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青薔薇の咲く大陸の伝説

挿絵(By みてみん)


 これは、青い薔薇の咲く大陸に伝わる、大いなる物語

 世の調和が乱れ、世界を暗闇が覆う時。

 極北の地に絶望の化身……大いなる闇と魔を統べる魔王が現れる。

 誰もが望みを失い嘆きに包まれた世界の頂点に、其は君臨するだろう。

 其に立ち向かうは、古代の英雄王の血と魂を受け継ぎし者。

 頭上に【天の冠】を、その身に【雷鳴の鎧】を纏い、【炎の剣】を従えて【白竜の翼】を翻す勇者。

 人は闇に立ち向かう勇者の背に希望を見出し、光は魔王を討ち果たさん。

 そして、明けぬ夜はなく、覚めぬ夢もまた、ありはしないと知るだろう……。




 父は膝の上で写本を開きながら、この伝説を語った。

 それは、武器と防具の店を営む我が家において、帳簿以外で最もよく開かれる本だった。


「かつて世界を闇に包んだという魔王は、この地に呪いをかけたんだ。魔王はずっと昔に勇者によって討伐されたけれど、呪いは残った。お前の力はその呪いの代償に得られたもの。この地に生まれる子の誰かが、必ずそれを背負うんだ。だけれど、悪いことばかりじゃないんだよ」


 その後、彼はいつも、心躍る勇者の冒険譚を聞かせてくれた。遠く西の地に生まれ【雷鳴の鎧】を纏って旅に出た青年が、南の地で【炎の剣】を、東の地では【天の冠】を手に入れて、この地から極北の魔王の島へと飛び立つ。そして魔王は討伐されて、物語は大団円を迎えるのだ。


 母はお客の鎧を繕いながら、よく言っていた。


「いい? お前は重いさだめを背負った子だけれど、身に受けた呪いの代わりに、人とは違う力を使える。人の為になるように、その力を使いなさい。そうすれば街の人たちは、あなたのことを決して悪くはしないわ。そういう子が生まれることはわかった上で、この街は賑わっているのだから」


 そして、これがお前の使命なのよと、針と糸を手渡すのだ。


「昔から……世界を闇が覆うのは、魔王が力を取り戻した証と言われているわ。もしその時が来たら、この地から勇者が飛び立つ為に必要な衣を仕立て上げる力が、お前には備わっているのよ。魔法の衣を仕立てる力は、お前自身の生活も必ず助けてくれる。みんな、お前の力を頼りにしてるの」


