諸事情によりお暇をいただきたく·····
「お味はいかがですか」
「·····まあまあだ」
「淹れ直しますか?」
「いや、茶が勿体ない。飲み干す」
「かしこまりました」
そんな、いつものやりとり。
これも今日で最後かと思うと、内容はどうであれなんだか感慨深いものがある。
今日も今日とて顰めっ面の領主の顔をしっかりと目に焼き付けて、私は部屋を出た。
◇◆◇
「諸事情によりお暇をいただきたく·····」
「·····本気なの?」
二日前、辞表を出した時に侍女長に言われた。
本気です、と答えると彼女は溜息をついた。
「取り敢えずこれは受け取っておくけど、一応保留にしておきます。サーリオ様にも確認を取らないといけませんから」
サーリオ様とは私が仕える領主様の御名前だ。
王族からの覚えめでたく、更に領民からの人望も厚い。
おまけに眉目秀麗ときて女性人気も高いのに驕らず、常に紳士的。
侍女長が言いたいこともわかる。
一体何が不満なのだ、と聞きたいのだろう。
私はそんな侍女長の視線に気付かないふりをして頭を下げると、通常の業務へと戻った。
私、ユミナがこの屋敷に来たのは五年前。私が十八歳の時だ。
男爵家の娘として産まれた私だったけれど、なんせ家がとてつもなく貧乏だった為、時々短期間ではあるが侍女の真似事のようなことをしていた。その仕事がたまたまこの屋敷で働いている方の目に止まったらしく、本格的にうちで働かないかと誘っていただいたというのがここで働いている経緯だ。
正直、職場状況に不満はひとつもない。
寧ろ、皆さん優しいし、とても良くしてもらっている。
だけど、私にものっぴきならない事情というのはあるのだ。
事の起こりは、三ヶ月前。
久しぶりに実家に帰省した時のことだ。
一年ぶりに帰る実家でそこそこ呑気に過ごしていた昼下がり。
父に突然呼び出された。
言われた通り、書室に行くとそこにはなんとも強ばった顔で椅子に座っている父がいた。
何事かと思いながら私も正面に腰を下ろす。
それを確認した父は眉間によった皺を解すと溜息をついた。
「·····実はな、お前に大事な話があるんだ」
今まで見たこともないような深刻そうな顔に私もつられて緊張してしまう。
重苦しい空気の中、父が引き出しから出したのはいくつかのお見合い写真だった。
·····もう一度言う。お見合い写真だ。
堅苦しい言い方をするのなら釣書。
結婚を所望する男女が第三者の仲介によって対面する時に参考とする、あの、お見合い写真だ。
その時ばかりは父を殴ろうかと思った。
あまりに深刻な顔つきなものだから、いよいよ経営が立ち行かなくなったのかと真剣に考えたのに。
私の怒りが表に出ていたのか父は慌てて「いや、すまない!」と謝る。多分、この人は私が何に対して怒っているのかよくわかっていないと思う。昔からそう言うところがちょっと緩い人なのだ。
「·····一体、これは?」
謝罪を無視して問いかけると、父はぐっと喉の奥に何かを詰まらせたような音を発した。
「それが、実はユミナをぜひ嫁にという方が何名かいて、だな」
「はあ」
「それで、ユミナもそろそろ結婚も考える年頃だろう?」
「はあ」
「だから、その·····」
「この中のどなたから選べと?」
「いや、まあ、そう、だな」
言葉を詰まらせる父に私は首を傾げる。
一体何をそんなに泣きそうになっているのだか。
まあ、いい。
取り敢えず、父が出してきたお見合い写真を見る。
驚くことにどの方もそれなりに良いご身分だった。
歳も私と近い。なかなか好条件ではある。
「·····それに、結婚すればこの家も少しは安定するのか」
ボソリと呟いた言葉に反応したのは父だ。
「い、いや!ユミナ、結婚するにしてもしなくても相手を家柄云々で決めるのだけはダメだぞ。
いくらウチが貧乏だとはいえ、お父さんは富が欲しいがために娘に結婚させるほど落ちぶれちゃいない!別に結婚する気がないんだったら、いいんだ。ただ、お前宛に届いてるんだから見せなければと思ってな」
最初憤慨したかと思えば最後は段々と声が尻すぼみに小さくなってゆく。
父が私のことを大事に思っているのは十分に伝わってくるし、有難いとも思っている。が、
