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勇者の翼の作り手

挿絵(By みてみん)

 言葉が突き刺さるような衝撃が、エリカの胸に走った。


「かつて古代の勇者は、再び絶望の支配者が現れることを予期して、彼と共に魔王を倒した伝説の道具を各地に封印したんだ。そのものを封じたり、製法として遺したりしてね」


 いつも人懐こく笑っているマイラさえ、口をあけたまま茫然としている。


「俺は魔王を倒すべく、それらを集めながら旅をしてきた。【雷鳴の鎧】、【炎の剣】、【天の冠】……そしてもう一つが、今回、俺が作って欲しいもの」


 その先は知っている。わざわざ聞きたいとは思わないが、エリカにそれを伝える術はない。痙攣した喉が、息を詰まらせるばかり。


「……極北海の風に乗って空を舞う伝説の外套【白竜の翼】だよ」


「冗談でしょ? だってお兄さん、そんな立派な鎧、着てないじゃない。普通の革鎧で、何言ってんの?」


 マイラが慌てたように、首を振る。ロカはそれを笑って流すと、腰に佩いた剣をちらりと見せた。赤い宝玉こそ柄に埋まっているが、それ以外は至って簡素な鉄剣のように見える。


「みんなそう言うよ。この剣も【炎の剣】なんてものには見えないって。だから別に、勇者なんて信じなくても良い。ただ、俺の故郷が魔物の軍勢に滅ぼされたことと、【白竜の翼】を作って欲しいっていうのは、本当だ」


 全てはこの青年のたちの悪い冗談。そう思いたい。だがエリカは、何故か確信を覚えた。今が使命を果たすべき時だという、直感にも似た感覚。

 目の前がぐらりと揺れ、足元が柔らかくなったように不安になる。


「ちょっ……! エリカ!」


 ふら付いた体をマイラとロカに支えられ、エリカはハッと我に返った。二人が心配そうにこちらを覗き込んでいる。


「エリカちゃん? ゴメン。少し、突飛な話だったかな。大丈夫、無理なことは頼まないから。他の人にも、当たって……」


(「駄目よ。駄目。これは……私じゃないと、仕立てられない」)


 エリカは慌てて身を起こすと、強く鼓動する胸元を押さえて、絹地に手を伸ばした。すると白絹は、まるで意志があるように舞い飛んで、ロカの手をすり抜ける。


「おっと。おかしいな。今まで、自分から舞うなんてことは……」


 そして絹はエリカの腕の中へ、自ら折りたたまれるように滑り込んだ。ロカとマイラが、口を開けてそれを見つめている。エリカ自身、驚いていた。自分は魔法の衣の仕立ては出来るが、魔法を学んだことはない。それなのに、絹を呼べるとは。


「すごい。エリカのとこに飛んだ……」


 エリカは急いでカウンター下の金庫を引っ張り出し、一枚のロール紙を出した。元々は石板画であったものを写し取った、この工房のシンボル。何代も前から、この街の呪い子に受け継がれてきたものだ。


「これは……【白竜の翼】の図案? かつて古代勇者の【白竜の翼】を作った魔法の工房に作り方が伝えられたと聞いたけど、まさか、本当に君が……」


「エリカって伝説の勇者の装備を預かる人だったんだ……」


 真剣なこちらとは裏腹に、マイラは目をきらきらさせて、自分に飛びついた。


「すごいすごい! 勇者さまは、なんか普通の人にしか見えないけど、エリカすごいよ! 世界最高の魔法の仕立て屋さんだよ!」


 はしゃぎながら、マイラは頬擦りする。普段なら赤面するところだが、今はそんな場合ではない。とりあえずマイラにされるがまま、エリカはロカを見つめた。

 その目からは先ほどまでの少年らしさは失せ、強い決意が湛えられていた。


「……頼めるかい? 【白竜の翼】の完成を」


(「材料が必要よ」)


 エリカは頷いて、更に一冊の本を引き出す。父母と共に幾度となく開いた、古代勇者の冒険譚を。


 勇者が街の者に【白竜の翼】の製作を頼む章を開き【濡れぬ銀糸】と書かれた行を指す。ロカはすぐに、革袋から何かを取り出した。


「持ってるよ。どうにか手に入れられた」


 エリカは頷き、次に【人魚の涙】と書かれた頁を開いた。それはまだ持っていない、と、ロカは首を振る。


(「これは極北海から取れる【海水晶】で出来たビーズが、特殊な魔力を帯びたものよ」)