 母の膝で、自分は歩くより先に裁縫を習った。

 その話を聞きながら、裁縫を習うのは愉しかった。自分がまるで、おとぎ話の物語の一員になれたようで。


「さあ、学校に行ってきなさい。裁縫ばかりでなく、文字もよく学ぶのよ。魔導士たちからの注文もあるんですからね」


 学校に行く歳になっても、街は他の子と一風変わった自分を、受け入れてくれた。


「あの子は特別だけど、いじめたりしちゃダメよ? どの家にだってあの子と同じ子が生まれる可能性があるのだから」


「あの子にはこれからみんなお仕事をお願いするの。魔法の衣は、街のみんなに必要でしょう? あなたも、助けてもらえるのよ」


「あの子の使命は、街の誇りだわ。この街の賑わいや安全は、あの子達、魔法の仕立て屋のおかげなのよ」


 呪いのせいで同じ年頃の子供たちからは気味悪がられたが、街の人々は子供たちにそう言い聞かせ、自分を守ってくれた。

 友達は出来なかったが家族がいた。自分には使命があり、大人たちから期待されている自覚もあった。寂しくはなかった。

 やがて十二歳になった時、代々使われてきた魔法の仕立て工房が、正式に自分に与えられた。

 朝起きると同時に、靴下を穿いて、コルセットの編み上げを締めて、ペチコートを巻いて……独力で仕立てた一式の衣装に袖を通した時のことを、思い出す。


「魔王を討ち果たした勇者の至宝、【白竜の翼】を司る工房に、末永く栄誉があるように。今後とも、よろしくお願いする」


 小さくとも厳かな式典で、町長はそう語った。彼女は歴代の町長に受け継がれてきた首掛け帯を摘まんで、厳めしい顔を綻ばせる。


「お前は覚えも早くて優秀な子だが、新しい帯をお前に仕立ててもらうのは随分先になりそうだ。町のみんなが、お前の仕事を待っているからな」


 誇らしい想いで走った家路。

 丘の上から見た夕日を、今でも夢に見る。

 人生で最後の、希望に満ちていた日のことを。


 暗く静まり返った家の戸を開いた時、両親はもう、何処にもいなかった。

 誰もいない家の中を彷徨い、縋るべき人を求めて泣き続け、やがて涙も枯れた誰もいない夜のことを……彼女は今でも、夢に見る。




「……っ!」


 喉が掠れた音を立てて、娘は飛び起きた。

 唇が震え、汗で下着が肌に張り付いている。

 行き所のない手が頬に触れると、涙がそれを伝った。


(「今はいつ……? ここは何処? 私、は……」)


 思い出すのに掛かる無限とも思える時間。息を切らして必死に記憶を手繰り寄せ、現実を疑うように娘は窓の外を見る。

 空は渦巻く灰色。冷たい風が窓を揺らす、暗い明け方。

 現実感が、悪寒を伴って戻ってきた。


(「夢、を……見た気が」)


 酷い、悪夢だった。それは覚えている。恐ろしく、悲しく、とても長く続いた夢だった気がする。内容は思い出せないし、思い出したくもない。多分、両親に捨てられた時のことだろう。


(「もう……あれから5年近く経つのに……」)


 娘はベッドを降りて汗の染みが出来たシュミーズを脱ぎ捨てる。跳ね上がる心臓を押さえつけながら、作業着に袖を通す。このまま寝ていては風邪をひいてしまうし、今日はもう眠れそうにない。


 掛けてある外套に身を包むと、娘は工房への戸を開けた。

 閉め切られた闇の中、手探りで分厚いミトンを探し出す。火焔石を持って柱に打ち付けると、ぼうっとした柔らかい灯りがともった。部屋中央のランプへ放り込めば、工房はやがて火の魔力で暖かくなる。


 娘は、ため息を落として振り返る。


 漂う埃のにおい。無言で立つ、男女のトルソー。壁を埋める細引き出しには、自分の番を待つ布地がぎっしりと詰まっている。作業机の上には、針山に刺さった様々な大きさの針、鉄の指抜き、刺繍糸や毛糸の束。アイロンは台の上に転がって、熱される時を待っている。

 この小さな工房が……運命と使命に囚われたことに気付かなかった、愚かな娘の終の住処。


 娘はカーテンを閉め切ったまま、外套の頭巾を被って視界を閉じた。

 作業途中の布地を手に取って、目の前だけに集中していれば、辛いことを忘れていられる。

 寂しさを、見ないでいられる。

 ぷつり、ぷつりと、針を通す音が鳴り始める。曇り硝子を微かに揺らす、静かな潮風の歌の中で。

 ただ糸を縫い付ける、鬱屈とした日々を感じながら。

 いつか、延々と降り積もる反復の果てに、何かあるのだろうか。

 運命という名の物語が自分を訪れる日が、来るのだろうか。

 それともただ朽ちるまで、この日々が続くのか。

 そんなことを、想いながら……。




 林と海岸に挟まれた、街並みを見下ろせる丘の上。

 風の通り道に建つ、小さな仕立て工房。


「ごめんください」


 その声に従い、戸を開く。この戸を初めて叩くよそ者は、それを開いた者に面食らう。その日やってきた旅装の青年も、そうだった。


「ここなら、魔法の衣を仕立てられると聞いて……あれ。君は……?」


 紺のローブ、その内側には革鎧と腰当て、使い込まれた革手袋。恐らく、腰のベルトには剣を帯びている。ズボンや袖の裾には、魔を払う柊木の刺繍が見えた。その全てが日に色褪せていて、装飾と言えば、髪を留めている片羽の飾り程度。そして縫い合わせてこそあるが、衣服の所々に鋭い爪による生々しい裂け目があった。


 一眼でわかる。この青年は冒険者だ。広大な原野を蠢く魔物たちと闘って、生き延びることが出来るだけの。


 さっと相手の衣服に目を通すのは、染み付いた癖だった。相手が客であることさえわかれば自分には十分だし、なにより相手の目を見なくて済む。


「えっと……君ひとりかい? 俺はこの工房に腕のいい仕立て屋がいるって聞いて、やってきたんだけど」


 青年はちらりとこちらのフードを覗き込んだ。その内側にあるそばかすの付いた顔に伏し目がちな目を張り付けた顔を、どう思ったか。とりあえず、どう見ても二十歳にも届かない若さとは思ったろう……工房の主には見えないはずだ。