·····結婚か。
その時は取り敢えず父に「考えておく」とだけ伝えて帰ってきた。
父はああ言っていたけど、私だって少しでも実家の力になりたいという気持ちはある。それに結婚願望も人並みにある。にも関わらず、あの時即決出来なかったのには理由がある。
その理由、それは私に好きな人がいるからだ。
·····ただ、この恋が実る可能性は限りなく低い。というか、ない。
何せ、その想い人というのがこの屋敷の当主であるサーリオ様なのだから。
いや、勘違いして欲しくないのが私が身分差ゆえにこの恋を諦めている訳では無いということだ。
世の中には身分差やらなんやらと言った壁を乗り越えて結ばれる人達だっているだろう。
だが、私が可能性がないと断言するのにも訳があるのだ。
例えば、私以外の侍女がお茶を淹れた場合。
サーリオ様は普段は無表情か顰めっ面でいることが多いのだが、その時ばかりはその御尊顔を僅かに緩めてきちんと「美味しいよ」という言葉と共にお礼の言葉をかけて下さる。
だが、私が淹れた場合。
「まあまあ」「普通だ」「問題ない」
意地でも「美味しい」とは言って下さらない。サーリオ様が私が淹れたお茶を美味しそうに飲んだことは一度もない。
私が淹れた時だけいつも顰めっ面のまま、眉間に深い皺を寄せていらっしゃる。
最初こそショックを受け、侍女長に一からお茶の淹れ方を教わったりしたものだけど、五年もそれが続くともう慣れた。
ちなみにお茶を淹れる技術は侍女長のお墨付きにまでなった。
まあ、なんだかんだ言いながらもサーリオ様は最後まで飲みきってくださるし、お茶がまずいからと言って捨てることも無い。
本当のことを言うと、他の侍女と同じように微笑みかけて欲しい気持ちもあるにはある、というか滅茶苦茶その気持ちは強いのだが、多くは望むまいと何とか自制してきた。
更に、他の侍女や使用人が風邪を引いたり体調を崩したりすると優しいサーリオ様は家族の元へ一旦帰らせ、ゆっくり休養をとらせるのだが、私が以前風邪を引いた時は私を実家に帰らせようとする気配さえ無かった。さすがの私もこれには少しショックを受けた。
更にさらに、他の侍女がものを壊してしまったりした場合でもサーリオ様はとてもお優しく「気にするな」と声をかけてくださる。
が、私の場合この前初めて花瓶を割ってしまったのだが、物凄く睨まれてしまった。
いや、侍女として主人のものを壊すなんて言語道断なのは分かっているが、サーリオ様がそんなに負のオーラを全面に出すのは私だけなのだ。
·····そう、もうお分かり頂けただろう。
私は間違いなく、絶対に、サーリオ様に嫌われているのだ。
実らない恋に月日を捧げて婚期を逃すのなら、家の為にも自分のためにもお見合いをした方が良い。
改めて屋敷に帰ってきてからそう考えた私は、後日父にお見合いについて前向きに検討しているという主旨の手紙を送った。
そしてそれからしばらく経ち、決意が揺らぎそうになりながらも何とか侍女長に辞表を提出したという訳だ。
そして先程、侍女長から本当に辞めるのかもう一度問われ頷くと、その旨をサーリオ様に伝えておくと言われた。
私からしてみたら辞表を出したのは二日前なのに寧ろまだ伝えていなかったのか、という感じだ。だけれど何はともあれ、もうこの屋敷で働くのもあと少しかと思うと物寂しい感じがする。
ちゃんと雇われるのが初めてのことでガチガチに緊張していた私に優しく声をかけてくださった使用人の方々や、サーリオ様には今でもとても感謝している。
·····そう言えば、最初の頃はサーリオ様は特に私に対する態度は他の人と変わらなかったな。
いつから他の人と変わったんだっけ。
考えても曖昧な記憶しか浮かばなくて私はそれ以上思い出すのを諦めた。
·····やめた。何が悲しくて好きな人に嫌われたきっかけを自分で思い出してるんだか。虚しくなるだけだからこれ以上考えないようにしよう。
首を振ってマイナスな考えを消し去る。
荷造りはもう終わってるし、後はお世話になった方々に挨拶をするだけだ。そしたらその足で実家に帰ってお見合い相手を見繕わないと。
