第二話 羽根を求めて(一)
翌日以降、フィックと前日に集合時間を約束し、朝、食堂の裏で合流してから工房に向かうという流れになった。基本的にはセシリール一人で行動しているが、視線を後ろに投げると、察してくれてすぐに寄ってきてくれた。弱さを見せてしまった反動か、損得なしに話ができた。
フィックは相変わらず辛辣なことばかり言っており、それを聞く度に心臓が抉られるような思いだった。だが彼と話していると、ぼんやりとだが今まで浮かんでこなかった考えがでてくるようになる。今まで接したことのない種類の人間と話をしているからか、彼から聞く話はどれも新鮮であった。
日々粉にマナを含ませたり、文献でマナについて調べたりして、披露会で発表する内容を思い描いていく。
その頃にはサンドリア工房の総合部門の発表者は他の技術者に手伝いを頼んでいた。セシリールには声をかけられることはなかったため、引き続き自分のペースで動くことができた。
頭の中を整理するために、羽根ペンでひたすら紙に書き綴っていく。ある単語から単語まで矢印を引っ張った。その二つを囲むようにして円を描く。円の中に書いたものは、今まで考えた中では最もいい発想だと思っている。
だが実行するとなると、どうしても必要なものがあった。本当は自力でどうにかしたかったが、時間も有限ではない。ある日の帰り道、青年に向かって意を決して尋ねた。
「あの、フィックさん」
「なんだ?」
「……ペン作りって何が必要ですか? 私でも作れますか?」
「は?」
怪訝な顔をされる。それでも怯まずに口を開いた。
「今度の発表で、マナが含まれたペンを使いたいと考えているんです! かなり高価なものですから、自分で作れないかと思いまして……」
視線を逸らしがちになったが、すべて言い切った。聞いていたフィックの眉間にしわは寄ったままだ。
「本気か? どうしてペンだ?」
セシリールは周囲をきょろきょろ見る。まだ誰にも言ったことがない内容だ。できれば聞き耳を立てられたくない。
「他の人に聞かれたくないので、私の部屋でお話をしてもいいですか?」
フィックは頭をかいて、返答した。
「……わかったよ」
部屋の中をフィックが確認した後に明かりをつけ、セシリールは温かい紅茶を入れることにした。香りは控えめの茶葉をお湯に蒸らす。
フィックは椅子に座り、机の上に積まれている本を眺めていた。一番上にある本を手に取っている。染料に関する本だ。
「あの時できたインクを披露会で使うのか?」
「今のところ、そう考えています。フィックさんも見た通り、私が作っているマナを含ませた粉は、水に溶かすことで色がつきました。本来ならもう少し粘りけなども必要になるでしょうが、力のあるペンを使えば水に近いものであっても、なんとか使えるのではないかと思っています」
お盆にのせたカップに紅茶を注ぐ。それを終えると、お盆を持って机の上に置いた。フィックは軽く香りをかいだ後に口をつけた。二度、三度飲んでからカップを下ろす。セシリールもゆっくり紅茶を喉に通した。
「つまりマナを含んだ色水にペンをつけて何かを描きたいんだな」
「そうです。マナは物体に力を与える存在です。だからこの前は宙に浮いたのだと思います。それを利用できれば面白そうなことができると思いませんか?」
「まあな。やりようによっては、かなり人の気を引く行為ができるかもしれない。――お前の質問に対して結論から言うと、技術が乏しい人間がペンを作るのなら、力のあるマナ生物の羽根を引っこ抜いて作るのが一番手っ取り早い」
「マナ……生物……」
できれば進んで会いたくない生き物だ。
顔が少しずつ青くなっていく。それを振り払うかのように、フィックが吐き捨てた。
「魔物じゃないだけいいと思え。種類によるが穏和なマナ生物はたしかに存在する。それから一本抜けばいいだけの話だ」
「そういう種がどこにいるか、教えてくれませんよね……」
ダメ元で羽根ペンを作っていた青年に聞いてみる。彼を見ると溜息を吐かれた。
「……どうして一歩下がった聞き方をするんだ。聞き出したいならもっと必死になれ」
「いや、出会ってまだ数日の人にそんな……」
「それだから行き詰まるんだよ」
フィックは足を組み、カップを持って軽く波面を揺らす。
「言い方は悪いが利用できる人間は利用しろ。人は利用しあって初めて生きられる。一人ですべてできると思うな」
「……すみません」
「そういう風にすぐに謝るのも悪い癖だ。今後、俺に対してよほどのことがない限り、謝るな。いいな」
「わかりました。す――」
言いかけて、半眼で睨まれる。手で押さえて言葉を飲みこんだ。
「……俺が知っている人間に、とにかく周りを巻き込む奴がいた。無理だと思ったらすぐに他人から意見を求めるし、場合によっては泣きつく。あの積極性は俺でさえ見習いたいくらいだな」
そう話す彼の表情は、どことなく嬉しそうである。セシリールもつられて笑みを浮かべそうだった。