 エリカの指した頁の端には、渦の中ですすり泣く人魚と、そこから伸びる大海蛇に、未完成の【白竜の翼】を纏って立ち向かう勇者の絵が描いてある。古代勇者は大海蛇を倒して海の魔力を【白竜の翼】に移し、それを完成させたのだ。


「つまり必要なのは良質な海水晶で出来たビーズ。そして最後の仕上げに、大海蛇を倒してその魔力を海水晶に移すことか。大丈夫。それは俺が、必ず成し遂げる」


(「【海水晶】のビーズを持ってきて。途中まで、貰った絹と糸で仕立てておくから」)


「わかった。任せてくれ。これは少ないけれど、生活の足しにして。本当にありがとう」


 ロカはすぐにこちらの意を察し、重みを感じる小袋を無造作にカウンターに置いた。そしてエリカにとっては大きな手で、優しくこちらの手を包んだ。


「困ったことがあったら、何でも伝えてくれ。力になるよ」


 エリカは頷き返すと、慌てて手を引き抜いた。男性に近づかれるのが苦手であったのもある。しかし、その手から何か大きな力が伝わって来た気がして、思わず身を引いたのだ。


「わあ。なんか、ロマンチック。いいなー……って、あれ? エリカー?」


 ある程度の完成までどの程度の期日が必要かを月見表で指し示すと、おどけるマイラを無視してエリカは立ち上がった。絹を抱えて寝室に逃げるように駆け込むと、ドアを閉める。


(「……あれが、勇者」)


 滑り落ちるように膝から力が抜けた。

 息が、乱れる。

 手の中には、捕らえた蝶のように脈打つ、白絹の感触がある。

 自分は、この感触を知っている。一度も手にしたことがないはずなのに、それがわかる。


(「これが、私の……」)


 運命。


 その言葉が、跳ね上がる心臓の鼓動に合わせてこだまする。

 ロカとマイラが、異性に手を握られたのが初めてだからとでも思っていてくれたらよいが……。




 丘向こうからの潮風が、野の花を撫でている。

 ロカを見送りに出ながら、マイラはくすくす笑っていた。


「エリカ、真っ赤になって照れてたね。可愛いんだから、アイツ」


 いつものように海岸で日に当たりながら歌っていたら、突然、魔法の仕立て工房の場所を尋ねられただけだったのだが、随分と面白いものを見られた。勇者うんぬんは壮大過ぎてよくわからないが、いつもつっけんどんに振舞うエリカが露骨に動揺するのを見られたのには、価値があった。


「……エリカちゃんは、どうして独りでこの工房に?」


「私もよそ者だからそんな詳しくないけど。この街には代々、あの子みたいな魔法の仕立て屋さんが生まれてくるんだって……」


 だが昔、魔王が拠点を守るためにこの土地に掛けた呪いのせいで、魔法の仕立て屋は成長するに従い何かを失うさだめを負う。それが街の人々の知る、彼女の呪いだ。


「呪い……エリカちゃんの場合は声、か」


「昔は少し喋れてたみたいなのに、可哀想だよね。なんかそのせいで、昔から同じ年頃の友達もいなくて、ご両親もあの子を捨てて出て行っちゃったみたい。そんなこんなで今はあの子が独りで工房に住んで、街から仕事を受けて魔法の衣を仕立ててるんだって」


 聖職者や魔術師たちは、己の術を強める衣を。兵士や冒険者たちは、身を守り力を強める道着を。もちろん他の者も多かれ少なかれエリカの腕を頼りにしているし、時には魔法の衣は他の街への贈り物にもなるらしい。


