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さだめられた道

挿絵(By みてみん)

 ……歌が聞こえる。マイラの歌が。


 どこか遠くから重く響く、切ない調べ。潮風のように、波音のように。


(「綺麗、ね……大好き……」)


 と、手を伸ばしたところで、エリカは目を覚ました。

 気持ちが蕩けていて、意識が焦点を結ぶのに時間が掛かる。

 見慣れた光景が、何故かいつもと違って見える。


 えっと。なんだっけ。

 マイラと……ああ。

 うん……大体、思い出した。うん。大丈夫。納得した。


 見えるのは、暗い天井。窓を振り返ると、窓掛けの隙間から冷ややかな月が見えた。いつの間にか、日は沈み切っている。


(「マイラ……?」)


 ベッドに横たわったまま、隣を探る。そこにあるのは、誰かが隣に寝てくれていた跡だけ。彼女がベッドを抜け出したのがいつかわからないが、すでに褥は冷え切っていた。


(「帰ったのね」)


 別れを伝えられなかったことを想うより早く、エリカは窓辺の花に気付いた。いつかマイラが摘んで来てくれたものと同じ菊花が二輪、花瓶に活けてあった。

 また涙がこぼれそうになり、エリカはため息を漏らして目を拭った。


(「ああ。服を着るのも、怠い……」)


 エリカは裸の上にいつもの外套だけを羽織ると、寝室から出て火焔石をつけた。

 作業机の前に素足を晒していると、火焔石の温かさが少しずつ身に沁みてくる。

 とりあえず、お湯でも沸かして体を拭おう。暖かいものも飲んだ方が良い。それで、今夜くらいはさっきの思い出に浸ろう……。


 という気怠い想いは、甲高いノックで打ち払われた。


「エリカ! エリカ、いるのか! 私だ……!」


 ダフネの声に飛び上がるほど驚いて、エリカは水差しを落とした。豪快な金属音が響き、水が撥ねる。


(「ちょっ……ちょっと待……!」)


「何の音だ? 大丈夫か? 失礼! 開けさせてもらうぞ……!」


 慌てて前をかき寄せるしか出来ないうちに、ダフネが家に飛び込んで来た。

 彼女はすぐに、部屋の隅で固まる自分の姿を見つけ、ホッと息をついた。


「ああ。すまない。驚かせるつもりはなかったんだ。市場で聞いてな。今日、久しぶりにお前が買い物に来たと。何日ぶりかと聞いたら、三週間以上見かけなかったなどと言うか、ら……お前、その恰好は……」


 まずい。何がまずいのかわからないが、とにかくまずい。


 言い訳の内容を思いつくよりも先に彼女は近寄ってきて、かき抱いた外套を掴むとパッとはだけさせた。

 顔を真っ赤にするエリカに対して、ダフネの方は蒼白になった。


「……ッ! 誰、がこんなことを……! ああ、まさか! 人払いをしていたから、油断していた。私の街に、そんな奴がいるとは……! ああ、違う! お前が悪いんじゃないぞ! すまない……私の責任だ」


 ダフネは早口にまくし立て、茫然とするエリカをいきなり抱きしめると頭を撫でた。


「ああ、助けられなくて本当にすまない……いいか、大丈夫だ。痛みも傷も、私の魔法で拭ってやる。大丈夫だからな……だが、これだけ尋ねないといけない。お前を襲った奴は、一体だれだ? 私が、必ず厳しい罰を与えてやるから……」


