第二話 羽根を求めて(二)
先ほどまで通っていた道よりも草木が生い茂っているのか、あまり太陽の光が射し込んでこなかった。薄暗く、足下をより注意して進まなければならない。躓いたりもしたが、近くにあった木に触れて転ぶのは免れた。進むにつれて、ほんのり肌寒くなってくる。上着を軽く握りしめた。
前を歩いているフィックは、左手を腰に添えてある長剣の柄の部分に触れている。道を選ぶ前までは、そのような素振りはなかった。
「フィックさん、どうかされましたか?」
口を堅く閉じていた彼は軽く振り返ってきた。
「お前にはわかるのか、この異変が」
「異変? 私はただフィックさんが警戒している様子だったので……」
「そこから判断したか。気づくだけ充分だ。少し厄介なことになるかもしれないが、下手に動くなよ」
「それはつまり、マナ生――」
正面から動物のうなり声が聞こえてくる。フィックは前を向いて、セシリールに止まるよう手で制した。茂みが動いたかと思うと、中からぴんっと耳が伸びている狼がでてきた。暗い中でも赤黒い瞳はひときわ目立っている。その瞳が迷いなくこちらに向いていた。
「……瞳が濁っている。あいつはもう魔物だ、何をしても戻らない」
「魔物……!?」
初めて魔物を見て、ごくりと唾を飲み込む。魔物は値踏みするかのように、近づいてきた。とっさに透明の石を握るが、フィックに首を横に振られた。
「魔物の前ではそれも無意味だ。そこの木の影にでもいろ」
「フィックさんはどうするつもりですか?」
「安心しろ。魔物とも交戦したことはある。あれくらいのに腰を抜かすほど、やわじゃねぇ」
ゆっくり長剣を引き抜くと、輝く刀剣が露わになった。生き物を容易に切れる剣がフィックの手で握られる。さらに彼はベルトに引っかけている小袋から指先ほどの大きさの石を取り出し、それをいくつか地面にばらまいた。
狼型の魔物が一度歩みを止める。前足に重心を置くなり、駆け出してきた。
セシリールはフィックに軽く後ろに押され、たたらを踏みながら下がる。その間に彼は魔物に向けて突っ込んだ。
魔物は飛び上がり、フィックの喉元に食らいつこうとする。彼は横に逸れて攻撃をかわし、魔物の体の側面を切った。黒々とした血が地面にこぼれ落ちる。
それを見たセシリールは思わず声を上げた。その声を聞いた魔物がこちらを睨んでくる。赤い瞳に睨まれて、セシリールは声が出てこなかった。
「てめぇの相手はこっちだ!」
フィックが叫ぶと、蓋を開けた小瓶を魔物に向かって投げつけた。小瓶が体に触れた途端、爆発が起きる。魔物は雄叫び声をあげた。
「これは効くのか。そこまで厄介な種ではなさそうだな」
彼はそう言いながら、別の小瓶に入っていた粉を剣に振りかけた。剣の色がうっすらと赤みを帯びていく。
狼型の魔物は皮膚がただれ、血を流しながらも鋭い瞳をフィックに向けていた。
彼はそれを動じずに見返す。むしろ剣を持っていない左手で、挑発するように手で拱いていた。
「何があったか知らねぇが、楽に息の根を止めてやるから安心しろ」
魔物は低い声を出して、フィックに向けて一歩一歩近づこうとする。
セシリールは手で木に触れながら、その様子をじっと見た。
その時、不意に笛の音が聞こえた。すると魔物は動きを止めた。フィックが怪訝な表情をする。
次の瞬間、魔物は反転して、セシリールに向かって走り出した。
「え!?」
「おい、待て!」
二人とも驚きを露わにする。魔物はまるでセシリールしか見えていないような形相で近づいてきた。その後ろからフィックが駆け寄ってくる。
「すぐに倒すからそのまま動くな! その石を握りしめていろ!」
「は、はい!」
彼に言われたとおり、両手で透明の石を握りしめた。周囲がうっすらと何かに包まれた気がした。
目が血走った魔物を真正面から見て、足が竦みそうになる。だがフィックの言葉を信じて、逃げずに見据えた。