彼の気持ちに甘えて、少しは図々しく生きてもいいのかもしれない。
セシリールは背筋を伸ばして、フィックに向かって頭を下げた。
「マナ生物がいる場所を教えてください。そして一緒に同行してください!」
一人では絶対に無理だ。だから彼に力を借りたかった。
フィックはふっと口元を緩めると、セシリールの頭を軽く叩く。顔を上げると笑みを浮かべている青年の姿があった。
「言えるじゃねぇか。いいぜ、連れて行ってやるよ、ドゥルンガのもとへ」
「ありがとうございます! ……って、ドゥルンガ!?」
思わず声をひっくり返してしまった。
マナ生物に関しては少しだけしか知識はないが、その名前は聞いたことがあった。
たいそう美しく気高い、薄ら桃色がかった白い鳥。間近で見た者は誰もいないと言われている、名前だけが一人歩きしている幻の鳥を。
* * *
ドゥルンガのいる場所は、アルーム町から馬を使っても半日以上かかるところだった。そのためトミには二、三日不在にすることをあらかじめ伝えておいた。心配そうな顔をしていたが、フィックが同行すると聞き、ほっと一安心した表情を見せていた。
「こちらの手も空いてきた。セシリールの手伝いもできるから、声をかけてくれよ」
「ありがとうございます。戻ってきたら何か相談するかもしれませんので、そのときはよろしくお願いします」
技術披露会ではセシリールの若手部門よりも、総合部門の方が重要視されている。工房の顔とも言われている部門だからだ。そのため準備も並大抵のことではない。普段の仕事をこなしながら、そちらの準備を手伝うのは大変なことだった。その上セシリールの手伝いまで増えたら、どれほどの負担をかけるか予想がつかなかった。まだ具体的な形はできあがっていない。闇雲な状態で助けを請うよりも、形になった時に頼むのが極力負担をかけずにすむ。今はまだ力を借りる段階ではなかった。
早朝、動きやすい服に身を包み、フィックと共に町外れに向かう。彼はそこにある馬小屋で馬を一頭借りた。セシリールは彼が馬を撫でているのを見て、ぽかんとしていた。
「これに乗るんですか?」
「徒歩で行ったら何日かかると思っている。お前、馬に乗ったことないのか?」
首を縦に振る。今まで長距離移動した経験は、せいぜいマルドゥーラ町からここアルーム町に来たときくらいだ。その時は馬車に乗っていた。馬にまたがった経験はない。
フィックは逡巡してから、セシリールに馬の背中に手をかけるように言う。馬の脇にある箱の上に足を乗せて背中に手を付けると、フィックの手が腰に添えられた。びくりとして肩が跳ねたが、彼はいたって平静な声だった。
「いちにのさんの合図で上げるから、お前も飛び上がれ」
「わ、わかった」
ぐっと手に力を込める。
「いくぞ。いちにの、さん!」
声と共に飛び上がる。フィックがセシリールのことを下から支えて押し上げると、馬の背中に上半身が乗った。その態勢から体をよじりながら鞍に足を挟み、体を持ち上げた。
「乗れた……」
ほっと一安心していると、後ろに軽々と人が飛び乗ってきた。彼はセシリールを挟むように後ろから腕を回して、手綱を握る。
「俺も気を付けて支えるが、お前も落ちないように掴まっていろよ」
声が後ろから聞こえてくる。いつもよりも柔らかな声に聞こえた。頬に薄ら熱が帯びる。
セシリールは鞍をぎゅっと掴んだ。鼓動が速くなっているのは初めて乗馬をしたから。落ちてしまうのではないかという、恐怖と戦っているから。
そう、心の中で言い聞かせ、視線を上げ、いつもより一段階高い位置の視界を眺めた。
「さて行くぞ」
フィックが手綱を引っ張ると、馬が軽やかに走り出す。風を感じながら、二人はアルーム町から出て行った。
ドゥルンガがいると言われている洞窟の近くまで、道中馬を休ませながら進んだ。朝早く出たため、昼過ぎには近隣にある村に到着できた。そこで遅い昼食をとり、馬を置いてから、洞窟がある森に入った。遠い西の空には黒い雲がかかっていた。帰り際には雨が降るかもしれない。
森に入る前、フィックから紐がついた透明の石を受け取った。同じような石が彼の首にも下がっている。
「マナ生物除けの御守りみたいなものだ。マナ生物にとって嫌な音がでているらしい。何かあっても、それだけは手放すなよ」
「物騒なことを言いますね……」
「平々凡々と行ける場所じゃねぇからな。基本的に戦いは避けるが、いざとなったら剣を抜く。その時は、お前は目につく範囲で離れていろ」
フィックの腰には町では見かけなかった長剣がぶら下がっている。体術だけでなく、剣も振れると言っていた。おそらく剣にも自信がある人間なのだろう。
森の中に作られた道らしき道を歩いていく。草むらが動くとセシリールは肩をびくっと動かすが、出てきたのは野生の兎や犬など小動物ばかりだった。
「やけに敏感に反応するんだな」
「昔、草むらから大きな犬のマナ生物が出てきたことがありまして……」
