表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

流されるままに

挿絵(By みてみん)

 次の日、政庁から兵士がやってきた。

 戸を開けると顔に見覚えのある青年がいて、その背後では四人ほどの男たちが現場を下見していた。


「エリカさん、お話は町長より伺っております。勇者さまにあの【白竜の翼】をお作りになるとか!」


(「確か、セイトンさんの甥御さん……名前はミッコロさん、だったかな……」)


 一見して、彼の態度は友好的。というより、最も下っ端で警戒心のない人物を選んで挨拶に送りつけてきた、という感じがする。背後に並んでいる男たちはちらりとこちらを見ると、鋭い目つきのまま軽く会釈を返しただけだった。


 彼らは恐らく、自分が逃げ出さぬよう見張る役目も担っている。

 正直、近くにいてほしいとは思わなかった。例え友好的であっても、槍と帷子で武装した兵士には威圧を感じるのに。


「凄いことですね! ケサーヌであったことは不安でしょうが、今後は我らが交代で周辺を警戒致しますので、ご安心して作業に集中なさってください」


 挨拶をしてきた兵士が彼であることには、運命の皮肉を感じた。

 自分が【白竜の翼】を完成させれば彼は助かると、セイトンが言っていたことを思い出す。

 まあ確かに、のほほんとした彼よりは後ろにいる嫌な目つきの男たちの方が、魔物との闘いでは生き延びそうではある。


(「まあ、それも本当かどうか、疑わしいものだけどね……ロカは勇者じゃないかもしれない。魔王に負けるかもしれない。その前に、そもそも何かの事故で、魔物なんか関係なくこの人は死ぬかもしれないじゃない……?」)


 そんなことを思って鼻を鳴らしたものの、心の底ではロカが運命の勇者であると感じている。ということは恐らく、その対となる魔王もまた存在し、自分の働き如何で人の世が左右されるのだということも、きっと真実なのだろう。


「時間になりましたらお食事などもお届けいたしますね! では!」


 そして彼らは工房を囲んで哨戒を始め、実質的にエリカは軟禁状態となった。


 尤も、食料や必要物資が届けられる以上、家を出る用事もない。缶詰には慣れている。

 だが、見張られていると感じるのは辛かった。


 何より堪えたのは、あの日以降ぱったりとマイラが来なくなったことだった。


 家を囲む武装した男たちがいれば、近づきがたいのは当たり前。

 ダフネは邪魔するつもりはないと言っていたが、見張りがその約束をどれだけ守るかも疑わしい。

 見つけられて追い払われているのかもしれないし、もしかすれば市場での窃盗がばれて捕まったのかもしれない。

 だが、それを確かめる術もなかった。


(「やっぱり、マイラのことは町長に伝えるべきじゃなかった……ごめんね、マイラ。今、どうしているのかな……」)


 そんなことを想いながら、窓を閉め切って作業を続けるだけの日々。

 窓掛けを開いたところでうろつきまわる兵士がいるとなれば、外を見る気も失せる。

 陰鬱な工房の中には埃が舞い、窓掛けの隙間から漏れる光が筋を作る。教会の、ステンドグラスの光のように。


 一針、一針。縫い付ける度に、躰の奥へ。ちくり、ちくりと呪いは進む。


 それから一週間が過ぎて、二週間が過ぎて、そして……何日経ったのだろう。

 やがてエリカは咽こみ始め、それは日に日に酷くなった。


(「呪いが肺腑に届いたんだわ。咳き込むたびに手足が痺れる……」)


 狭苦しい世界は再び閉じられて、外と繋がる糸も切れた。


 勇者と魔王が世界を争う物語の端で、己はこの小さな部屋で朽ち果てようとしている。

 よく考えれば、自分は何故この作業を続けているのか。世界にとっては大事なことかもしれないが、自分にとっては無為に死に向かうだけの鬱屈とした日々。それに耐えてまで、どうしてこんなことを。


(「ああ……そうだ。いっそのこと、こんなことなら」)


 ある時、エリカは表情を殺したまま、ナイフを手に取っていた。

 なぜ自分の手の内にそれがあるのかは思い出せない。だが、思い出す必要はない気がした。


(「今日は、いつだったかな……マイラと最後にあった日から……二十日? それともひと月? わからない。会いたいなあ……会いたいなあ……」)