「そうか。北方は魔王の勢力圏に近いから、現れる魔物も獰猛で強力なのに、この街はずいぶんしっかり守られているなと思ったけれど、彼女の力が一因なんだね」


「その辺の帷子よりも切れにくかったり、燃えなかったり、寒さを感じさせなかったりとか、色々出来るみたいだよ。私に作ってもらったこれは……あれ、なんだっけ……?」


「可愛く見える、とか?」


「そ! 元々可愛い私が、もっと可愛いの」


 ロカはけらけらと少年らしく笑った後に、工房を振り返った。その瞳に、己と同じように、運命に翻弄される者を見る愁いを湛えて。


「マイラちゃん、君はエリカちゃんの友達なんだろ?」


「もちろん。私はここに移ってきた芸人一座の歌姫……に、なる予定の見習いだから、エリカの他に友達いないんだ。あの子の過去も気にしないもん。アイツ、可愛くて、ほっとけないしさ」


「そうか。君がそのまま彼女についていてあげてくれたら、嬉しいよ」


「そんなこと、言われなくてもそうするよ。勇者さまは、どうするの?」


「んー……知ってるかい? 魔物たちは人々の絶望を糧に力を増して、世が乱れるほどその数を増やすんだ。それでその中から、絶望の象徴たる魔王が現れ、更に闇は暗さを増していく。その悪循環を断ち切るのが俺の使命らしい。だからそれに従いつつ【海水晶】を探すさ。この辺、腕の立つ戦士はいくらでも必要だろうしね」


 ロカは肩をすくめると、大仰な口を叩いてにやけてみせた。


「じゃ、私の使命はこれからエリカのとこに戻って、お茶でもするってとこ? 任せてよね。私は毎日、さっき会った海岸で歌の練習してるから、また来たら声を掛けてよ。じゃあ勇者さま、またね!」


「頼もしいよ。うん、ありがとう。またね」


 そういうと勇者はウィンクを返し、片手を振って歩き去った。


 その背に手を振りながら、マイラは息を吐く。

 ……何やら世界は大変らしい。この大陸生まれの者として、勇者と魔王の伝説くらいは聞いている。だがその壮大な物語が再現されつつあり、いつの間にか佳境に入っていたとは知りもしなかった。しかも、エリカがそこに巻き込まれる運命を背負っていたとは。


「エーリーカ? もっかい入るよ?」


 工房へと戻ると、そこはいつも以上に静まり返っていた。裁断された布地や針山、物差し、木炭……様々な物が雑多ながら整えてある中を歩むと、エリカの神経質な性分がよくわかる。己の負ったさだめを、心の細い彼女が重圧に感じていることは、想像に難くない。


「勇者さまは行ったよー」


 どうやら彼女は、工房奥の居住部分に立て籠っているままのようだった。戸を叩いたが、当然返事はない。


「エリカ、開けるよ?」


 カーテンが閉め切られた居住部屋の中には、昼間とは思えぬ暗闇が重くのしかかっている。エリカはテーブルで、先ほどの絹を握り締めたまま、俯いていた。


「……」


 マイラは後ろからそっとエリカの肩を抱いた。彼女はひくっと反応したものの、その指は白くなるほど硬直している。


「ねえ。さっきはあんなこと言ったけど、きっととても大変な役割なんだよね……大丈夫。私はいつでもエリカの味方だよ。独りで背負わなくてもいいんだよ。独りぼっちの気持ちは、わかるもの。私も元は捨て子で、一座に拾われたんだよ?」


 耳に微かに届く、震える息遣い。頭巾越しに頭を撫でると、彼女の乱れた呼吸が少しずつ落ち着いていくのがわかった。


「ねえ、初めて会った時のこと、覚えてる? 月の綺麗な夜だったよね」


 小さな顎がこくりと頷いたのを感じて、頬をすり寄せる。相手の体温を感じられるのが、マイラには心地よかった。


「夜なのにエリカ独りで海岸までやって来たよね。誰も来ないと思ってたから、ビックリしちゃった」


 エリカが、振り返る。彼女は頭巾の中で口をぱくぱくさせて『歌』を表現し、耳の辺りに手を当てて『聞こえた』と伝えた後、そっと脇のカーテンをめくって野の花を指した。美しかった、ということだろうか。


「……ありがとう。私も、聴いてもらえて嬉しいよ。ほら、ちょうど外の花、摘んで来たんだ。勇者さまのお見送りがてら」


 紫色の菊花を差し出すと、エリカは緊張した指をそっと重ねた。おずおずと、甘えることを怖がるように。マイラは側にあった小さな花瓶を手に取ると、その花を窓の側へと置く。エリカの許諾は得ていないが、まあ、別に気を悪くはしないだろう。