「大丈夫だったのか?」
「横から出てきた男性が追い返してくれました。粉を振りかけたら、途端に森の中に戻っていきました」
「……その粉はマナ生物をただの生き物に戻すものだったんじゃないのか?」
「そうだったかもしれません。同行していた子もそう言っていた覚えがあります」
降臨祭で一度だけ会ったことのある、はつらつとした元気な少女コルナ。マナ生物を見ても動じず、むしろ立ち向かっていた。彼女もフィックのように何か身を守るような術を習っていたのかもしれない。
セシリールも少しは護身術的なことを学んだ方がいいのだろうかと思っていると、前方にある草むらが大きく揺れ始めた。
フィックは左腕を横に伸ばして、セシリールが前に出るのを止めてくる。ほどなくして草むらから真っ黒い毛の色の熊が出てきた。四つ足を地面につきながら歩いてくる。目の色は赤だった。
突然の遭遇にセシリールは両手で口元を覆う。鼓動が速くなっていく。
フィックは動かず、ただじっと熊のマナ生物の様子を見ていた。
「に、逃げないんですか?」
「静かにしろ。気配を消すよう努めろ。相手に俺らの存在を悟らせたくない」
小声でいわれたセシリールはこくこくと頷いた。彼の後ろで熊の動きを見つめる。
初めはこちらに近づいているように見えたが、しばらくして熊は右の方に進んでいった。そちらにある草むらにゆっくりと入っていく。
熊が歩く音が遠ざかったところで、フィックは腕を下ろした。セシリールも同時に息を吐き出す。そして首からぶら下がっている石を眺めた。
「これのおかげですか?」
「そうだ。これを作った人間は極力マナ生物を傷つけたくなかったらしい。相手に気づかれなければ、こちらから切りかかる理由もない」
たしかにその通りだ。マナ生物だからと言ってすぐさま剣を振る必要はない。襲ってきたら、自衛のために剣を振ればいいのだ。
「フィックさんは森の中に入るときは、いつもこの石を身につけているんですね。これを作った人はすごいです……」
握りしめながらしみじみと言う。青年は軽く「そうだな」と言って、前に進み出した。
目的地まで先は長い。セシリールは手を離して、彼の背中を追いかけた。
洞窟に辿り着くまでに、度々マナ生物と擦れ違った。その度にセシリールは緊張していたが、フィックが顔色一つ変えなかったので、驚きを声に出すことはなかった。
猫やタヌキ、カモシカなどの多様なマナ生物を横目で見る。この日だけで今までの人生の中で出会ったマナ生物の数を優に超えていた。
愛らしいウサギが出てきたときは、思わず近寄りそうになったが、フィックの無言の鋭い視線で思いとどまった。いくら可愛いとはいえ相手はマナ生物。逆鱗に触れれば皮膚を食いちぎられるおそれがあった。ぐっと気持ちを抑えて、遠目から眺めるだけにした。
普段は森の中を歩かないため、マナ生物以外に見るものも、どれも新鮮だった。色鮮やかな葉、川のせせらぎ、澄んだ空気――。
自然に溢れた環境に身を置いていると、不思議と気分が上向きになってくる。
いつもは部屋の中でああでもない、こうでもないと考えながら、目の前のことに付きっきりだ。だがここでは考えるよりも感じることが優先される。体全体の五感を使いながら過ごす時間は、滅多にないことだった。
他人の動きに従う必要性がなく気が楽なのも、心が軽い要因だろう。逆を言えば自らの意志を持つ必要がある場所でもあった。
フィックは先導してくれるが、ある場所では道を選ばしてきた。比較的整えられているが遠回りになる道か、それとも少し道は悪くなるが最短距離を選ぶか。
どちらが正解か、その場でじっと考える。しかしそれを察したフィックに肩をすくめられた。
「正解なんてねぇよ」
「え?」
「行きたい方に向かえ。前から言っているが、損得や他人の顔色を伺って動き過ぎだ」
そう言われると何も言い返さなかった。図星だったからだ。
自分としてはこっちだと思っていても、それが少数派だった場合、セシリールは何も言わずに多数派の意見に賛同する。そうすることで波風がたたず、よりよい方向に進むと思っていた。
しかし多数派の方に進んでも、思ったように物事が進まないことがあった。なぜなら多数派の考えが絶対に良いというわけではない。どちらが正しかったなど、結局はわからないのだ。
今、目の前に道が二手に分かれている。どちらに進むのがいいのかは、同じ時に両方行き、比べなければわからなかった。だがそれは無理な話なので、自分が進みたいと思った方に行くことにした。
セシリールはすっと腕を伸ばして道を指す。その先に続くのはやや鬱蒼とした空気を醸し出す道。
「こっちに行きたいです」
「なぜだ?」
「新しい発見がありそうな場所だと思いましたので」
口元に笑みを浮かべると、フィックに軽く背中を叩かれる。その瞬間、間近で見た彼の横顔を見て、どきりとした。それを誤魔化すかのように足早に歩を進めた。