 会いたい。

 声も出ないのに、唇だけがそう呟く。

 銀色の刃に、酷い隈の出来た虚ろな顔が反射している。

 自分は何をしようとしているのだろう。

 まあ、いい。どうでも。

 首元に冷えた感触がゆっくりと張り付いた。


 その時だった。工房の戸が、優し気なノックの音を響かせたのは。


「ごめんください」


 ハッと我に返った。

 首元に張り付いていたナイフが、ぴたりと止まる。エリカはため息を落として、それを捨てた。

 わざわざ喉笛を掻っ切らずとも、よく考えれば裁縫をしているだけで自分は死ぬじゃないか。


 ……馬鹿馬鹿しい。何もかもが。


(「あの声。【海水晶】のビーズのご到着ね……」)


 戸を開けると、ロカが優しい微笑みでそこに立っていた。

 精悍な中に繊細さを感じさせる顔立ちは、前より少し疲れたように見える。前には見ていない服の切り傷も、増えていた。隣町での闘いは、恐らく壮絶なものであったのだろう。


「久しぶり、エリカちゃん。今日は、マイラちゃんはいないんだね。具合悪そうだけど、大丈夫?」


 エリカは彼を中へ促した。外套を被り、背中を丸めて咽こみながら。


(「私……まるで、魔女ね。用件はわかってるんだから、早く終わらせよう……」)


 中に入ると、彼は足を止めた。周囲を見回す顔に、微かに影が落ちる。

 エリカは彼から預かった白絹を引き出そうとして。


「ちょっと待って」


 ロカに、その手を止められた。


「この部屋の荒れ方……エリカちゃん、すごく無理しているよね? 俺は最初【白竜の翼】を作ってもらえたら、静かにここを去るつもりだった。魔物たちに先に嗅ぎつけられたせいで、君が無理をすることになっているなら、本当にごめん」


 人が荒んでいくのを幾度も見たような瞳が、自分を射抜いた。

 その度に心を痛める純粋さを、そしてその人を救おうという希望を、今も忘れていない目が。


「無理をしなくて大丈夫だから、君の思うように仕事をしてほしい。この街は、魔物たちには決して手出しさせない。兵士さんたちに家を囲まれて作業するのは辛いだろうけれど、何か困ったことがあったら言……伝えてくれていいんだ。俺に出来る限り、君の力になるよ」


 彼の手は日に乾いて堅く強く、しかし優しくて暖かかった。

 目の前には、彼自身の人生どころか世界を左右しかねない道具があるというのに、それを脇に置いてその担い手と真剣に向き合おうとしている。


「故国が滅びた時、俺はまだ小さい子供だった。何も出来ずに、魔物に殺される人をただ眺めるしか出来なかった。縮こまって、恐怖に震えながらね。父は決死の闘いで、逃げる時間を稼いでくれた。母は抜け道を使って俺を連れ出して……俺を逃がすために囮になって倒れたんだ。それで命を拾った俺は、誓いを立てた。俺がいる限り、救える限りを救うんだと。君も、その一人だよ」


 作業をしている最中、頭の中ではずっと『ロカに全てを打ち明けて、投げ出してしまおうか』という考えが、常に渦巻いていた。つい一瞬前まで、それは強い欲求として湧き上がっていた。

 皮肉なことに、彼の真摯な態度がその想いを堰き止めさせた。


 彼の見てきた地獄。歩んできた救いの道。叶えなければならぬ夢。

 その全てを抱え込みながらも、彼は『怪我をした子供の為に薬草を取ってきて欲しい』といった田舎村のお使いだってこなすのだろう。


(「そんな真っ直ぐ見つめないでよ……そんな目を向けられたら、何にも言えないじゃない……」)