「ね、ほら。大丈夫。大丈夫だよ。エリカが望むなら、いつでもあなたのために歌うよ。甘えんぼさん」


 そしてマイラは彼女の隣に座って、歌い始める。

 暗い部屋の中に、竪琴のように深く響く歌声が満ちて。

 静かで寂しい調べの中、エリカが腕に身を委ねてくるのを感じながら、マイラは歌い続けた。




 蕩けるような歌声が、重く響いている。

 水の中で、音を聞くように。

 母と父が、笑っている。幼いころ膝に乗って、刺繍の練習をしている記憶の中で。

 父が自分の喉元を撫でる。


『エリカ。お前は、勇者さまに伝説の道具を作る運命を背負っているんだ……名誉なことだよ』


『そうよ。みんなが感謝するわ……でももし、勇者さまが来たら……その時は……』


 何故、二人の笑顔は苦しそうに見えるのだろう?


 彼らは言い淀みながら、いつも顔を見合わせる。先をどう伝えればよいか、困り果てるように。

 その時、戸を叩く音がして二人の笑顔がハッと消えた。ドアを開けると、そこに立っていたのは鋭い目の貴婦人だった。


『ダフネ……来てくれたのか』


『ああ。この度、次期町長に内定したのでな。一番最初に親友ご夫妻のところにご挨拶に来た。それでやはり、エリカが次の……』


『ああ。間違いなさそうなんだ』


『そうなの。ねえ、ダフネ。どうにかならないかしら……』


 鋭い目と長い髪の女は一瞬、睨むように自分を見た。つかつかと歩み寄ると、自分の喉元に触れて額にしわを寄せる。

 そして目を瞑り、首を振った。


『勇者と魔王が必要なほど、まだ世界は追い込まれていないさ。呪い子の力も、無理さえさせなければ、きっと大丈夫だ』


『だと良いけど……』


 話し込む三人の顔に影が差している。

 それが、差し込む夕日のせいではないと知るのは、その後のことだ。




 ……歌声が、聞こえない。


 それに気付いて目を覚ました時、エリカはベッドに横になっていた。半身を起こして頭に手を伸ばしたが、くるくるの癖毛に触れるばかりで、頭巾がない。慌てて見回せば、いつも着込んでいる外套は、壁掛けに掛けてあった。


(「……? いつの間に? こんなに長いこと……」)


 勇者と話したのは午前中であったはずだが、すでに窓の外からは夕日が差し込んでいた。

 窓の側には先ほどの花瓶。テーブルの上には、パンと水差しが用意してあった。とすると、マイラに寄り添って眠ってしまったのは、夢ではないらしい。


(「マイラ……」)


 彼女の姿はすでになく、孤独感がゆっくりと戻って来る。誰かに、外套を外した姿を見られたのは、何年振りだろう。しかも、自分が眠りこけている内に。

 だが不思議なことに、その相手がマイラであると思うと嫌悪は湧かず、妙な気恥ずかしさが胸を満たした。


(「でも、これを脱いだところを見られたっていうことは……マイラ、気持ち悪く思わなかったかしら……」)


 エリカは花瓶の花を撫でると、磨かれた鏡の前に立った。襟を引けば、喉元に刻まれたひびのような紋様が、薄く光を放っている。


(「こんなに強く反応するのは初めて……やっぱりさっきの話は本当だ。【白竜の翼】の材料が、揃いつつあるからだわ」)


 これが、この躰を蝕む呪い。喉元から広がり、魔法の衣を仕立てる度に躰に喰い込んでいく。日を置いて休ませれば落ち着くが、仕立てるものが強力であればあるほど、この身に深く食い込むのだ。

 不安と恐怖が、ちりちりと首の後ろを撫でている。


 緊張で指先が震えそうになった時、ノックの音でエリカはびくっと飛び上がった。

 一瞬、マイラが戻って来たのかと期待したが、それは次に響いた声で打ち砕かれた。


「エリカ? 私だ。入っても良いかな」


(「町長……」)