距離にして大人の歩幅五歩と迫ったところで、セシリールの目の前に背丈を遙かに超える緑がかった火柱が立ち上がった。それは魔物の進行を遮る壁となる。
火柱が木の枝葉のぎりぎりまで上ると、徐々に下がってきた。それが視界から消える頃にはフィックが魔物に接近し、足の筋を切っているときだった。魔物の視線はセシリールではなくフィックだけに向いている。
「そうだ、こっちを向け」
筋を切られた魔物は立ち上がれず、尻がついた状態でフィックを睨んでいた。
「……色々と不運だったな。だがここで情けはかけられない。あの世で静かに暮らせよ」
フィックは魔物の牙が飛びついてこないギリギリの間合いまで近づいていく。そして魔物の側面部に向かって、赤色に帯びた剣を横に振った。剣は魔物の皮膚を深々と切る。赤黒い血が出るのと同時に、そこを起点として燃え始めた。火はあっという間に魔物の全身を包み込んでいく。くすぶるような黒い煙が空に向かって上がっていった。
セシリールはおそるおそる木の影から体を出した。フィックは剣を持ったままだが、警戒は解いたのか、特にこちらの行動を見咎めようとはしなかった。小さい歩幅で近づいていく。
「どうして燃えているのですか? さっきも火柱がたちましたし……」
「火に関するマナを込めた粉を使った。いわゆる発火材みたいなものだ。剣で切ると摩擦が発生するから、それとその粉を使うことで燃やしたのさ。火柱の発生は火のマナを込めた石を転がして、魔物が接近したら自動的に発動するようにしていた」
「どうして燃やす行為までするのですか?」
魔物やマナ生物は、攻撃的なものが多いが生き物だ。わざわざ燃さなくても、じきに土に還るはずだ。燃やせば火を使う手間やリスクを抱えることにもなる。
フィックは燃えゆく魔物を眺めていた。
「……剣だけで息の根を止めることはできる。だがその後、この魔物の血肉を食べられる恐れがある。噂ではその血肉を食せば、魔物になってしまうらしい。二次被害を防ぐためにも、元に戻せないとわかったら燃やすのが一番いいのさ」
木々の隙間から空に向けて上っていく黒い煙。セシリールはそれを見て、無性に切なくなった。
鞄の中から黄色系統を多く含んだ粉が入った小瓶を取り出す。そして一歩魔物に近づいた。熱い炎が皮膚にぴりぴりと突き刺さってくる。
「何をする?」
「もう死んでいるんですよね。それに対してこの粉をかけても、別に構いませんよね」
小瓶を振りながらフィックに見せつける。彼は目を丸くしてから息を吐き出した。
「勝手にしろ」
セシリールは小さな声で礼を言って、燃え上がる炎にかけた。黒い煙が粉を燃やしていく。徐々に炎は黄色みがかった明るい色に変化した。煙も同時に黄色みを帯びていく。
「ランプの火に振りかける粉なので、こういう炎でも色が変わると思いまして」
「いいのか。手間も金もかかる粉をこんな魔物に対して使って」
「この狼は好きで魔物になったわけではありません。きっと理由があって群れから離れ、その過程で魔物になってしまったと思います。そんな狼を最後くらい明るく送り出してもいいじゃないですか」
「……鎮魂の炎か」
「そうとも言いますね」
煙は絶え間なく昇っていく。その発生源である炎は魔物だけを燃やし続けていた。マナが目的としているもの以外は燃さないよう配慮しているのだろう。
しみじみと眺めていると、フィックに声をかけられた。
「……おい」
「何でしょうか」
「その狼の毛の模様、変わっているのに気づいたか?」
彼に言われて、狼をぼんやり思い浮かべる。腹の部分は白く、それ以外は藍色の毛――いや、背骨の部分は白かった。セシリールが今までに見聞したことのある狼は、背骨の色は他の部位と同じだった。
「背骨の部分ですか?」