 エリカは曖昧に首を振り、ロール紙を出してこう書いた。


『これは私の使命。何もしなくていい』


 とだけ。

 ロカは複雑な顔でこちらを見つめ、静かに「わかった」と頷く。


 そしてエリカは、彼女がひたすらに縫い付けてきた絹を広げた。


「これは……凄い……」


 自分の作品ながら、改めて見ると確かにすさまじい。


 白地の絹に、刺繍された白竜の背。

 拡がれば半月の形にふわふわと浮かび上がる様は、伝説に残る白竜の翼そのもののように見えた。

 細かい裁断をする際には、高名な芸術家が遺した言葉を思い出したものだ。

 曰く『真の芸術とは、素材から余分な物を削ぎ落すだけでいい。あるべき形は、その素材の中にすでに存在する』とか。


(「多分、この絹地も運命に形を約束されたものなのね。向き合う時に緊張はしても、一度も失敗はしなかった……。これを遺して死ぬのなら、別に構わないんじゃないかって……そう、思わされそうになる」)


 運命に導かれる感覚とは、こういうものなのだろうか。


 自分は生まれついて呪われ、声を奪われ、家族に捨てられ、工房に閉じ込められて、恋を封じられ……そして憎たらしくも『形見を遺して死ね』と、そんな理不尽を押し付けられている。


 それなのに『ではお前の代わりに誰かにこの品を託そうか』と問われたら……誰にも渡したくない。

 自分が、完成させたい。

 それもまた、偽らざる本心であるのだった。


 こういう意地と欲望を抱いてしまう自分が選ばれたことが、そもそも運命の意志なのかも知れない。


(「例の物は?」)


 エリカが手を差し出した動きで、ロカは我に返った。

 彼もまた同じようなものを感じていたのだろう。己と運命でつながった【白竜の翼】の息吹を。


 ロカは急いで、カウンターの上に瓶詰のビーズを並べた。


「これだよ。ケサーヌの街で手に入れた。あの街は極北海の嵐の近くまで船を出して、漁をする技術がある。その辺りに住む貝がこの宝石……【海水晶】を持っているって言っていた。水に濡れると光り輝く性質を持つ、神秘の宝石だって。夜光石や火焔石のように魔力を充填させなくても、輝き続けるらしい。譲ってもらおうと交渉して、向こうの街の依頼をこなしている内に、魔物たちが襲撃してきたんだ」


 エリカは、感嘆の息を漏らして瓶を手に取る。

 色は二色。青白い宝石は真珠と水晶の中間のような透き通った煌きに満ち、紅い方は針を刺した指先に膨れる血のように鮮やかな紅だった。

 熟練の職人の手でごく小さな穴があけられ、一つ一つがビーズとして加工されている。


 ふと、マイラを思い出した。なぜだろう。

 ああ。そういえばマイラもこんな色の耳飾りをつけていた。涙のような形をした、透き通る青白い石の耳飾り。


「任せて……大丈夫かい?」


 また心が泳いでいたのか、ロカが心配そうに尋ねる声でエリカは現実に引き戻された。

 いけない。何かきっかけがある度、心が現実から乖離してしまう。


(「やるわ。これは、私しか出来ない。最初にそう感じた通り」)


 エリカは迷いを払って、頷いた。

 完成を見たい。それしか出来ることがないなら……やってやる。

 それが例え、追い詰められる中で湧き立つ、荒んだ欲求だとしても。


「ありがとう。君にお任せするよ……と、言いたいんだけど……」


 一方、ロカの方は煮え切らない。

 こちらの視線に病的なものを感じ取りつつ、その正体がわからずに困惑しているらしい。

 彼は最後を口ごもり、何か言おうとして。


 乱暴なノックの音に、遮られた。


「勇者どの! こちらと聞いたぞ! エリカ、開けさせてもらうぞ」


 ダフネの声だった。

 ほとんど断りなく工房に押し入って来た彼女に対し、ロカの顔が少しだけ険しくなる。


「町長。俺に御用なら、呼びつけてくれれば出向きますよ。エリカちゃんの前で……」


 ダフネは、その言葉を押しやった。


「こちらに来られる際は、まず私に一声掛けて欲しいとお伝えしたはずですな。何の断りもなく、直接エリカの……魔法の工房に赴かないでいただきたい」


「俺は元々、エリカちゃんに【白竜の翼】の製作を依頼したんです。このビーズも、彼女が持ってくるように俺に頼み、俺がそれを受けたもの。最初にここに来て挨拶をするのが、道理でしょう」