サーリオ様にもしっかりとお礼を言って辞めようとは思うけど、もしも私が辞めることを知って嬉しそうにされたらもう立ち直れない·····。
はぁ、と一人ため息をついていると何やら遠くの方から揉めているような声が聞こえてきた。
何事かと声のする方へ振り向くと段々とその声は近づいてくる。
「――止めてくれるなっ!このままではあいつが本当に辞めてしまうだろう!!」
「ですがこれは彼女が決めたことで·····」
「説得すれば良い!」
声を聞く分にはサーリオ様と侍女長の声なのだけれどもあの二人がこんなにもめているのを聞いたことがない為、確信が持てない。
私はこの場から離れた方が良いのか、それとも無駄に動かない方が良いのか迷っているうちに声はどんどん大きくなってくる。
·····ど、どうしよう。理由は分からないけど二人とも凄くもめているようだしどこかへ移動した方がいいのか。
「ではお言葉ですが、彼女が辞めるのは貴方様のせいでもあるのですよ!!!」
「なに?」
「だから――」
話している声が止まった。
そろそろと顔をあげれば、そこには驚きの表情のまま固まっているサーリオ様と侍女長がいた。
やばい、逃げ損ねた。
「あ、えっと荷造りも終わったので今から挨拶回りに、と思い、まして」
微妙に気まずい雰囲気の中、私はどもりながらもそう説明する。
が、二人からの反応はない。
·····なんで?
「えっと、じゃあ、私、行きますね」
なんか取り込み中みたいだしこの二人への挨拶は後にしようとその場から去ろうとすれば、今まで石化していたはずのサーリオ様が私の手首をとった。
「え」
「何故」
「へ?」
「何故辞めるのだ」
数秒経ってからそれが私がここを辞めることに対する質問だとわかった。
「実家で、お見合いをする、ので」
なんで好きな人にこんな悲しいこと伝えなくちゃいけないんだ、と心の中で涙を流しながら伝えるとサーリオ様が大きく目を見開いた。
「好いた人がいるのか」
「いえ、そういう訳では」
「今すぐに結婚しなければいけない事情でも?」
「もう私も年頃ですので」
「結婚出来れば相手は誰でも良いのか」
その言い方に少しムッとするものの、確かに真面目で浮気をしない人ならば誰でも良い気がするので曖昧に返事をすると元々あったサーリオ様の眉間の皺がさらに深くなった。どこか不機嫌にも見える。
が、正直私はそれどころではない。
だって、手首掴まれて·····。
こんな近くにサーリオ様がいること自体が久しぶりすぎて直視できない。
やばい、なんかいい匂いするしダメだ。
覚悟がゆらぎそう。
だけど、もう望みのない恋は終わりにするのだ。
ずっとここに居たいという気持ちに蓋をして私はサーリオ様に掴まれている手を引く。
·····ビクともしない。
もう一度引く。
まっっったく動かない。
いや、ちょっ、どういう力の入れ方したらここまでピクリとも動かなくなるんですか?あんまり力入れてる風には見えないんですけど?
内心冷や汗をダラダラ流しながらなんとか彼から距離を取ろうとするものの上手くいかない。
「ユミナよ、答えろ」
いっそ滑稽な程に必死になる私の耳にサーリオ様の低く腰に響く声が聞こえてきた。
·····え。あれ?今、私の名前、呼んだ?サーリオ様が?
「おい」とか「お前」とか「おい」とか「おい」しか言わなかったあのサーリオ様が?!
「結婚をしたいが為に、辞めるのか」
幻聴か、と混乱する私にサーリオ様はそうお尋ねになられた。
私はその問いに働かない頭でなんとか頷く。
「私にも結婚願望はあります故、大変身勝手ながらお暇を頂こうと」
厳密に言えば話はそこまで単純では無いのだけれど今ここでそれを言う必要もあるまい。
さようなら、私の恋。
なんてポエミーじみたことを考えながら今度こそしっかりと恋心にケリをつけようと覚悟を決めていると「ならば」とサーリオ様が声をあげた。
「私と結婚すれば良い」
「·····へぁ?」
なんて?
今、絶対にこの場で聞きえないはずの言葉が聞こえてきたのだけれど。
「私ならば安定した生活を約束するし、やりたい事があるのならそれを止めはしない。不自由になんてさせないし、勿論ずっと君だけを一途に想う」
んんんん?