「そうだ。あそこの毛の色が違うのは、ここから二つ山を越えた奥深い森の中でしか見られないはずだ。野生のがここにいるのは考えにくい」
「それってまさか……」
フィックの硬い表情を見て、セシリールは息をのんだ。
普段は現れない場所に、まるで待ち構えていたように出てきた魔物。
そして攻撃をしているフィックではなく、隠れているセシリールを噛み砕こうとしていた魔物。
まるで――背後にいる誰かに指示されているようだった。
狙われているという言葉が脳裏をよぎる。思わず服を握りしめた。
「あの……魔物を操る人間なんているんですか……?」
「マナ生物を操る奴なら聞いたことはある。よほどの物好きだがな。……火は勝手に消える。最後まで見ていたら帰りが遅くなるし、次が来るかもしれない。そうなる前に行くぞ」
セシリールはしっかり頷く。黄色みがかった煙を横目に、歩き出した彼の後ろについた。
薄暗い森の中を警戒しながら進んでいく。草むらが動く度に息を呑むが、そこから出てきたのは、どれもただの野生動物だった。マナ生物も現れたりしたが、魔物には遭遇することなく目的の祠に辿り着いた。
二匹目が襲ってこなかったため、あの狼の魔物はただ単に偶然に現れたのではないかという考えが出てくる。仮にセシリールを狙っているのであれば、絶え間なく襲うよう仕向けるのではないだろうか。
万が一を考えて、フィックは合計で十匹程度の魔物がでてきてもいいよう、準備はしていると言っていた。自ら森の中を潜っている狩人が平均的に遭遇するのが週に一匹程度ということを考慮すると、かなり念には念を入れているようだ。往路で一匹なら復路も多くても一匹程度と思いたい。
祠の中に入る前に、鞄からランタンを取り出して火を付けた。フィックはそれを取ると、先に入った。
仄暗い通路を足下に注意しながら進んでいく。耳にも集中して、異常な音が聞こえないか感じとっていった。
道は複雑で、二手に分かれるだけでなく、三手、もしくは四手を選ばせる時すらあった。フィックは分岐点で立ち止まる度に、羽根ペンを取り出し、見つめていた。そして逡巡後、道を選んで進んでいく。
羽根ペンの存在が気になり、セシリールは思わず聞いた。
「羽根に触れることで、何がわかるのですか?」
「これを持ち主がいる方に向けると、熱を帯びるのさ。ただしこの熱は抜いた俺しかわからない」
「なら、初めて会われた時は一苦労されたのですね。フィックさんはどうやって会ったのですか?」
平凡な日々を過ごしていたら、まずドゥルンガと出会うはずがない。
彼はランタンの火に目を落とした。
「……昔、森に入ったとき、たまたま怪我をしているドゥルンガと出会った。そこで治療したりして親しくなって、羽根をくれたんだ。その後も二、三回は会いに来ている」
「ドゥルンガは祠の外にもでるのですか?」
「数ヶ月に一度、月が綺麗な真夜中に飛んでいる。そこで狩人の矢を受けたようだ」
「そんなことが……」
「ドゥルンガはマナ生物だが、大人しく美しい白い鳥だ。だから希少種として狙う輩は多数いる。お前は馬鹿じゃねぇから、今回会っても下手に言いふらさないよな」
「当たり前ですよ」
周囲には珍しい鳥を探しに行くとは言ったが、マナ生物の単語は出していない。出せば心配されるし、余計な追求をされる可能性があったからだ。今のフィックの忠告を受けて、絶対に言わないと心の中で決める。今回は羽根をもらえれば充分だ。
フィックは引き続き分岐点で立ち止まりながらも進んでいく。そして何度目かの分かれ道で、か細い鳴き声が聞こえてきた。音程は高く凛とした声だ。思わず聞き惚れてしまいそうだった。
先を歩いていたフィックがランタンの炎を消す。周囲は暗くなったが、道の先から光が漏れていたため、目が慣れたところで再び歩くことができた。
やがて通路を抜けると、セシリールは目を大きく見開いた。