「私はこの街を預かる者です。そちらのご指示通り、兵士を配し、結界を張ってエリカの警護をしている。勝手に動かれては困りますな」


「俺は、護ってあげて欲しいと言ったんです。外の兵士たちの配置を見ました。これじゃまるで……軟禁です。この仕事を、無理矢理やらせていたりするのだとすれば、すぐにやめて欲しい」


 ダフネは、言葉に詰まった。

 勇者ロカが、彼女にとって扱いづらい存在なのは一目瞭然だ。

 正義を成す気持ちに溢れ、非道なふるまいを許さない。壮大な目的を掲げながらも、目の前の小さな悲劇にも目を配ってしまう。些事に目を瞑れという理屈は、彼には通じない。


 ダフネは彼と睨みあい……まるで後ろめたさから逃れるように、ちらりとエリカを見た。

 その目には苦悩と哀しみがあり、助けを求めるような心の濁りがあった。


(「……どうして私に助け舟を期待するのよ。あなたは私に死ねと言ってる張本人なのに」)


 その困り果てた目を見ると、嗜虐を感じた。

 ロカに伝えようか。自分はそこの女に監禁されて、死に繋がる作業を強要されていると。

 勇者は激怒して、それで全ておじゃんに出来る。

 正義と希望の象徴である勇者の背中越しにざまあ見ろとダフネをせせら笑うのは、さぞ愉快だろう……。


 自分の口の端が歪んだのに気づいて、エリカはハッとそれを隠した。


 そしてロカの袖を引き、首を振る。何もしなくていい、と唇を動かすと、ロカは悲しそうに眉を寄せた。


「そうかい……? それなら仕方ないけれど……俺はちょくちょく来るから、何かあったら伝えてくれ。……町長。彼女を守るなら、兵士たちは視界に入らないようにしてあげてください。こんな状態で囲われていれば、女の子は不安になりますよ」


 それは礼を失せず、しかし異は唱えさせない、はっきりとした断言だった。


 ロカは相対した者の心がすさんでいるのを見抜き、細やかに気遣う感性を持っている。だが、呪い子がその力の代償に何を背負っているのかまでは思い至らない。

 何とも絶妙な心の鈍さだ。


 それも彼が背負う運命がゆえなのか? ひょっとしてこいつは、全て計算ずくでやっているのではないか?

 そんな疑いさえ覚えそうになる。

 強い光は、関わる者の心に暗い影を落とすものなのだろうか。


(「……町長も今、同じことを想っているんでしょうね」)


 ダフネはため息を落としながら、工房の戸を開いた。


「わかりました。そうしましょう、勇者どの。ご理解いただきたいが、私はあなたに敵対するつもりはない。エリカのことも、本心から守りたいと思っている。我らは同じ側です。互いに、敬意を払いたい」


「そうできることを、こちらも祈っています。あなたに、隠し事や企みがないことを祈ります」


 勇者はこちらを振り返り、優しく手を振ると、促されるままに工房を出て行った。

 一方、ダフネは深く息を吐いて、戸を閉じる。

 この場に、残ったまま。


「……なぜ、伝えなかった。自分はその外套を仕立てた時、呪いによって死ぬんだと。これを作ることを強要されているんだと伝えれば、ロカはお前を守ったはずだ。なぜ、そうしなかった?」


(「さあ……少なくとも、あなたを庇ったつもりはないけど」)


 肩をすくめた自分を見て、ダフネは泣きそうな顔で眉を寄せる。

 彼女のこんな表情を見るのは、初めてだ。

 最近は何かある度、初めてなことばかり起こる。

 人生の最後とはそういうものか。それともあまりにも巨大な物語に巻き込まれた者たちのさだめだろうか。


「私は全て知っている。【白竜の翼】を作ればお前が死ぬこと。この街が呪い子たちを犠牲に安寧を保っていることも。だが、街の人々は何もわかっていない。罪の自覚もなく、実際、積極的に罪を犯す人々でもない。街が決めたことを愚かにも信じて、疑問も持たずに義務を果たしているだけ。後から全てを知って、秘密を隠していた私を糾弾する……そんなところだろう。私は、それでいいと覚悟を決めた。だがお前は? 何故、私の外道に付き合うんだ」