 エリカは目をぱちぱちさせて、意味も分からず勢いに呑まれていたが、ようやく何を言われているのかに気付き、慌てて首を振った。


「庇いだてする必要はない、何もわからないお前にこんな真似をしたクズは、必ず……! ああ、クソッ! まだそこらにいるのか? 私の腕は、鈍っちゃいないぞ!」


 自衛用の短刀を引き抜いて部屋を出ようとするダフネに、エリカは必死に縋り付いた。

 放置したらダフネはそのまま外の藪に飛び込み、見つけた者を手当たり次第に切り刻みそうだ。


 余韻も何もかもが吹っ飛び、どうにかこうにか彼女をなだめられたのは、ずいぶん経ってからだった。


 ようやく衣服を纏う時間を得られたエリカは、ダフネをカウンターに座らせてロール紙に書きつけた文字を見せた。


「つまり……合意の上だ、と……いやあの……すまん。お前が、か?」


 どうにか頷いたものの、凄まじく恥ずかしい。

 恥ずかしい初体験を披露する大会があれば、絶対優勝できるという自信が湧いてくる。


 ダフネは咳ばらいをしつつ、自分を納得させるように何度も頷く。


「うん……うん、いや……別に信用していないとかではなくてな。愛しい相手と一緒に過ごすのはとても良いことだ。お前が幸せなら、私は祝福する。すっかり忘れていたが、お前もそういう年頃だ。ちょっと、愛情表現の激しい相手なだけなんだな? それなら良い。ただ、別の問題がある。普通なら私が失礼したことを謝罪して、そのまま黙るべきところだが、今回は別だ。つまり……相手は、誰かということだ」


 彼女は、エリカが街の者とほとんど付き合いがないことを知っている。恋人など、出来るはずがないことを。


「それに私が最初に来た用事がいくつかある。セイトンから、市場で長いことお前の顔を見なかった上に、今日は様子がおかしかったと聞いてな……一人で暮らしているのに食事はどうしてたんだ。干しパンの買いだめでもしていたのか? 私はてっきり、根を詰めて具合を悪くしたりしているのではないかと……」


  まあ、今朝はマイラに見つけてもらえなければ確かにパニックを起こしたまま倒れていたことは事実だ。

 が、それにしても、ダフネのその言葉は意外だった。


(「心配、してくれてたの……? あんな必死な顔して……」)


 ダフネと視線が絡む。彼女はこちらの疑問を察すると、目をぱちくりさせてそっぽを向いた。照れているらしかった。

 先ほどの勘違いでいつもの調子を狂わされたままとはいえ、40を過ぎた女にしては少女のような反応だった。


「そりゃ……心配したさ。それで? 答えは?」


 彼女は恥ずかしさを隠すように、とんとんとロール紙を叩いた。

 こちらに配慮をしつつも、そこを譲るつもりはないらしい。


 さて。どう伝えればいいか。マイラが食料を運んできてくれたと言えば、最近、市場を騒がせている盗人が彼女だとばれるかもしれない。だが自分はここしばらく市場で見なかったということは割れている。


 仕方なく、エリカは羽ペンを取った。


(「……買い物は、人にしてもらってたの」)


「お前が、人を使っているのか? いや、それなら全く構わないんだが……ああ、つまりそいつがお前の想い人か。前に私がお前に小間使いを付けようかと言った時は固辞したのに、いつの間に」


 それで、そいつは誰だ? と、ダフネの目が催促する。

 マイラに自分から問いただす前に、こうなってしまったことが悔やまれる。だが、ここは諦める以外になかった。


(「旅芸人一座の、歌うたいの見習いの子。同い年くらいの」)


 ダフネが、文字を睨んで記憶を漁る。


「あの一座の、か。なるほど。盲点だった。街の者ではないからな。悪戯っ子がこっそり、会いに来ていたわけか。ん? でも待て。町長としてあの一座は何度か見に行ったし、面子も知っているが、歌手に男の子はいなかったぞ」


「……」


「おい?」


 目を逸らす以外、何をしろというのか。頼むから、察してくれ。これ以上書き足せば、恥ずかしさで死にそうだ。

 その願いが通じたのか、ダフネは唐突に吹き出して、手を叩いた。


「ああ! そうか! わかったよ。あの女の子か。そう、か……いや、ごめん。馬鹿にしてるわけじゃないんだ。でも……そうかー、お前、そっちだったのか……なんか納得できたぞ。すごく腑に落ちた」


 エリカは俯いたまま膝を抱えて、頭巾を引っ張った。こんなことをするのは初めてで、ついでに腹を抱えて笑うダフネを見たのも、初めてだ。

 それはいつも張り詰めている指導者の顔でなく、年相応の豪快な女性の顔だった。


「いや、実を言うとな。私も若いころ、女の子と関係を持ったことがあったんだ。その子とは色々あって別れてしまったが、好きあったことを後悔したりはしていない。これを話すのは、お前が初めてだが」