 鋭く威圧的な声は、先ほど夢の中で聞いたばかり。あの頃から年を経て、彼女はすでに40代の半ばだが、彼女の声は今でも鋭く力強い。エリカはさっと手を伸ばして外套を羽織ると、再び頭巾を目深に被ってドアを開けた。


「失礼する。前回の依頼からまだ日も経っていないが、緊急の案件でな」


 町長ダフネは、つばの長い黒帽子を外して長い黒髪を揺らすと、仕立ての良い外套を脱いだ。

 鋭い目に、堀の深い顔立ち、すらりとした長身。黒地に金糸で渦模様の刺繍をいれたローブを着こなした優雅な中年女性といった風情だが、元は治癒の術士として街の外の魔物退治を行っていた街の英傑の一人だった。


「ああ、そうだ。急ぎで済まないが、先に伝えておこう。ザフォラが涙を流して感激していた。あの娘は初産な上に、彼女の子は見るからに弱かったからな。冬は乗り切れないかと思っていたが、おくるみにお前が施した刺繍のおかげもあって、持ちこたえたよ。あの様子なら、きっともう大丈夫だろう。本当にありがとうと言っていたよ。私からも、礼を言う」


 ザフォラが学校で共に文字を学んだ先輩だったことは憶えているが、顔は思い出せない。とりあえずエリカは、遠慮を示すために首を振った。

 自分は赤ん坊が寒くならないよう体温を逃さず、無駄に体力を消費せぬよう心を落ち着かせるまじないを込めて、サフランの花を縫い込んだだけだ。だが自分の力が暖かな家庭を守れたのならば、それは嬉しいことだった。


「座ってもいいかな?」


 ダフネは自分が立場が上と知っていても勝手に腰かけず、エリカを対等な他者として扱う。彼女は礼儀を重んじ、自他共に厳しい。その美点は認めるが、エリカにとって最も苦手な人間であることも事実だった。


 彼女は月に一度やってきて、次に作るものを依頼して去っていく。街のため人のためだと、張り詰めた態度で呪われた力を振るわせ、時には叱咤を含めて製作物を評価する。


(「……どうぞ」)


 律義に立ったままの彼女が恐ろしくて、エリカは手で椅子を指した。彼女は礼を言ってそこに座ると、いつも以上に鋭い瞳でこちらを見た。


「……その様子だと、先方から話は聞いていると思うが」


 何を見てそう思ったのかは知らないが、【白竜の翼】のことであるのはすぐに分かった。身を強張らせたのは、頷いたのと同じ効果があった。


「そうか……念のため、話しておこう。ロカと名乗る若者が、日暮れ前に庁舎に来た。どういう目的でここに来て、何をしようとしているのか。こちらの協力を求めつつ、話して聞かせてくれたよ……少し、失礼していいかな」


 ダフネはカウンターの上に小さな酒瓶を出すと、こちらに差し出した。エリカが首を振ると、彼女はそれを一口煽る。

 彼女がここで酒を呑むのは、初めてだった。


「……耳を疑った。だが、彼が勇者であるというのは本当かもしれない。彼が故国だと言う西アルテリア王国が十数年前に魔物の大群に襲われて滅んだことは、私も知っている。強い魔力を持つ王家の紋の首飾りを携えていた。複製ではない。それに、あの剣……古代勇者の建てたアルテリア王家の血を引き、【炎の剣】を携えてこの街を訪れる者。ここまでは魔王と勇者の伝説の通りだ……彼はお前に絹地を預けたと聞いたが」


 言われるまでもない。エリカもまた、彼が本物の勇者であると直感していた。何故かはわからないが、まるで会ったことがあるかのように、それがわかる。勇者とは、そういうものなのかもしれない。


 カウンターに先ほどの絹を広げてみせると、ダフネは唇を噛んでそれに触れた。


「……お前に言うまでもないが。これほど強大な魔力を帯びた絹を作り出すことが出来るのは、世界樹と呼ばれる木の葉で育った蚕の絹糸だけ。そしてそれを【白竜の翼】として仕立てられるのは、極北の海風の凪ぐ地に生まれ育ち、魔王の呪いを受けた者だけ……すなわち、お前だけだ」


 魔法を学び、魔具を仕立てることが出来る者は他にもいる。だが魔法の衣を仕立てることについて、自分以上の者はいない。これは呪いを受けて生まれついたことによる、特別な才能だった。