 そんなこと、自分でもわからない。別に彼女に付き合っているわけでなく、自分にしか出来ないことをしているだけだ。

 エリカは、ビーズの瓶を掴んだ。顔を背けて歩き出そうとした時、ダフネが後ろ腕を掴んだ。

 怒っているというより、縋りつこうとするかのような感触だった。


「魔王と勇者の伝説の時代……人の世界が生き延びれば、今は後にそう語られる。私はその物語の端で地獄にでも堕ちるだろうが、この仕事を果たせばお前は世界を救った一人に列される。賢者や聖女として語り継がれると思うよ。だがお前自身は、運命や私の都合に振り回されて死にたいとは思わないはずだ。そうじゃないのか?」


(「どうしてあなたが、私に縋り付くのよ。普通、逆じゃないの……あなたに命乞いして縋り付くのが私で、私のことを蹴っ飛ばして仕事を強要するのがあなたで、その私を勇者が救ってくれるっていうのが、物語の筋書きなんじゃないの? 私が、お姫様だったらさ」)


 掴まれた腕に痛みを感じる。それを乱暴に振り払い、エリカはダフネを睨みつけた。

 感じたことのないような怒りが、腹の中を蛇のようにのたうっていた。


「あ……すまない」


 立場どころか、筋力も背丈も圧倒的にダフネの方が上であるのに、彼女はまるで小娘の視線を恐れるように、後ろに下がる。


「わかっている……本当は全てを打ち明けて、数百年前の術式を文献から漁り、皆の意見を統一して……お前の呪いを元に戻して皆で肩代わりする方法を見つけ出すべきだ。そして呪い子たちに全てを押し付けてきたことを謝罪すべきなんだ。わかっているさ。だが……それに何年掛かるのか、その内にどれだけの犠牲が出るのか。そもそも可能なのかも、わからない。だから私は……いや、違う。言うべきはそんなことではないな」


 そしてダフネは、頽れるように椅子に腰を下ろした。


「なあ、エリカ」


 彼女を放置して、ビーズを奥へ持って行こうと立ち上がったとき、ぽつりとダフネが言った。


「お前の考えはわからない。だが、もしお前が生きたいなら……」


 そして彼女は、机の上に袋を置いた。

 大量の金貨の覗く、重い袋を。


「ロカに言われた通り、見張りたちは今日から距離を取って哨戒させる。だから……海岸沿いに東に抜けて、ケサーヌに向かいなさい。お前の両親は、そこから南に向かったと聞いている。酒場の主人に足跡を尋ねると良い。この金を持って両親のところまで行くんだ。彼らはお前が憎くて捨てたわけではない。私の手引きで抜け出して来たと言えば、喜んでお前を迎えるはずだ。また一緒に、暮らせるよ」


 それは、余りにも意外な申し出だった。怒り狂っていたエリカが、茫然と振り返ってしまう程度には。


(「どうして……?」)


「お前には話そう。お前くらいの歳の頃、私は娘を産んだことがあるんだ。そのころはこんな私も、初心な乙女だった。でも、あの子は体が弱くてね……魔法の衣ももらったが、ザフォラのようにはいかなかったよ。結局、最初の冬は越せなかった。それで当時の夫ともうまくいかなくなって、彼は故郷に帰った。私は家族を失って、全てを呪ったよ。正直、首を括ろうと思っていた」


 だがまあ、そうなる運命だったんだろう。と、ダフネは首を振る。


「前に話した女の子と関係を持ったのはそのころだ。荒んでた私を慰めてくれた友達だった。ちょうどそのころ、婚儀で街を離れていたお前の両親も帰ってきてくれた。二人とは、幼馴染でね。彼らも私を支えてくれた。私はそうして色々な人に支えられて気を持ち直し、治癒術を学んで怪我人の治療や魔物退治の前線で働くことにした。家族を失った分、誰かの家族を守ろうと思えたのさ。お前の両親とも一緒に魔物退治に出たんだよ。今でも、いいトリオだったと思う」


 そういえば、両親の魔物退治の話は聞いたことがあった。

 武器防具の店を営む前は、しばらくそれを生業にしていたと。


「がむしゃらに闘ううちに功績が認められて、私はやがて町長になった。魔法の仕立て工房に勤める子が、呪いの力を使うために寿命が短いことは知っていたが、犠牲を最小にするのは私の生きた世界の常識だった。私はそれが務めと割り切って、その方針を継続した」