 彼女はけらけらと笑いながら思いがけない過去を語ると、胸元から小さな酒瓶を取り出した。そのままエリカが入れた白湯の入ったカップにそれを足すと、ぐいっとこちらに握らせる。


「その子とは……恋人なのか?」


(「わからない……大事な子」)


 その文字は、恥を感じずに書けた。

 ダフネはこつんとエリカのカップに酒瓶をぶつけると、一口煽った。


「おめでとう。そうか……でもそれなら……良かった。お前に、大事な人が出来たか。良かった。本当に」


(「良かった、かな」)


 ダフネはにやりと微笑むと、困惑しているエリカの鎖骨の辺りを指差した。


「ちょっと愛情表現が過激なのが気になるがな。噛みついていい場所は、お前が指示をしとけよ? 一目でわかるところは、問題だぞ」


 上気する顔をごまかそうと口にしたお湯割りは、苦くもふくよかな香りがした。


 窓の外では夜がすっかり更けていて、しばらく静寂が部屋に満ちた。


(「……伝えるべきかな。多分マイラが、市場の泥棒だって。彼女は捕まるかもしれないけれど、むしろそうした方が私がかばってあげられるかもしれない。市場の誰かに捕まるより、ここで町長にきちんと話した方が……」)


 言葉が出るわけでもないのに、エリカは唇を噛んだ。

 カップの中身を煽り、意を決する。顔を上げた、ちょうどその時。


「めでたいからこそ……哀しいな。お前にもう一つ、報せなきゃいけないのが」


 ダフネが、綻んでいた顔を片手で隠して深くため息を落とした。


(「……?」)


「私に何通か手紙が届いた。隣町のケサーヌが、魔物の群れに襲われたと。ケサーヌ町長とロカから、同じような内容のものが届いた」


 カップを脇に置こうとしていた手が、止まった。

 また胸に、どきりと針を刺されたような痛みが走る。


「ケサーヌは無事だ。ちょうど向こうに滞在していたロカが守ってくれた。恐らく魔物どもの狙いはケサーヌの街が蓄えていた【海水晶】だ。……わかるな? 魔王は【白竜の翼】の脅威に気付いている」


 手勢を差し向けて魔王の島への道さえ断てば、ロカが如何に強かろうとも無意味。

 ダフネは、低い声でそう語る。


「魔物どもには、私たちよりもずっと長い時間がある。しばらくはロカを中心に、人類は奴らに抵抗出来るだろう。だがその後に待つのは、緩やかな滅びの道に他ならない」


 その半生を、街の外で魔物を駆逐して過ごしてきた女は、前線で闘う戦士の目になっていた。


「十数年前、魔王軍は総力を挙げて西アルテリアという大国を滅ぼした。そこで総兵力を損耗したのか、奴らはそれ以来、表立った軍事行動を起こしていない。陰謀による世界崩壊に方針を変えたんだろう。南の軍事力には内紛をばらまき、東の懸崖は災害で打ち砕こうとした」


 その陰謀が成っていれば、そもそも交易によって栄える北方自治都市連合の力は大幅に削がれていた。自分たちが今、無事であるのは、ロカの活躍が理由だろうと、彼女は語る。


「だが魔王軍が軍事力を取り戻し全面戦争となれば、極北海に面したここは最前線の地となる。奴らが自由に極北海を越えられるのだとすれば、拠点からいくらでも押し寄せられる魔王軍に対して、我らは守りを固める以外に成す術もない。最初に陥落した都市から奴らはゆっくりと前線を押し広げ、十年か、二十年か……それとも五十年後か。近くはないがそう遠くもない未来、大陸北方は魔王に滅ぼされるだろう」


 手が、震え出す。ダフネの語る未来に、ではない。


 いくさの脅威は己の中ではまだ遠く、現実感のない事柄だ。街の外で猛威を振るうという魔物たちの姿さえ、見たことがないのだから。


「希望は、一つ。勇者ロカを魔王の島へと送り込み、過去の伝説を再現すること。彼は、本物だ。ほとんど独力で、ケサーヌに押し寄せた魔物の群れを撃退したらしい。勇者と魔王とは、人の希望と絶望を背負う宿命の下に生まれる者。常人と隔絶された彼らの力は、最後には身一つで向き合うものなのかもしれない。つまり、そこに至るまでの道筋が、世界の未来を定める……いま世界は、そういう流れの中にある」