 こちらもフードの端をあげて、ちらりと見上げる。


 堀の深い顔立ちをした、二十代前半の青年。日焼けした肌、頬にさした傷、短く切った黒髪……精悍さと同時に、どこか危うげな子供っぽさも残る。年頃の娘であれば、熱を上げるだろう甘さのある顔だ。


「ああ、自己紹介がまだだったね。俺は、ロカ。君の名前は?」


「……」


 問いに答えるべく、己の外套の左胸を指す。そこにあるのは、白く小さな花が無数についた枝葉の刺繍。

 青年は「エリカの花……?」と口ずさんだ後、ようやくそれが自分の名札の代わりなのだと気付いた。


「あ、エリカちゃんか。いや、フード被って黙ってるから、勝手に男の子かと……女の子だったんだね。ごめん」


 彼の言う通り、人前では常に外套を着込んでいる為に、初めて会った相手の多くは自分の性別の判別もつかない。エリカは体の線も細く、背も小さい。覗いて見えるのは短くカールした髪に、そばかす肌となれば、なおさらだろう。

 だがエリカは、それで構わなかった。いつも纏うこの外套は、そもそも人と距離を置くためのものだ。


「それで……工房のご主人は、どこ? お父さん? あ、いや。お母さんかな」


 エリカは首を振って、看板を指した。そこには、赤い文字で大きく『エリカの仕立て工房』と書いてある。説明が面倒くさくて、町長に頼んで作ってもらったものだ。


「え……? まさか、君が? この工房にいるのは、魔法の衣を仕立てられる最高の職人だって、聞いたけれど……」


「……」


 誰に、と、問う必要はなかった。ロカの背後から、その噂を話した当人が歩いてくるのが見えたから。


「だから驚くっていったでしょ。この辺りの街でもとびっきりの、魔法の仕立て屋さんだって」


「マイラちゃん。ついてきたのか」


「だって、道に迷ってたらいけないと思って」


 マイラは浅黒い肌に波打つような赤い髪をした、この辺りでは少ない容姿の娘だった。年のころは十六か七。この街にやってきた芸人一座の見習いで、海岸へ散歩に降りた時に歌の練習をしている彼女に出会ったのが、半年ほど前のことだ。


「私の上着も、この子が仕立ててくれたんだよ。ねえ、エリカ」


 結った髪を揺らして、自分のことのようにマイラは薄い胸を張る。

 いつもは魔術師の衣や戦士の胴着を仕立てるのに忙しいが、若い娘の着物を仕立てるのに興味が湧いて、一度マイラの依頼を引き受けたのだ。

 若い娘の服となれば、まだ胸が膨らむことも考慮に入れねばならない。そこで、前の開けた萌黄色のボレロに、花模様の刺繍を施したものを作ったのだ。非常に気に入ってくれたのか、彼女はいつもそれを着てくれている。


 それ以降、互いに街中に友人がいないこともあってか、彼女は妙に自分に懐いて何度も訪ねて来る。他の客を引き連れてきたのは今回が初めてだが。


(「……今日は、よそ者ばかりね」)


 ため息をつきながら、二人に向けて手を招く。旅人であれ、街人であれ、客を拒む理由は特になかった。


 ロカはトルソーや棚に広げられた布に目を移しながら遠慮がちに工房に入り、マイラは新しい布が入っていないかと棚を眺め始める。エリカはとりあえず、マイラに頼まれていた品を手渡した。


「……」


「あ、頼んでたスカーフ。出来たんだねえ! ね、つけてつけて!」


 マイラは無邪気な笑みで、こちらの手を握って身を摺り寄せる。くりっとした瞳がやたら近くから見つめてきて、エリカはどぎまぎしながらその首に菊花の刺繍を施したスカーフを巻いてやった。細首をくすぐったそうに縮めて、マイラはにこにこしながら抱き着いてくる。


「ありがとう! 相変わらず、仕事が早いねえ!」


 彼女のスキンシップはいつも激しい。恥ずかしいやらくすぐったいたら、エリカはしばらくされるがままにされた後、距離を取って椅子に腰掛けた。物珍し気に周囲を見回しているロカの気を引こうと、カウンターをとんとんと叩いて。