 一方、長いこと子供が出来なかった両親は腹に子が宿ったことを機に引退し、武器防具の店を開いた。

 そしてエリカが生まれ、彼らは自分の子が呪い子だと知ったのだ。


「だがお前の呪いについてご両親と話した時の……彼らの顔を、私は今でも思い出すんだ」


 エリカもまた、あの日のことは夢に見る。

 影の長い夕暮れ。両親と暮らしていた家に、ダフネが訪ねてきた時のことだ。

 背を向けていた両親の顔は見えなかったが、ダフネはそこに両親の苦悩と嘆きを見たのだろう。


「告白するとな……お前の両親がお前を置いて街を出る直前、私は二人にそれを打ち明けられた。お前のことを頼まれたんだ。見守ってあげてほしいとな。私はそれを受け、自分が町長でいる限り、お前に無理な仕事をさせないと約束したんだ」


(「……父と母が? あなたに? 私のことを?」)


 三人が知り合いであることは知っていたが、そこまで深い仲であったとは知らなかった。ダフネは自分の家族のことも、両親との仲のことも、一度たりとも自分に話したことはなかった。


「いいか、エリカ。ご両親は自分たちで子供を食い物にすることに、耐えられなかったんだ。だがその構造を否定も出来なかった。何故なら彼らもまた、呪い子の作ってくれた装備……燃えぬ衣や凍らぬ絹地に、何度も命を救われたからだ。だから彼らは私にお前を託し、この街から離れた」


(「……」)


 そんな話を聞いたところで、逃げた両親を許して受け入れようという気持ちにはならない。

 だが……そうか。そうやって両親は自分を投げ出したのか。

 曲がりなりにも役目を投げ出さず、自分とここまで付き合ってきたのは、ダフネの方だったのか。


「だが私は何が正しいのか、もうわからなくなってしまった。私は……勇者に力を貸すべきだ。彼に協力して世界を。ひいてはこの街を守らなければならない。だが、だからといってお前を生贄にしていいわけがない」


 そしてダフネは自分の罪と使命を見つめた結果、背負える以上のものを背負いこむことになった。

 こうして彼女と向き合っていると、父母の選択は彼ら自身を守るためには正しかったのかもしれない。

 少なくとも彼らはここで板挟みになることはなく、誰かに断罪されることもないのだから。


「私は卑怯者だ。だから、お前に決断を委ねるよ。そしてその中で出来ることをしよう。お前の本心はわからないが、生き延びたいなら逃げなさい。付き合ってくれる限りは、茶番を演じよう。ロカには、お前の呪いの本質は黙っておく。どちらを選ぶにせよ、もうお前の邪魔はしないよ」


 以前、ダフネが言った言葉が、頭の中で反響する。


『自分たちは悪くない。街の者はそう考える。彼らは決して、自分が生贄の子の命を啜って身勝手に生き延びようとしているなどと思うことはない』


 そう。それが善良で無害な人々。大いなる物語を外から見る者たち。

 己の罪を見つめない者が、誤ることはない。

 なぜなら、選択しないから。

 両親のように、決断を迫られる状況自体から逃れるからだ。


「ここに来ることも、もうないだろう……さよなら、エリカ」


 ダフネは立ち上がると、工房の戸を開ける。それを閉じるとき、彼女はこちらを振り返った。

 その瞳に、思い出の中にある父母と同じ色が見えて……戸が閉じた。


(「ええ……もう会うことはないでしょう。さようなら、町長」)


 窓掛けから僅かに覗く空は、すでに濃い紫色。冷たい海風が吹き荒れて、硝子をかたかたと揺らしている。

 エリカは金貨の袋を棚に放り投げると、作業机の上に【海水晶】の瓶をおいた。


 最後のパーツはここにそろった。後は必要な個所にビーズを縫い付けて行くだけ。

 それを纏い、ロカが海の魔物を討ち果たせば、【白竜の翼】は完成する。


 その時、自分はさだめられた役目を終えるだろう……。




~つづく

2020年3月17日、ろこさまによる挿絵画像追加。掲載許可済み。

ろこさまツイッターアカウント⇒ https://twitter.com/roko_pallet

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