「第一、どこの馬の骨ともわからないやつと結婚するのならば素性の知れている私と結婚する方が遥かに安全だ。使用人たちも見知った者しかいないし、新しい環境にストレスを溜めるなんてことも無い。その上·····」
「いや、ちょっと待ってください」
まだ言葉を続けようとするサーリオ様に制止の意味を込めて掴まれていない方の手を出す。
屋敷のご当主様相手に失礼だとは思うがステイだ。
本当にちょっと待って欲しい。
·····何が、なんだって?
「なんだ」
「お言葉ですがサーリオ様。貴方様は私の事を厭うておられるのではないのですか·····?」
「私が、ユミナを·····?」
私の言葉にサーリオ様はその麗しいお顔の眉間に深い皺を寄せた。造形の整った方がそういう顔をするとすごく怖い。
「·····サーリオ様、貴方様はユミナにまだ一番大切なことをお伝えしておられませんよ」
と、微妙な空気が流れる中今まで存在を消していた侍女長が声をあげた。
サーリオ様はその言葉にハッと何かに気づいたように私を見た。
·····え、なに?
「ユミナ」
「はいっ」
突然名前を呼ばれて声が裏返った。最悪だ。
だがサーリオ様はそんな私を気にした様子もなく真剣な顔で私を見つめる。
今日が命日かもしれないとどこか他人事のように呆然とその光景を見ているとサーリオ様の大きな手が私の肩を掴んだ。
「ユミナ。私はお前のことを好いている」
「·····へぁ?」
出ました、本日二度目の間抜け声。
固まる私にサーリオ様は「愛しているんだ」と囁くように告げる。よく見れば無表情に見えて耳だけが真っ赤になっているのが見えた。
·····何故、訂正した。何故破壊力がより高い言い方にした。
殺す気か、私を殺す気なのか。
「誰でも良いというのなら、俺を選んでくれ」
続けて聞こえたその声は、聞いたこともないような心からの切望の声で·····。
「む」
「·····む?」
「無理ですうううううううう!!!」
自分の脳が処理できる範囲を超えたことを悟った私は、恥も外聞も投げ捨ててその場から逃げた。
人間、あまりに予想外のことが起きると色々おかしくなるらしい。
が、その三分後。
屋敷内では大捜索が開始され、私は無事サーリオ様本人に捕獲されることとなる。
そして、自分の気持ちも洗いざらい彼に伝えることとなった。
ちなみに、これは後から知ったことなのだが、驚くことに旦那様は私が彼のことを好きになったのと同じ時期くらいに私のことを好きになったそうだ。
風邪を引いた時に実家に帰らせてくれなかったのは心配しすぎて自分から姿の見えないところに行って欲しくなかったからで、花瓶を割った時に睨まれたと思っていたのはシンプルに怪我はないか、観察していただけらしい。「おい」とかばかりで名前を呼ばなかったのも、緊張しすぎて名前を呼べなかったからで、失礼だとは思いながらもどうしても呼べなかったと言う。
お茶の件については、旦那様いわく「以前ユミナに茶の味を聞かれ、『美味しい』と答えた時に君は礼を言って微笑んだだろう。それが私には刺激が強すぎたんだ」らしい。
私にとってはなんだそれ状態なのだが旦那様は大真面目らしく、「その後の仕事が手につかなくて大変だった」と真顔で仰っていた。
最近は旦那様が思っていた以上に私を好きだということに気付かされる毎日で侍女長にもこの前「貴女に『嫌い』だなんて言われた日には行方を晦ませるかも知れませんね」なんて笑えない冗談を言われた。
そんな旦那様だが、あのプロポーズのような一件から以前の様子が嘘のように私に愛を囁かれるようになった。
好いてる人に好かれて嫌がる人はいない。
当然、私も旦那様が好意を伝えてくださる度にとても嬉しく思うのだが、なにぶん刺激が強すぎる。
一言一言が致命傷なのだ。
少しそのご尊顔と愛の言葉のコンボの威力を知っていただきたい。
と、まあ長々と説明してきたが要約すると、私は今とても幸せだと言うことだ。
私はこの先もサーリオ様に心臓に悪いことをされたり、言われたりしていくのだろう。
でもそんな日々がとても愛おしく思える、今日この頃だ。
「お味はいかがですか」
「·····美味い」
「それは良かったです」
「微笑まないでくれ、押し倒したくなる」
「押しっ·····?!」
やっぱり少し自重していただきたい。
主に私の心臓のために。