で学んだ記憶がある。
それに台頭した社会主義を融合させ、今の国家の基盤を作ったという。
完全な主義体系が出来上がったのだと、政治家たちは胸を張って言う。
誰一人もれることなく、幸せを享受出来るのだと。
では、事件を起こした17歳の少年はどうだったのか。
頭に浮かぶ考えから逃れるために、アルコールを飲む。
もう少しでグラスが空になろうとした所で、呼び出し音がする。先ほど注文した、度数の高いアルコールが届いたのだろう。
ドアを開けると、荷物を下げたドローンが旋回していた。受け取ると、ドローンは空へ向かって飛んでいく。無数にある群れに紛れ、すぐに行方が分からなくなる。
街で鳥を見なくなったのは、いつからだろうか。
二日酔いによる、頭痛を抱えながら起き上がる。
イデアの電源をつけ、昨日の事件の情報を収集する。
ネットニュースで、コメンテーターの男が、目くじらを立てながら事件について話していた。
「私はね、今回のようなことがいつか起きるのではないかと、危惧していたんですよ。
やはり、未成年でも厳罰は必須ですよ。
むしろ年齢に限らず、すべての国民に対して同じ刑を科しても良いくらいだ」
未成年者の事件が起きるたびに巻き起こる論争。それは依然として残っている。
「監視カメラの数も増やすべきですよ。学校内の設置も、もっと推進するべきだ。
そうすれば、犯罪抑止につながる。個人情報が問題なら、きちんとそこは担保すれば良い。
テクノロジーを駆使すれば、そんなのわけないでしょう」
水を得た魚のように話すのを見て、言いようのない気持ち悪さを感じる。
どの報道チャンネルも、今回の事件を伝えている。
それほど大きな事件なのだ。
事件を起こした犯人の実名や写真も、既にネットに上がっている。
正面を睨みつける少年の写真。
学生証だと思われる。
どんな感情でこの写真を撮ったのか。
何が彼を事件へと駆り立てたのだろう。
ゴウから連絡があり、政府が運営しているチャンネルを観るように言われる。
イデアに伝え、画面が切り替わる。
法務大臣による、記者会見が伝えられていた。
記者からの質問に、大臣が汗を拭きながら答えている。
「やはり、死刑は必要では無いですか?
大臣のお考えはどうですか?」
先程のコメンテーターのように、強い口調で記者が大臣に詰め寄る。
「そのような意見があるのは承知しています。
ただ、急いで決断するわけにも行かないので。
現にこれまでは、死刑など無くとも
平穏な社会が続いていたわけでして」
それからも、当たり障りの無い回答が続くだけだった。
ゴウからの連絡と共に送られてきた、場所へのルートを確認する。加害者の家までの道。
昨日の学院前の光景を思い出す。
あれと同じことが、一般宅の前で行われていると思うと、気が重くなる。
シャワーを浴び、支度を済ませ、家を出る。
昨日と同じように、地下鉄へ向かう。
さっきのニュースが影響してか、監視カメラの存在が気になる。等間隔に設置され、国民を監視している。
どこまでが、個人として守られるべき情報なのか。
住居や個人の健康状態など、あらゆる情報が国家のデータベースで一括管理されている。
国民の安全と幸福のためだと、国家は言う。
国民の利益を最大化するためだと。
それと引き換えに、何か大切なものを失っているのかも知れない。
ウィトゲンの言葉が、頭の中で反響する。
彼はその何かを持ち合わせているとでもいうのか。
地下鉄がホームに滑り込んでくる。
車内のモニターでも、事件を報道している。
私は洗脳されているような感覚を覚えた。