「遥か昔この地には、極北の島まで渡る力を持った白竜が住んでおり、その魔力の残滓が今でも地の気脈として残っていると言われている。ここに住む人々は知らぬ内にその影響を受け、それは魔法の衣を仕立てる力として発現する。昔は、お前と同じ力を持った人々が沢山住んでいた。だからこそ魔王は、己の住処に通じる道を塞ぐべく【白竜の翼】を仕立てられる可能性のあるこの地に、呪いをかけた……」


 【白竜の翼】は、白竜の気脈の残るこの地でしか出来上がらず、更にそこで育った者が仕上げなければならない。だが魔王の呪いのせいで【白竜の翼】を完成に近づけるほどに、人々は何かを失うようになった。ある者は味を失い、そして声を失い、聞く耳を失った。恐れ、混乱した人々は、【白竜の翼】を完成させられなかった。


「魔王を倒すために、どうしても【白竜の翼】を仕立てる必要が生じた人々は、最後の手段に出た。彼らは魔法の衣を仕立てる力を捨てることで穿たれた呪いを拭いさり、それをたった一人に集約するように組み直した。その人物は生まれながら強力な仕立ての魔力を持ち、【白竜の翼】すら独力で仕立て上げることが出来る。代わりに生まれながらに強く呪われ、魔法の衣を仕立てる度にその呪いは身を蝕む。呪い子の寿命が短いのは、そのせいだ。そこで止めておけば良いが……」


 互いにわかり切ったことを口ずさみながら、ダフネは最後を言いよどんだ。

 街の人々のほとんどは、【白竜の翼】がこの地で仕立てられて勇者がここから飛び立ったことを知る程度だ。しかしこの物語に深く関わる者は、詳しい伝承を聞いている。

 町長であるダフネと自分は、その一人だ。


(「もし【白竜の翼】を仕立て上げたなら。その時には……呪いは身の全てを蝕み、命を失う」)


 俯いたままでも、ダフネがまっすぐにこちらを見る視線を感じた。心を、冷えた手が掴んでいるような感覚がする。


「話を変えよう。魔王の件だ……復活だか、代替わりだか知らないが、その出現は事実かもしれない。西アルテリアの滅亡を発端に、南方のいくさや東方の災害にも、魔物が絡んでいたとロカは言ったよ。彼は背後から戦争を煽っていた魔物を倒して南のいくさを終結させ、破滅的な大災害を起こそうとした魔物を退治して東方の国を救ったらしい。私の手に入れている情報と示し合わせても、齟齬はない。つまり魔王は放置すれば、国を滅ぼす大厄災を招く世界の脅威だということだ。この北方自治都市連合が今のところ無事でいる理由はわからんが、単に奴が本気を出せばいつでも潰せる規模の都市国家群に過ぎないからかもしれん」


 ダフネは残忍ではない。だが冷徹な人間だ。治癒の術師として魔物退治をしていた時代、数多くの人を救うと同時に、手遅れの者を見限って来たはずだ。彼女が何を言いたいのかは、察しが付く。

 長い沈黙の後、ダフネは立ち上がった。


「ロカが、本当に魔王を倒すことが出来る宿命の男かどうかは、まだわからない。お前はその……覚悟だけは、決めておいてくれ。彼が【海水晶】のビーズを手に入れるにはまだ時間が掛かるだろうが、とりあえず進められるところまで進めてもらえると助かる。その間、この工房には無用に人を近づけさせないよう手配しておく。それと少し早いがこれも、置いておくよ。今月分だ」


 ダフネは銀貨の詰まった袋を置き、少しだけ逡巡して、そこに酒瓶を足した。


「……では、エリカ。元気で。体に気をつけてな」


 彼女が出て行く間も、エリカは俯いたまま動けなかった。

 自分の中に渦を巻く、この想いは何なのだろう。

 わからない。

 だが運命が動き始めたことだけは、わかっている。

 もう、止められはしないことも。




~つづく

2020年2月17日、文章のまとまりごとに行間を入れてレイアウト変更。


2020年3月17日、ろこさまによる挿絵画像追加。掲載許可済み。

ろこさまツイッターアカウント⇒ https://twitter.com/roko_pallet

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