 ダフネの表情は重苦しく、視線をこちらに向けてこない。それが却って、エリカに話の重さを感じさせた。


「ロカは街の復興を手伝った後、こちらに戻ると送ってきた。街の防備を整えろ……特に、お前の身を守れと警告してな」


 それが何を意味し、彼女が何を言いたいのかは、既に分かっている。

 戦争よりも、魔物よりも、自分にとってずっと身近な死の話だ。


「……やはり【白竜の翼】は必要だ。世界の為に」


 エリカはただ黙って、カップの底を見つめていた。


「お前と初めて笑い合えた後に、こんな話をしたくはなかった。だが……お前の両親はお前が【白竜の翼】を作ることに同意したんだよ」


 重い沈黙。

 エリカは左手でカップを固く握りしめたまま、震える右手で羽ペンを取った。


(「同意したのは、私じゃ、ない」)


 それは弱々しくも、初めての拒絶だった。

 よれた文字を見つめるダフネの瞳には、哀しみが溢れていた。


「……この街は、君たち呪い子の献身で支えられてきた。この地に生まれた者は、誰もが同じ呪いを受ける危険を引き受けている。そしてみんな、生まれた呪い子の生活を支える責務を負っている」


 それが、何だと言うのか。自分が頼んだわけでもない。

 こちらから見れば、仕立ての義務を負わされた挙句に死ねと言われているのと何も違わない。

 そもそも、街の連中はエリカが生贄になるのだということを、ほとんど知りもしないのだ。


 ダフネは、気持ちを書きなぐろうとする自分の手に、そっと乾いた手を重ねた。


「真実を話しても……みんな異を唱えはしないよ。皆が同じ危険を背負い、皆で決めた義務を果たしている……だから自分たちは悪くない。街の者はそう考える。彼らは決して、自分が生贄の子の命を啜って身勝手に生き延びようとしていると思うことはないだろう。それが、善良な人々というものだ」


 悪いのも、可哀そうなのも……一握りのどこかの誰かであって、自分じゃない。誰も彼もがそう考える。

 と、ダフネは静かに語った。


「本当に頭からそう信じ込むんだ。本当は皆の代わりに呪われた君を、皆で守るべきなのだということは、子供でもわかるのにな。善良さとは、何なのか……庇護すべき人々でありながら、いつも疑問に思う」


 積極的に自分の死を命じているはずのダフネの手から、何故か気遣いと優しさを感じる。

 それが却って、己の死を望まれるという事実を実感させた。


(「何それ……なんでよ。なんで?」)


「エリカ。私は、善良な人間ではない。勇者でもない。遂げるべき目的のためなら手段を選ばない、邪悪な人間だ。だから、私の希望を言う。【白竜の翼】を、作ってくれ。皆のために死んで欲しい。それで世界は救われる。どこかにいるお前の両親もきっと……助かると思う」


 両親。呪われた自分を捨てて逃げた二人。

 ああ、でも、そうか。

 ダフネがそう言うくらい……つまり、彼女にわかるくらい、自分は拘っていたのだ。

 身を犠牲にして魔法の衣を仕立てて、仕立てて……いつか、両親によくやったねと、認めてもらいたいのだと。


 何もかもが気持ち悪い。


 エリカは吐き気を覚えながら固まっていた。


「すまない」


 ダフネは冷徹な表情に戻って、立ち上がる。そして戸に手を掛けると、言った。


「明日からはお前を守るため、警護をつけるよ。お前の……大事な人が来るのは、妨げないように伝えておく。逢瀬の邪魔をしたいわけじゃない……逢えるだけ、逢うといい」


 生きているうちに?


 そう、問い返したかった。だが、言葉は出てこない。

 ダフネは戸の向こうで振り返って、何かを言おうとして……ため息でそれを飲み込むとドアを閉めた。


 手からカップが滑り落ちる。

 空っぽの陶器が床に転がる、空しい音が鳴り響いた……。




~つづく

2020年3月17日、ろこさまによる挿絵画像追加。掲載許可済み。

ろこさまツイッターアカウント⇒ https://twitter.com/roko_pallet

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