「……あ、ゴメン。俺の番か。さっきも言ったけれど、魔法の衣を作って欲しいんだ。絹と糸は持ってきているんだけど……あー」


 ロカは黙ったままの自分に対し、話を進めて良いものかどうか逡巡してマイラを見た。どうやら、察しの悪い奴らしい。マイラに向けて頷くと、彼女は肩をすくめて代わりに喋ってくれた。


「あのね。エリカは喋れないのよ」


「え?」


「声が出ないの」


 振り返ったロカは、慌てて頭を下げた。


「そうなのか……気づかなかった。ゴメン」


 エリカは、首を振る。気にしていたらきりがない。これが、この地に代々続く魔物の呪いだ。魔力を縫い込み、引き出し、編み込んで、組み合わせる力を得る代わりに、成長に伴って何かを奪われる。人と親しく対話したいとは思わないから、生きる上でさしたる不自由はない。


「早く話しなよ。エリカ、困ってるし」


「ああ、うん……俺はこの布地を使って、外套を作ってもらいたいんだ」


 ロカが取り出したのは純白の絹だった。


「……」


 何かを感じて、思わず手を伸ばす。指の上を水のように滑る手触り。手に乗せると、まるで蝶のように僅かに浮かび上がって、ひらひらと舞う。

 マイラが、息を呑んだ。


「すごい。本当に魔法の品だね」


「ああ。手に入れるのに苦労したよ。でもこれだけじゃ、真の力は発揮できない。仕上げが必要なんだ。だからこれを仕上げられる職人を、探してた」


 エリカは、手から逃れようとする絹を指先で摘まむと、ため息を漏らした。

 素晴らしい。すでに魔力を帯びた布地を使って服を仕立てたことは何度もある。だがその中でもこれは……特別だ。一体……。

 心中を察したように、マイラが尋ねる。


「こんなすごいもの、何処で? 何の為に手に入れたの?」


「俺は、ここから更に北にあるという大地を目指しているんだ。そこに辿り着くには、凍てつく嵐を弾いて空を舞うと言われる、外套が必要なんだよ」


 エリカとマイラは、思わず目を合わせた。ここより、北だと?


「あの……ここから北って、海だけだよ?」


「ああ。極北海は嵐と大渦に閉ざされて、向かう船は存在しないんだってね。港で北に出る船はないか聞いてみたけど、にべもなかった」


「そりゃそうだよ。あのね。極北海には人魚が住んでいるって伝説があるの。彼女たちが誰もいない海の底から人を誘うから極北海はいつも渦巻いていて、寂しがって泣いているから嵐が吹き荒れているんだよ。そしてその渦の中には、恐ろしい魔物が住んでいるんだって。だからみんな、海を北には向かわないんだ」


 エリカもそれは知っている。人魚の御伽噺は、この地方では勇者の伝説に並んで有名な話だった。


 ずっと昔、海で想い人をなくした女が孤独に泣き暮らし、やがてその後を追って入水する。だが海の底に沈んでも、その魂は想い人を見つけることは出来ず、嘆きの果てに人魚になった女が、今でも海を荒れさせている……という救いのない御伽噺だ。


「それでね。そもそも極北海を乗り越えて北に行けたとしても……」


(「そう。そこにあるのは、かつて魔王が住んだという凍り付いた島だけ……。百年以上前から復活の噂は囁かれているけれど、本当のことは誰も知らない、死の大地」)


 エリカは父を思い出し、自分の中で話を結ぶ。


「人魚の伝説は初めて聞いたな。俺はここに来るまで長い冒険をして、色々なものを見てきた。その伝説も、きっと幾分かは本当か、でなくとも何か元になった話があるのだろうね。じゃあ、これは知ってるかい? その渦の中に住むという魔物は、恐らく海を統べる大海蛇だ。奴は魔王の島へ至る海を守る、最後の魔物と言われているんだよ」


 ロカは平然と頷き、そして語った。


「恥ずかしいけれど……俺の通り名は勇者ロカ。かつて、魔王を討った勇者の子孫だよ。だが魔王は、再び現れた。俺の故郷は、魔王に滅ぼされたからね」


 そう。運命の、到来を。


「……俺は、魔王を討つ為にここまで来たんだ」




~つづく~

2020年2月17日、文章のまとまりごとに行間を入れてレイアウト変更。


2020年3月17日、ろこさまによる挿絵画像追加。掲載許可済み。

ろこさまツイッターアカウント⇒ https://twitter.com/roko_pallet

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