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世界  作者: 田島 学
12/16

疲弊

ビルのフロア内に、悲鳴が響き渡る。

窓外に、飛行機がこちらに向かってくるのが見える。

息を飲もうとしたその瞬間に、凄まじい閃光に包まれる。


ベッドから飛び起き、夢だったのだと安堵する。

自分の荒い息遣いだけが、暗い部屋の中で響いている。

時計を見ると、まだベッドに入ってから、1時間も経っていない。

自分では気づかないほどに、精神的に追い詰められているのが分かった。

死への恐怖が、そうさせていた。

ただどこかで、考えすぎでは無いかと思う自分がいる。

本当にプロトの話は真実なのか。

その疑いが、頭の中をつきまとう。


プロトという警察官など、そもそも存在しなかった。

私は、質の悪い詐欺師に騙されていたにすぎない。

その可能性も否定できないのでは無いか。

そんな都合の良い考えに頼ることで、自分を保とうとしていた。

現時点で言えるのは、あの話を口外しないということだ。

どこで見張られているのか分からないので、そうするほか無いだろう。

あとは、何も行動を起こさないことだ。記者を辞める必要もあるだろう。

そうすることで、少しは自分の身を守れると思う。

何もしない蟻ほどの存在を、巨大な象が躍起になって殺そうとはしないだろう。

携帯にゴウからの着信が入る。

この上ないタイミングだと思ったが、外はまだ夜明け前だった。

要件は、予想通りイミの件だった。

勘違いであったと、はぐらかし、退職の意向を伝える。

それを聞いたゴウは、あっけないほどすんなりと認めてくれた。

まるで、それを予想していたかのようだった。

電話を切り、カーテンの隙間から外を確認する。

無数のドローンが、薄暗い空をせわしなく飛び交っている。

そのどれもが、この部屋の様子を伺っているのではないかと思えてくる。

また、一日が始まると思うと暗澹とした思いになる。

逃れたいと思った。この街や生活から。

これから生きていくためには、それが何よりも必要だろう。

イデアに、遠く離れた諸島の映像を映し出すように指示する。

人がいない、木々が繁茂する世界。

廃人のように、私は何時間もそれを見つめていた。


事件から、2か月が経った。

最初の頃は、メディアで頻繁に報道されてはいたものの、今はそれに時間を割かれることはなくなっていた。まるで、事件など無かったかのようだった。

ネット上にあった、加害者生徒の情報もきれいさっぱり無くなっていた。

何かの力が働いているなど、誰も夢にも思っていないようだ。

森や小川の映像が、絶え間なく部屋の壁に投影されている。

お腹についた贅肉をつまみながら、陰鬱な気持ちになる。

あの日から、一歩も部屋を出ない生活が続いていた。

テーブルや床に、ゴミが散乱している。

女としての尊厳はとうに失っている。

ただ生きる事だけを考えて、この生活を続けていた。


依然として、プロトの携帯はつながらず、行方は分からないままだ。

事件と同じように、プロトの存在も消え去ってしまったかのようだった。

彼の記憶と共に、あのホテルで聞いたことも全て忘れてしまいたかった。

死の恐怖に怯えることなく過ごせる日々は、戻ってくるのだろうか。

そうでなければ、いっそ死んでしまった方が良いのかもしれない。

そんな考えに囚われるようになっていた。

久しぶりに携帯へ連絡が入った。表示を見ると、プロトからのものだった。

電話を取るべきかどうか迷う。相手はプロトでない可能性が大きい。

携帯の呼び出しは、途切れることなく続いている。

このまま、恐れて逃げ回っても何も変わらない。意を決し、電話を取る。

「ごめん、何度も連絡くれたみたいだね。

ちょっと理由あって、電話出来なくてさ」

携帯からは、プロトの陽気な声が聞こえてきた。

あれほど聞くに堪えなかった声が、今の私の心を落ち着かせてくれた。

「無事だったんですね。安心しました」

「無事だったって、どういうこと?

サハルちゃん、俺のこと心配してくれていたの?」

プロトのあまりにも素っ頓狂な様子に、呆れそうになる。

「私に捜査情報を伝えたことで、何かあったんじゃないかって心配していたんです」

数秒間考えたあとで、あのことかと笑いながらプロトが応じる。

「あの話ね。どうやらデマだったらしいんだ。

ごめんね、俺も本当だと信じていたからね。

でもサハルちゃん、報道しなかったでしょ。良かったよ。

報道していたら、サハルちゃんの会社大変なことになっていたよ」

言葉とは裏腹に、特に悪びれる様子もなくプロトが言う。

余りのいい加減さに、言葉が出てこない。

これまでの、私の恐れは一体何だったのか。

怒りを通り越して、滑稽に思えてきた。

プロトは懲りることなく、また食事でも行こうと誘ってくる。

私はそれを軽くあしらい、電話を切る。


緊張の糸が切れたように、安堵しゴミが散乱している床に座り込む。

とんだ取り越し苦労だった。自分を笑ってしまいたくなる。

力が抜けてしまった体を起こし、カーテンを閉め切った窓へと向かう。

隙間から、光が差し込んでいるのが分かる。

カーテンの裾を両手で握りしめ、左右へ力一杯に開く。

眩しいほどの光に包まれ、目を開けることが出来ない。

ゆっくりと目を開けると、そこには変わらない街の景色があった。

ビルの谷間をドローンや、車が行き交っている。

心の中で、時が動き出した感覚を覚える。

また、この一部になると思うと心がザワついてくる。

ただ、死を恐れる事はもうないのだ。

そう思うと、この人間味の無い街並みが少し美しく見えた。

窓を開けると、数か月ぶりの新鮮な空気が部屋に入ってくる。

ゴミが不気味な音の合唱を始める。まずは、これをどうにかしないといけない。

床のごみをかき集め、袋に放り込み、両手に持って玄関のドアを開ける。

太陽の日差しと、強い風に包まれる。

大きく息を吸い、背伸びをする。

私は生きている。


部屋着のまま、階段を駆け下り、ゴミ捨て場へ。

私を見たおばさんが、驚いた顔をしている。

まるで、ウィトゲンを初めて見た時の私のような顔だった。

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